火山の島、鹿児島県三島村・硫黄島で暮らす、環境学博士の大岩根尚さん。南極観測隊の経験を持ち、訪れる人々に“地球と共に生きる営み”を案内している大岩根さんに、硫黄島で腹落ちしたことを聞きました。一人旅で島を訪れた中学生・そうすけさんの感想も紹介します。
※この記事は『季刊ritokei』49号(2025年5月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の公式設置ポイントにてご覧いただけます。
硫黄島/鹿児島
鹿児島県三島村の硫黄島は、面積約11.6キロ平方メートル、人口約120人。活火山・硫黄岳がそびえ、地球のダイナミズムを肌で感じられる島。鹿児島港から村営フェリー「みしま」で約4時間
地球のエネルギーをダイナミックに体感
「ここは、地球に寄り添って暮らすことを教えてくれる場所です」。鹿児島県三島村の硫黄島は、噴煙を上げる活火山・硫黄岳のそばで、120人ほどの住民が暮らす小さな島。その名の通り硫黄の香りが漂い、地層や地形から火山のダイナミズムを全身で感じることのできる、まさに“地球を学ぶ教室”だ。
しかし訪れる人が得るものは、ただの地質学的知識ではない。火山のエネルギーや自然の猛々しさを肌で感じる体験と共に、島の人々と交わるなかでにじみ出る“暮らしの豊かさ”がある。
硫黄島で唯一ガイド業を営む大岩根さん家族
硫黄島でガイド業を営むのは大岩根さん夫妻のみ。コンタクトのあった来島希望者とは事前にオンラインで話し合いながら、どんな体験がしたいか、どんな学びを得たいかを一緒に考えているという。プログラムは決まっておらず、訪れる人の関心や目的に合わせて柔軟に組まれる。
「火山や地球が好きで」と訪れる人には、ガスマスクを着けて火山の噴気孔まで歩きながら、地球の営みの壮大な歴史をレクチャーする。ただ、これは“表の顔”。大岩根さん曰く、硫黄島にはもう一つの魅力がある。
人口120人で生きる暮らしの豊かさと意味
2017年に移住した大岩根さんもその魅力に惹かれたひとりだ。「最初は火山に惹かれて来たけれど、暮らしのおもしろさに引き込まれてしまったんです」。人口120人の島はないものだらけ。だが、自然と人と共に生きる深くておおらかな価値観がある。
2児の父でもある大岩根さんが気に入っているのは、例えば「保護者仲間と一緒に海に寄り道して遊んでから登園したり、お腹がすいたら庭で筍を焼いて食べたり、温泉の帰りに月がきれいだからと港で涼んで帰ったり、
親戚でもない人が子どもたちにお年玉を渡したり」といった日常。お金では価値を測れない時間や人との関係がある暮らしはゆるやかで、しなやかで、あたたかいのだ。
島を歩くだけでも手つかずの自然を感じることができる
そんな暮らしの中、大岩根さんが腹落ちしたことがある。国の無形民俗文化財にも登録される「八朔祭」では、若者たちが掛け声をかけ太鼓を叩きながら神社前で踊ると、来訪神「メンドン」が現れて暴れまわる。
踊り手は声を合わせながら、全身汗だくになって1時間以上踊り続ける。しかし掛け声の正しい発音も意味も誰も知らず、何のために行われるものかも分からなかったが、3年踊ってみてその意味が腑に落ちてきたという。
「年に1度はみんなで文字通り息を合わせて身体の動きを同調させて踊ったり、 何体もの来訪神が暴れまわる混乱の中で野次をとばしたりと、馬鹿騒ぎをする。ハレとケのリズムを集落みんなで共有するためにある祭りなのだとよく分かりました」。
人口120人でも日常生活で顔を合わせない人もいる。そんな人々も含めて、年1回は皆で顔を合わせ、呼吸を合わせる集落住民のための祭り。出店もない。小さな共同体だからこそ経済効果に目的を置かない運営が可能で、祭り本来の意味とおもしろさが身体に染み込んでくる。
来島者と島の人々の出会いが生む経験も
最近、印象深い出来事があった。一人で島にやってきた当時中学3年生のそうすけさんの来島だ。火山好きでGoogleマップから島を見つけ、SNSから連絡を取ってきたという彼。
硫黄島の玄関口は、温泉による鉄分で茶褐色に色づいている
せっかくならと、地域の子どもたちと交流できるよう学校に出向き授業中に自己紹介をしてもらうと、今度は地元の子どもたちが彼を自分たちの遊び場へと案内してくれた。来島者である彼にとっても、地元で生きる子どもたちにとっても特別な体験が生まれていたのだ。
都会にあるようなものはほとんどない硫黄島に身を置いたそうすけさんは、大きな「力」を感じたという。知識だけでは決して得られない、小さな島で地球の息吹を体感しながら得る気づきには、脳で想像できる範疇を超えた壮大な力がある。
硫黄島を訪れた中学3年生・そうすけさんの感想
ガスマスクを装着し地球にふれるそうすけさん(左)
地球の力と人々の力他にはない「力」を体感
硫黄島行きのフェリーに乗ったとき、僕はとてつもなく興奮していた。もちろん中学生の一人旅ということで緊張もしていたが、それよりもこれから見えるであろう硫黄岳の姿を想像することで頭がいっぱいだった。
僕が硫黄島の存在を知ったのは、実際に島を訪れる2ヵ月前、地図で気になる場所を探しているときだった。一目見て「ここだッ!」と思った。硫黄島には他にはない「力」があることが地図上からでも分かる。
「無数に彩られた海」、「常に煙を上げている活火山」、それだけでも僕にとっては空前絶後のロケーションだった。しかし硫黄岳を一目見たとき、その「カ」はそれだけじゃまったく収まりきらないことが直に感じられた。
硫黄岳は人間の想像できる範疇を超越している。自分なんかまったく敵わないと感じさせる超絶怒濤の「力」がそこにはあった。
園児たちとのふれあいの時間もあった
さらに、硫黄島にはまた別の「力」があると感じた。それは、島民の方々との交流を通じて得られたものだった。僕はもともと地理的な物事を観光しに硫黄島に来たのだが、結果的に島民の方々とすごく交流させていただいた。
旅行初日には島の送別会に参加させてもらい、そこで思わず言葉を失うような体験があった。島の中学生全員が披露した芸能人を真似た余興は強烈で、今でも夢に出てくるほど印象に残っている。島民の方々は本当に個性的で優しく、ここでできた島民の方とのつながりは大切にしたいと思った。
この島で僕は色々と考え事をしなかった。むしろ硫黄島の「力」に魅了されすぎてあまり考え事ができなかった。けれど、硫黄島での経験から感じて得たことはたくさんある。その感覚や得たものを大切にして、自分に素直に、自身の生活を歩んでいきたいと思った。