つくろう、島の未来

2024年10月03日 木曜日

つくろう、島の未来

島とは何か? この問いに向き合う人へお届けする日本島嶼学会参与・長嶋俊介先生による寄稿コラム。第1回目のテーマは、島らしさと感染症への対応を紐づける「島パンデミック」です。

第1回 島パンデミック|島でこそ可能な防疫と島の未来

新型コロナウイルス大流行のパンデミック(世界的大流行)は、大都会と島では「タチ」が違う。

通勤(学)時間や混雑が少ない島では、流行は一過性でありうる。しかし、一人でも潜伏感染者が島に入ると、激「離島苦」となる。

ただでさえ島の医療環境は脆弱。加えて本土側も危機であれば、被支援者のサポートは困難になり、救難すべき事故での島外輸送も不可、パニックは頂点となる。

島内外に逃げ場がない。加えて、船員の接触懸念が発生しただけで、2週間「生活物資」の調達が止まる島もある。介護を必要とする高齢者は、最悪の事態になれば、不安かつ不安定な介護環境に置かれることとなる。

一方、ピンチはチャンスでもある。

島を新しい生活様式・職場様式・防疫の聖域とする福音(良い知らせ)の可能性もあり、それには元からある「島のしくみ」とその日常が鍵を握る。

パンデミックは感染症の世界・日本全体の大規模流行を指す。地域内突発はエピデミック。過去、南の島々を中心にしばしば国内を襲った風土病や、ポツポツと流行する感染症はエンデミック(※1)。島ではこれも難敵である。

(※1)疾病の流行状況を疫学的に説明する用語で、流行規模の違いにより、地域的規模なものは「エンデミック」、中規模なものは「エピデミック」、大規模で広範囲にわたるものを「パンデミック」と表する

過去、伊豆諸島・トカラ列島・奄美群島の人々は、7〜8年毎に再来する感染症爆発などに、苦しみ続けてきた。曲亭馬琴(※2)も記したが、江戸市中では「八丈島は疱瘡(天然痘)が無い」「流人伝説の源為朝が疫病神を追い払うから」とされ、為朝を含む疱瘡払錦絵が流行した。

(※2)曲亭 馬琴(きょくていばきん)。『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』を著した江戸時代後期の読本作者

しかし史実は異なり、幕末に医師が派遣されると八丈島には痘痕面(※3)が100人に1〜2人いた。15世紀中頃に600人、18世紀初頭に990人、18世紀後半に577人等、八丈島は計10回の天然痘の流行で苦しんでいる。

(※3)あばたづら。天然痘の痕として、皮膚に小さなくぼみが残った顔

温故知新とも表現できる、島の抱えてきた歴史的経緯の奥には「島らしさ」という背景もある。

島の個性は利点にも転換しうるもので、八丈島最後の事例では、疫病の経験を活かし、村外れに小屋を建て、あるいは山に逃げた。用があれば、疱瘡を済ませた者を使った。幕末に派遣された医師からの助言もあったかも知れない。

200人が逃げた八丈島の三根村(現在の三根地区)では、村に残った1,200人が全員罹患し、460人が死亡している。一方、880人の村人全員が山に逃げた末吉村(現在の末吉地区)の罹患率は6.9%(55人)に留まった (小山茂「神津の花正月ふたたび」島しょ医療研究会誌第9巻2017年)。

佐渡金山にもコレラ地蔵があり、かつて薩摩黒島に存在した平家平のように衛生環境が劣悪な集落は廃棄された。検疫所も昔は港の入口に位置する島に置かれた。

佐渡長谷(ちょうこく)寺の親子ウサギ観音はコロナ対策でマスク。左の岩屋には厄除け地蔵が祀られている

他方、太平洋諸島やカリブ海諸島は感染症により人口が激減した過去を持つ。

コロンブス後の新大陸で旧文明が崩壊した遠因もパンデミックである。カリブの先住民は、感染と加重労働・迫害で壊滅的に激減した。

アフリカ大陸から集められた奴隷で植民地経営が本格化し、ナポレオンの時代に独立したハイチでは、数世代に渡って奴隷とされた人々の間で教育・知識・技術継承がなされなかった。

そのため奴隷から解放された人々は、先祖以下の技術・知識水準で焼畑などの試行錯誤を余儀なくされ、苦しみ続けてきた。カリブ海諸島・ハイチの例は、持続可能な社会の崩壊史その後であり、土着の社会教育・衛生・技術・文化継承の重要性も示唆する。

元々、島には感染症の病原菌などの外来種に「脆弱」とする法則「アイランドコンプレックス」があり、それぞれの島でリスクに備えた知恵が継承されている。ガラパゴス諸島のように大陸と接したことの無い遠い島は、多様性が低く、固有種が多いが、外来種などに弱い。

小さな単位(家族・親族・地域)での危機対処には、結束・意思疎通・適応(柔軟対応)・機能(資源調整)が重要となる。島パンデミックへの対応方法として、これらを「島らしさ」の図と重ねてみた。

島パンデミックへの対応方法

「島らしさ」とはアイランドコンプレックスという脆弱性対策に徹した島の営みでもあり、古来より島社会や島文化でも見られる。

長崎や天草の島に残る潜伏キリスタンの祝詞「オラショ」のように人々が結束して護ってきた文化は、代々続く確かな意思疎通でもある。

奄美・沖縄ではシマ(最小集落)単位での、防災組織も機能(資源発揮)しており、備荒食材や防災技術(生活保障資源)、外部の専用船活用(アウトソーシング)もある。

地域ルールを創造するという面での適応では、小さな社会は人々の意思疎通により柔軟に制度設計・組織変革することが可能で、社倉(地域保険)、困窮島(共有地を利用した貧者救済制度)が試みられてきた島もある。島立て直しのしくみである。

「環海性」という島らしさには専用船で避難・治癒する「水際作戦」で対応でき、「狭小性」では小回りが利き・心に届き・まとまり易いという「規模経済・多様の欠如」が逆に利点となる。

「隔絶性」では、島という個性を生かし、ICT等の通信網を使った「域内で外部とのやり取り」を行うことで、隔離でも不自由のない聖域を提供できる。

新しい時代にひるまず、島らしさを活かした自由な発想で、島でこそ可能な防疫と島の未来を構想して欲しい。

     

離島経済新聞 目次

寄稿|長嶋俊介・日本島嶼学会参与

長嶋俊介(ながしま・しゅんすけ) 鹿児島大学名誉教授。佐渡生まれ育ち。島をライフワークに公務員・大学人(生活環境学⇒島の研究センター)・NPO支援(前瀬戸内オリーブ基金理事長)。カリブ海調査中の事故(覆面強盗で銃創)で腰痛となり、リハビリでトライアスリートに。5感を大切に国内全離島・全島嶼国を歩き、南極や北極点でも海に潜った。日本島嶼学会を立ち上げ、退職後は島ライフ再開。島学54年。佐渡市環境審議会会長・佐渡市社会教育委員長。著書・編著に『日本の島事典』『日本ネシア論』『世界の島大研究』『日本一長い村トカラ』『九州広域列島論』『水半球の小さな大地』『島-日本編』など

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