つくろう、島の未来

2024年04月25日 木曜日

つくろう、島の未来

「小笠原諸島(おがさわらしょとう)って、日本の端っこだと思っていたけど、太平洋の島々の一部分だったんだ!」。

2019年春、母島(ははじま)で暮らす僕たち一家は、八丈島(はちじょうじま)の高校生と小笠原の高校生と一緒にハワイ島を訪れ、ハワイ在住のレジェンド・ニックさんに出逢った。彼はあのホクレア号(※1)の写真などを撮り、太平洋の島々に精通するアーティスト。

僕が南洋踊り(※2)を踊り、カヌーを漕ぎ、小笠原の石器時代の文化に興味があると話をしたら、彼は1枚の地図をプレゼントしてくれた。

それは、太平洋の島々だけが描かれた英語の地図で、その地図の端の方に日本で唯一、小笠原諸島が描かれているのを見つけた。その瞬間に、小笠原が、太平洋の島の一部であることを痛烈に感じたのである。

小笠原で発見された石器は、伊豆諸島とマリアナ諸島でも類似する石器が見つかり、カヌーも存在していた。

江戸時代から国際的に開けていて、戦後の米軍統治時代にはグアムの高校へ通っていた時期もある。今では東京に向けたアクセスしかないのが疑問に思えるほどだ。

そんな意識でいたら「ヤポネシア(※3)」という言葉に出合った。造語だが、日本の島も太平洋の島エリアの一部という考え方だ。

僕は母島で戦前から伝わるカヌーを漕ぎ、タロイモに触れながら、同じ太平洋の島々に暮らす人々に思いを馳せている。(2019年8月発行『季刊ritokei』29号掲載)


※1 エンジンを使わない伝統的な航海術を再現し1万5000キロメートルを旅したカヌー
※2 日本がミクロネシア地域を統治していた時代に小笠原へ伝わった伝統芸能
※3 奄美大島で暮らした作家・島尾敏雄が提唱した、インドネシア、ポリネシア、メラネシアなどの大平洋の島々の連なりの中で日本列島を捉える視点から生まれた造語。


宮城ジャイアン(みやぎ・じゃいあん)
東京都小笠原村・母島在住。夫婦と娘ふたり。持続可能な農、暮らしを目指して様々な活動をしている。好きな事は素潜り、アウトリガーカヌー、フラ、楽器。今興味があることは先祖が辿ってきた太平洋の道と文化。ブログ「宮城自然農園」更新中

離島経済新聞 目次

島人コラム

島々で暮らす人々による寄稿コラム。離島経済新聞社が発行するタブロイド紙『季刊ritokei』の定番企画「島人コラム」に掲載された中から、抜粋してお届けします。

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