つくろう、島の未来

2025年12月03日 水曜日

つくろう、島の未来

意志ある未来となりゆきの未来。K島とR島、ふたつの島で生きる人々の暮らしはどこに続いていくのか。離島経済新聞社の取材をもとに構成したフィクションの後編お届けします(前編はこちら)。

※この記事は『季刊ritokei』50号(2025年8月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。

2030年4月 K島

K島に激震が走った。1日1本運行していたフェリーが週4便に減るというのだ。すぐに住民説明会が開かれたが、フェリーの運行会社は「船員不足」の一点張り。運行会社の説明に不満をぶつける住民もいたが、船員不足は全国的な問題らしく、減便のほかに道はないことをT市の職員も力なく訴え続けていた。

「果物が出荷できない」農家のG郎は顔を青くしていた。K島では3年前から新しい産業を産み出そうと、若手農家がいちごのハウス栽培をはじめていた。味の評価も高く機運が高まっていたのに、減便されてしまえば出荷できない日が増えてしまう。船は人々の足であり、経済も支える橋でもある。なすすべのない減便は、島に暗い影を落とした。

2030年4月 R島

4歳になったP太郎は、やんちゃがすぎて玄関の扉に指を挟み、第1関節を骨折してしまった。幸いだったのは診療所にオンライン診療システムが導入されていたこと。島にいるまま本土の専門医に診てもらえる環境はありがたかった。半世紀前に比べると人口は10分の1に減っているが、移住者が移住者を呼び込むR島は、近年「社会増」となり消滅可能性都市からも外されていた。

観光ガイドのH郎は、ガイド業が閑散期に入る冬場は水産加工場でチームリーダーを担当するようになっていた。「S社がいて本当によかったな」漁師のJ太がH郎に言った。役場職員が本土で知り合ったというS社とのつながりから新しい水産加工品が生まれ、全国のお取り寄せランキングで上位に入るほどのヒット商品に育っていたのだ。

温暖化の影響か、R島でも水揚げされる魚種がかわり、値がつかず廃棄される魚が増えていた。そこで、国内外に販路を持つS社の発案で、廃棄されていた魚種が商品化され、水産加工場がフル回転しなければ対応できないほどになったのだ。

もっとも反対意見がなかったわけではない。島の人にとっては日本法人でも「外資系」という意識があり、提携には慎重な意見が多かった。ただ、変化に対応できなければ産業も沈んでしまう。

「島全体がよくなることを考えよう」

これもR島の文化なのか、どこからともなく議論の方向がポジティブに傾き、提携話は一気に前進。「提携してもよいが権利は島で持つように」という専門家の意見をS社が尊重してくれたこともあり、 島側が権利を持つかたちで水産加工品が誕生。今や島を支える商材となった。


2039年3月 K島

S美が14歳になり、A子とO太はS美の進路に頭を悩ませていた。K島には県立高校があったが定員割れが続き、ついに昨年、本土の学校に統廃合されてしまった。K島の隣、人口500人のB島には高校がなかった。B島で育ったO太の知り合いは、中学を卒業すると島を離れる 「15の春」 を経験していた。

「うちも15の春ということか」

高校があることが当たり前だったO太は無くなる日まで実感を持てていなかったことに気づいた。いや、本当は気づいていた。 バスが減った時のように、島では高校を残すための勉強会やワークショップが度々開かれていたからだ。

島外の子どもを受け入れる離島留学をやろうと旗を振る人もいたが、「寮はどうするんだ」「問題のある子がきたら誰が責任をとるんだ」という声に押されて何も実現しなかった。K島の人口は3,000人になっていた。

2039年3月 R島

14歳になったP太郎は公営塾に通いはじめた。もともとR島に塾はなかったが、ヒット商品となった水産加工品の売り上げの一部が教育振興に充てられ、無料の公営塾がつくられたのだ。

「R高校を受けるの?」同級生のN江に聞かれたP太郎が笑顔で頷く。人口 2,000人のR島には高校がなかった。そこに新しく高校が新設された話題は全国ニュースでも踊っていた。「まさか高校ができるなんてね」N江はそう言い、私もR高に行くのよとP太郎に告げた。

R高の本校は東京にある。日本社会から豊かな自然や支え合える人間コミュニティが失われた時代、古き良き環境を求めていたR高の校長が、「魅力的な教育環境をつくりたい」という町長と出会い意気投合。住民からも熱烈なアピールを受けてR島に決まったのだと、役場の人が自慢げに語る姿をP太郎は見ていた。

P太郎は小学校の頃、「島の未来をつくる方法」を島の大人にヒアリングする宿題が出されたことがあった。「おかあはどうして移住したん?」洗濯物を畳んでいたK子に尋ねると、K子は畳みかけたシャツをうれしそうに見つめながら「この島の人はみんながみんなを助けているからよ」と話した姿が、以後P太郎のなかに長く留まった。


2045年8月 K島

二十歳になったS美が久しぶりにK島に帰ってきた。本土の高校を卒業したS美は東京の短大に通う女子大生だ。事務員のA子と漁師のO太は、進学費用をなんとか捻出ししてきたが、物価高も厳しく都内の家賃を払うのが精一杯。生活費はS美のバイトでまかなってきた。来年無事に就職できればようやく子育てが終わるなと、A子とO太は胸をなでおろしていた。

