つくろう、島の未来

2025年07月31日 木曜日

つくろう、島の未来

日本の島々には時の偉人が 「流人」として辿り着いた歴史を持つ島も多い。そのひとつ、海士町では、かつての偉人に倣い、 現代社会を牽引するリーダー人材を育成するプログラムが行われています。その名も「SHIMA-NAGASHI(シマナガシ)」。そこで追求される 「腹落ち」体験をひもときます。

※この記事は『季刊ritokei』49号(2025年5月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の公式設置ポイントにてご覧いただけます。

海士町(中ノ島)/島根

島根県の北に位置する隠岐諸島の一つ、中ノ島にある自治体。面積55.98キロ平方メートルに約2,200人が暮らす。松江市の七類港または境港市の境港からフェリーで約3時間、または飛行機と連絡船でアクセス可能。財政危機からV字回復を果たし、創造的な地域再生と人材育成の拠点として注目されている

小舟で隣の島 西ノ島に渡り雄大な自然を体感

1221年、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、隠岐諸島の中ノ島(現在の島根県・海士町)に流され、島の人々と共に静かな晩年を過ごしたとされている。都から遠く離れたこの島で、偉人は何を感じ、何を思ったのか。

800年を経た現在、同じ地に誕生した人材育成プログラム「SHIMA-NAGASHI」 は、現代を生きる企業人に、かつての偉人たちが得たような「気づき」や「内省」をもたらす場として注目されている。

このプログラムを立ち上げたのは、「株式会社風と土と」代表の阿部裕志さん。かつてトヨタ自動車で働いていた企業人だった阿部さんは、「これからの社会に本当に必要なものは何か」を考えた末、海士町へ移住。地域振興に関わる中で、次第に「人が本質的に変わる瞬間」に目を向けるようになった。

「西郷隆盛は奄美(奄美大島徳之島沖永良部島)で、日蓮は佐渡島で。なぜ、偉人たちは島で変化を遂げたのか」。その問いが、「SHIMA-NAGASHI」の出発点となった。

資本主義とオルタナティブのあいだ

「SHIMA-NAGASHI」は、企業の次世代経営層やリーダー候補に向けた人材育成プログラムである。複数社混合・教えない研修・島という非日常空間を舞台に、「身体知→内省→対話」という三層のプロセスを経て、参加者それぞれが自らの「腹落ち」を探求する。

「資本主義か、オルタナティブか(※)」という二項対立ではなく、「資本主義とオルタナティブ」のあいだにある可能性を探りたい―。阿部さんはそう語る。

※ここでは資本主義の代替となる、または補完する可能性のある社会システムや経済体制を指す

海士町という地域自体も、財政破綻の危機からV字回復を遂げた「再生のまち」である。そこに生きる人々の言葉や行動、風景そのものが、参加者の心に働きかけていく。

プログラムの設計には、早稲田大学の入山章栄教授が監修として関わり、センスメイキング理論を活かして「物語として自分を語る力」を育てることが重視されている。

「腹落ち」に必要な身体知・内省・対話サイクル

「SHIMA-NAGASHI」で目指す“腹落ち” には、「身体知」 「内省」 「対話」のサイクルを回すことが重要だ。 身体で感じたことに自ら問いを立て、言葉にすることで、これまで言語化できなかった自分の本音に気づく。

入山章栄教授は「海士町は越境体験に最適な場所。 何もないからこそ内省が進む。 企業は忙しすぎて、このサイクルを回す暇がない」と語る。島で生まれるこのサイクルこそが、 深い納得と変化を導く力となる。

身体知・・・ 言葉として語ることのできる形式知に対し、身体で感じているだけで言語化されない暗黙知のこと。 崖を歩く時に足裏で感じる感覚や風に吹かれる感覚など、 身体が持つ情報を改めて感じることが重要。

内省・・・ 身体知を感じた時に「自分がどう感じたのか」と自分の心に聞くこと。歩きながら考えるだけでも良い。 身体で感じたことを一人で深く考えることが重要。

対話・・・ 人間は対話によって「自分はこういうことが言いたかったんだ」と気づくことができる。 話すことによって暗黙知を外に出すことができ、相手との共感が進むことで暗黙知と形式知をぐるぐる回すことができる。

海士町で盛んな綱引きを体感し、言葉にできないほどの身体知を得る参加者

高校生との対話が導く「もうひとつの視点」

2泊3日の現地プログラムでは、統廃合の危機を乗り越えて再生を遂げた隠岐島前高校の生徒や、創造的な町づくりに挑む役場職員、島の産業を支える島民との対話が組み込まれている。中でも多くの参加者に深い印象を残すのが、「高校生対話」である。

