つくろう、島の未来

2021年10月23日 土曜日

つくろう、島の未来

島とは何か? この問いに向き合う人へお届けする日本島嶼学会参与・長嶋俊介先生による寄稿コラム。第6回目のテーマは、島々に伝わる「島行事・島祭・島芸」について。

有事の結束力にもなる島行事・島祭・島芸

島には技や芸の達者な人が多い。
「好きこそものの上手なれ」、たしなみ、楽しむゆとりと、受け継ぐ力。それを必要とする理由も、島にはあった。

遊びが限られる島では、さまざまな事柄を皆で取り組む必要があり、それでこそ地域の元気が続く。島々に伝わる島行事・島祭・島芸は、素朴な暮らしのリズムであり、アイデンティティの源でもあった。そして時には、有事の結束力にもつながる。

芸能は達者の師匠筋をさかのぼる、あるいは近在(都市の近くの村)と比較すると、経緯が見えやすい。筆者が暮らす佐渡島(さどがしま|新潟県)のように大きな島でも地域境界があり、諸々辿ることができる。

「鶯や十戸の村の能舞台」と詠んだ大町桂月の句(※)は大げさではなく、佐渡島に30あまりある舞台は現役で日本屈指の高密度。また、晩年の世阿弥が遠流されたことは、佐渡芸能が隆盛した遠因であるが、遠流の間に記した小謡曲舞集『金島書』が1909年に発見されるまでは単なる噂だった。

※大正期に佐渡島を訪れた歌人・大町桂月が詠んだ歌。佐渡には小さな村にも能舞台があり、能文化が民に浸透していた様子が分かる

左:佐渡の能舞台。全国にある能舞台の1/3が佐渡島に存在。「鶯や十戸の村の能舞台」大町桂月の句は大げさではない。囲みは旧市町村名/右:世阿弥木彫と世阿弥がかぶり舞ったとされる雨乞いの面(正法寺)

幕府の初代金山代官(後に奉行制)に大久保長安自身が舞い手となり、連れてきた能楽師と彼が建立した春日神社に舞台ができ、準公的神社奉納が広がった。武家(金山)・商人(北前船)・貴族(流人)文化が混交する佐渡島の地で、素人芸としても継承されていった。

各派家元の戦争疎開もあり、芸力はさらに向上。文弥人形も説教人形とブレンドされ、方言アドリブの「のろま人形」(※)も登場する。音頭も甚句もオケサもハイヤも歌舞伎も春駒も海路で伝わり、あるいは都まで学びに行き、根付いた。

※佐渡に伝わる3つの人形芝居のひとつ。時事ネタや風刺を交えながら場の雰囲気に合わせた話を展開し観衆の笑いを誘う

左:佐渡文弥人形(数孤立型集落で継承され、国中には昼食も営む女性のみの座もある)/右:今年の佐渡加茂湖諏訪神社薪能。幽玄はライフ(死生観・物の怪の世界観)の表象である
躾(しつけ)の伝承:下甑島手打集落のトシドン(子ども躾後の背中に鏡餅の褒美。勇気を褒め、見守り、育てる)は、ユネスコ世界無形文化遺産。南方系仮面文化と北方系鬼躾文化の混交(下野敏見・説)ともされる。

島内の全集落(江戸期には260集落あった)に広がる鬼太鼓(おんでこ)もブレンド・多様化され6系が生まれ、所作も太鼓も能舞等の影響で洗練され、現在も120組が残る。老若男女/下手者にすら役どころのある鬼太鼓は、子どもからの人気も高い。

2009年国際小島嶼文化会議(SICRI)佐渡大会を主催した。この時、鼓童を含む十数種の演目を披露した。
左:懇親会鬼太鼓/右:小笠原南洋踊りと古謡・三宅島太鼓:鼓童の原曲的繋がり・粟島踊り・奄美大島島唄も一同に会した。

離島経済新聞 目次

寄稿|長嶋俊介・日本島嶼学会参与

長嶋俊介(ながしま・しゅんすけ) 鹿児島大学名誉教授。佐渡生まれ育ち。島をライフワークに公務員・大学人(生活環境学⇒島の研究センター)・NPO支援(前瀬戸内オリーブ基金理事長)。カリブ海調査中の事故(覆面強盗で銃創)で腰痛となり、リハビリでトライアスリートに。5感を大切に国内全離島・全島嶼国を歩き、南極や北極点でも海に潜った。日本島嶼学会を立ち上げ、退職後は島ライフ再開。島学52年。佐渡市環境審議会会長・日本島嶼学会参与(元会長)。著書に『日本ネシア論』『世界の島大研究』『日本一長い村トカラ』『九州広域列島論』『水半球の小さな大地』『島-日本編』など

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