K島の人口は1,500人になった。定期船は週3便に。小中学校あわせて子どもたちは80人に減り、来年はついに新一年生がゼロになるという。診療所も縮小されて常駐する医師もいなくなった。「お産ができなくなってから本当にいろんなものがなくなったよね」50代に近づいたA子は6,000人いた頃のK島を思い返していた。

O太の両親が80歳を過ぎてもまだ元気に暮らしているのはありがたい。島内の支え合いのなかで魚や野菜をおすそわけしたり、グランドゴルフをしたり。そんな日がいつまでも続けばいいと思うけれど、転んで歩けなくなってしまえば、もうこの島に住むことはできない。

「いつかは帰りたかったんだけどね」

S美がこぼした言葉にO太の胸はしめつけられた。S美は島が好きだった。10歳の頃、島にやってきた新聞の取材でも「ずっとK島に住みたい!」と元気に答えていた。あの記事の切り抜きは今も、家族のアルバムの最後に挟まっている。

「この先どうなるのかな」A子がつぶやいた。40年前にO太が過ごした島の暮らしは存在しない。集落に響く子どもたちの声も、祭りのにぎわいも。移住を希望する人がいなかったわけではないし、使える空き家もあった。T市の職員も熱心に働きかけていたが、「仏壇があるから貸せない」とか「下手に売れない」という持ち主と折り合いつかず。放置される空き家ばかりが増えて、わずかな希望は竹林にのみこまれていた。

2045年8月 R島

日本の総人口が1億人を割ったというニュースが日本列島に走った。2020年代に予測されていたスピードよりも速いらしい。けれどR島は未だに2,000人を維持していて、それどころか人口は微増していた。

大学の夏休みでR島に戻ってきたP太郎は、外資系企業でインターンをしていて就職先にも困らないという。

「田舎育ちの子のほうが有利なんだよ」

P太郎が誇らしげに言う。「何もない」といわれる島では、人々の創意工夫や支え合いによって暮らしが維持されている。同級生だけじゃなく、じいちゃんばあちゃんから町長まで、多世代交流が欠かせないR島で育ったP太郎は、鍛え抜かれたコミュニケーション能力が仕事の役に立つことに気づいていた。

「7年後には戻ってくる」

P太郎が宣言する。K子は 「えー!」と言いながら、湧き上がるよろこびを隠せなかった。


20XX年8月 K島

K島に重機が運び込まれた。数年前に無人となったK島は、防衛拠点になるらしい。

「私はあの島で育ったのよ」

ニュースをみつめながら、S美は孫に語りかけた。O太は10年前に旅立った。晩年はロをひらく度に「島で死にたい」と言っていたが、人工透析が必要なO太には叶わぬ夢だった。

「何かできていたら変わったのかな」

施設のベッドに横たわるA子は、今さら願っても戻ることのない懐かしい風景を夢見て目を閉じた。

20XX年8月 R島

P太郎は今年、R島の町長になった。大学卒業後に就職した商社で国内外を飛び回り、新規事業の成功により社長表彰を受けて管理職にも推薦されていた。けれどP太郎の意思は決まっていた。「僕は島に帰ります」

そしてR島に戻って10年。役場職員となり会計やら福祉やらを担当し、副業で立ち上げた小さな商社では島の産品をブランディングして販路を拡大してきた。さらに元気な島の高齢者を戦力にした食品会社を創業した時には、多くのメディアに取り上げられ、地域づくりのトップランナーと呼ばれるようになった。

R島の人口は未だに2,000人。人口が変わらない島としてメディアに取り上げられることも多いから、島の人々はどこか誇らしげな空気をまとっている。K子とH郎は、5年前に結婚したP太郎の妻と3人の子どもたちと今も自宅で暮らしている。

「死ぬまでここにいたい」そう語るK子とH郎の夢を叶えるためにP太郎はいつも頭をフル回転させている。今日はハワイの大学に通うP太郎の娘が島に帰ってくる。船の時間にあわせて港に行くと、歓迎の太鼓と人々の歓声が響きわたっていた。

船は満員らしい。赤ちゃんを抱いたお母さんや大学生グループに混じり、P太郎の娘が笑顔いっぱいに降りてきた。





     

特集記事 目次

島々が向かう意志ある未来となりゆきの未来

国内417離島に暮らす人は100万人弱。それぞれが住人の生活空間であり、訪れる人に癒しや学びを与える場であり、国にとっては世界6位という広大な面積を誇る「日本の海」を平和的に維持するための拠点でもあります。

一方、島々では人口減少が進み、インフラの維持や気候変動などの課題が急増しています。2025年は、隠岐諸島や奄美群島の主要航路で減便が発表され、医師、保育士、 公務員など暮らしを支える人材の不足も深刻化しています。

いま、私たちは考えるべき岐路に立っています。このまま流れに身をゆだねていくのか。それとも、「こんな未来をつくりたい」という意志を持ち歩んでいくのか。本特集では、未来に向けた 人々の「意志」 を共有します。

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