ある参加者が、「仕事が楽しくない」と本音を漏らしたとき、ひとりの高校生がこう問いかけたという。「なんでそんな楽しくない仕事を20年も続けてるんですか?」。その率直なひと言が、参加者の価値観を揺さぶった。言葉にすること、誰かに問われることで、人は自らの 「本音」に気づく。

実際に、参加者の中には会社に戻って人事制度を変革した者もいる。「子どもにカッコいい仕事をしてると言いたい」 と気づいたその想いが、組織を、そして社会を変える原動力を生み出したのだ。

深い腹落ちが人を動かす強い力に

「風と土と」の岡本夕紀さんは「SHIMA-NAGASHI」 を経て変化した参加者の印象を次のように語る。「ある企業で新規事業を担当していた方は、がむしゃらに頑張っていながらも赤字続きで顔がとても疲れていました。

研修で自分自身の葛藤を赤裸々に話し、島の人の自然体でいる姿にふれたり、助け合いの習慣がある話を聞いているうちに『目の前のことに集中し過ぎて視野が狭くなり、自分で自分を苦しめていたんだ』と気づかれて、

会社に戻ってからはそれまでのやり方を変えて、まわりの人に相談したり、仕事を任せたりしながら、自分自身が本来やりたかったことに集中できるようになったとのこと。明らかに表情がよくなっていました」。

「何を感じたのか」。 折々で感じたことを共有し言語化

このように「SHIMA-NAGASHI」では、普段は得られない深い気づきが、参加者の心に変化をもたらす。プログラムを通して「自分が組織に与えたい影響」や「本当に大切にしたい価値観」が明確になったという声も多い。

ある参加者は、海士町での体験を経て「職場のメンバーと腹を割って話すようになった」と語る。もうひとりは、「無意識に抱えていたプレッシャーや思い込みに気づいた」と語り、社内でのコミュニケーションスタイルを見直すきっかけになったと振り返る。

青空のもと早稲田大学の入山章栄さんが直接指導する回も

「SHIMA-NAGASHI」の場では、言語化されていなかった感情や考えが表に出てくる。人との関係性の中でこそ、自分の内面に気づけることもある。こうした変化は、島という非日常の環境、そこに暮らす人々との本音の対話があってこそ生まれるのだ。

ある参加者は、海士町の自然の中をひとりで歩く時間が最も印象に残ったと話していた。自分の足音と風の音だけが聞こえる環境で、自分と向き合う時間が自然と生まれたという。都会の喧騒では得られない静けさが、自身の内面の声を聴く余白となり、気づきを深めていくのだろう。

島での気づきだけでは、終わらない

大企業から零細企業まで、日本社会を支えるリーダーを育成する「SHIMA-NAGASHI」は決して安価なプログラムではない。それでも参加者の満足度が高い理由は、事前の個別オリエンテーションから始まる丁寧な設計にある。

プログラム終了後は、企業の垣根を越えた同窓会コミュニティが生まれ、日常に戻ってからも「島での「気づき」を語り合う仲間としてつながり続けている。そこから、競争ではなく“共創”による企業間連携が生まれることも少なくない。

例えば、「やさしさをKPIに組み込みたい」と話す参加者もいた。人間らしさを取り戻しながら、資本主義を持続可能にアップデートする―海士町はその実験場のひとつと言えるだろう。

プログラム中には、島で感じた自身の身体知と向き合う 「内省」の時間もとられる

参加者の中には島で得た気づきを自社の人材育成プログラムに取り入れた事例もある。こうした循環が新たな波及効果を生み、「SHIMA-NAGASHI」での体験はプログラム終了後も形を変えて続いていく。

「ないものはない」 を掲げる海士町には、自分の身体感覚に耳を澄ませ、思考を深め、対話を重ねられる場がある。そこで得られるのは、言語化されなかった自分の奥底にある声。自分自身の声を聞き、腹落ちした言葉で語れるようになったとき、人は変わる力を得る。そして、その小さな変化の連鎖が、持続可能な社会をつくっていくのだ。





     

特集記事 目次

気づき、受け入れる。腹落ちる島へ

インターネットには情報があふれ、AIが私たちの思考を肩代わりする現代、どこにいても即座に情報が得られるようになった反面、五感を通じて身体で得る経験が足りなくなっていると感じることはありませんか。

あふれるほどの人や情報が存在しない小さな島には、自然の恵みと限られた資源の中で生きる人々の創意と工夫が息づいています。かつて偉人たちが流れ着き、深い気づきを得た島々で、自分の奥深くに響く「腹落ち」をもたらす何かに出会えるかもしれません。

「気づき、受け入れる。腹落ちる島へ」特集では、島々で出会える「腹落ち」体験の仕組みを、さまざまな島の事例からひもときます。

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