野宿で日本各地の島を旅していた10年前、偶然出会った島の祭に魅せられたカメラマンの島祭コラム。島々に息衝く、祭の魅力をお届けします。
沖縄・奥武島の旧正月
島人達の熱い想いが込められた島祭に魅せられ、日本各地の島々を訪れること300島。一つひとつの祭に個性があり、近隣の島であっても、その表情は実に様々。そんな島祭の中でも、強く印象に残った祭を紹介していく新コラム。島祭特有の空気感と島人の想いを感じていただければ幸いです。
(記念すべき第一回目は、「はじまり」に相応しく新年を祝う島祭から……)
取材でよく中国を訪れている身としては、旧正月という祭事は身近だが、日本でも旧暦で新年を祝う地域がある。それが沖縄周辺の島々だ。2012年は沖縄本島から架橋されている奥武島(おうじま|南城市)へと向かった。
『日本の神々』(谷川健一 著/岩波新書)によると、奥武島という名前は、沖縄にはいくつかあり、いずれもかつて死者を弔った場所であったと云われ、崇められている。かつて沖縄では、人が死ぬと海岸のすぐ沖の小さな島に、船で遺体を運んで、洞窟へ安置する葬送の習慣があった。その洞窟内の光から「青(オウ)島」と呼ばれ、そこから「奥武(オウ)島」と書かれるようになったとされる。
今回訪れた南城市の奥武島も、沖縄本島から約100mしか離れおらず、周囲1.7kmの小さな島だ。
島に入ると、漁師さん達は、朝早くから港の漁船に大漁旗をたくさん飾り付けて、正月を祝っていた。色とりどりの大漁旗がたなびく光景は、色鮮やかで、海の青にとても映える。この日は、各々集落の御願所へと参り、家族と島の繁栄を祈願するという。
この時、瓶子(ビンシー)と呼ばれる木箱を持ち、御願を行うのだが、本土育ちとしては非常に興味深い。沖縄では、瓶子は、その家の実印とされており、兄弟同士でも貸し借りは禁物だという。左右対称に置かれた徳利が、夫婦からの祈りであることの象徴だと教えてもらい、沖縄風俗の奥深さを感じた奥武島の旧正月だった。
《祭情報》
■日程:旧暦1/1(2014年は1/31)
■場所:奥武島(沖縄県南城市)