つくろう、島の未来

2024年04月19日 金曜日

つくろう、島の未来

我家の小さな庭の片隅に毎年一輪の「鹿子百合」が咲く。よほど風土が合うのだろうか、40年も咲き続けている。

思えば昭和54年、晴海で開かれた4泊5日の全国離島青年会議で一緒だった上甑島の野島君からいただいた球根を父が育ててくれたもの。古希を過ぎた私は、その時の父と同じ年齢になっている。七夕の頃に咲く鹿の子百合。その可憐な花は私のこころの「離島」でもある。

昭和24年、宮崎県の北部にある島野浦島に生まれた。戦後の団塊世代である。日向灘の小さな島だが、当時の人口は2,500人。旋網まきあみ漁業を核とした漁業の盛んな島で、対岸の村からも出稼ぎに来るほどであった。
家はさほど裕福ではなかったが、東京での学生生活を経験して帰郷、島の漁協に入り、60歳定年まで38年間勤務した。主に保険業務や補助事業にかかわり、職場と家を往復しながら地域や島民の生活向上のために働いた。

ただ、島はライフラインが整備されながらも徐々に過疎化していった。そんなある日、中学校から「総合学習の時間に島の歴史を話して欲しい」との依頼を受けた。その講演の最後に「将来島に帰る人はいるか」尋ねてみた。しばらく無言であったが、唯一「もっと楽しい島だったら……」との言葉が聞けた。

退職後、延岡市で初めての民泊「島民泊」許可を取った。日々楽しい島づくりを企画しながら名刺には鹿の子百合を入れ、肩書は「全国離島振興推進員」にしている。(2020年8月発行『季刊ritokei』32号掲載)


結城豊廣(ゆうき・とよひろ)
島野浦島の体験型観光に取り組み、都市との交流を促進し「活力ある島づくり」を目指す。夫婦で「島民泊遊季」を営むかたわら「島の浦ツ―リズム」事務局を務める。全国離島青年会議第23期出席

離島経済新聞 目次

島人コラム

島々で暮らす人々による寄稿コラム。離島経済新聞社が発行するタブロイド紙『季刊ritokei』の定番企画「島人コラム」に掲載された中から、抜粋してお届けします。

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