つくろう、島の未来

2024年04月22日 月曜日

つくろう、島の未来

島とは何か? この問いに向き合う人へお届けする日本島嶼学会参与・長嶋俊介先生(佐渡島在住)による寄稿コラム。今回のテーマは、佐渡島を例にした人口史と社会教育について。

佐渡を例にみる、過去90年間の離島人口史

島の家族のあり方や高齢者の暮らし方が、ここ数十年で著しく変わってきた(※1)。

最大90年(30年で世代交代なら家族変化も見極められる)の大きな流れを佐渡事例で捉えてみる。温故知新のみでは済まない、家族構造・社会構造・時代の大転換を過去に見据えて、脱過疎観での適疎(appropriate population:持続可能で暮らしやすい地域)社会構築や、全世代・男女・新住民の暮らし再構築への足がかりとして考えてみたい(※2)。

人口データはそのまま同一年齢集団cohort(コーホート)の加齢になり、近未来の島暮らし・地域デザインの足場固めともなる(※3)。筆者は佐渡市社会教育委員(法に定められた役職)長でもあるので、島暮らしを支える社会資本(社会教育や地域福祉や暮らしの仕組)の方向性についても考えてみる。

※1 2020年国勢調査島別結果は、ritokei島別統計や日本離島センター『全国離島統計年報』で確認できる。架橋島等の仔細データは各自治体のホームページで地区仔細まで掘り下げると掴める場合がある。一部は『シマダス』と『新版日本の島事典』でも確認できる。後者では1985年対比30年間人口比も算出した。

※2 山口県・広島県の瀬戸内側の1955〜2020年データ考察は「Life-nomic Transformation:適疎大転換可能性」~公共民の経営学・現場学188~」『会計検査資料』建設物価調査会№675(季刊春号), 2023.4.10参照

※3 佐渡のコーホート分析をしてみたところ、高齢近傍の社会増世代も見いだされた。ここでは割愛するが、団塊世代とそれ以前の世代に帰省意欲の強さが検出された(拙稿「講座:島おこし方程式㉑人口学」『佐渡ジャーナル』№69,22年4月。なお佐渡ジャーナルは23年1月廃刊となった)。

2020年から90年前の1930(昭和5)年は、昭和初期だがほぼ最後の戦前安定期。そこからの30年間は構造的大転換(Social Great Transformation:SX)期であった。

その前半は戦前期15年間をSX1とすれば富国強兵・多産奨励・軍事統制強化の戦中激動期で冷害農村疲弊もあった。SX1期の佐渡は、都市移住(二・二六事件の佐渡出身者、北一輝も含まれる)・海外移民(満蒙開拓:佐渡村建設)・兵役(島といえども例外はない)での社会減があった。

1940年10月1日 109,016人から1944年2月22日 102,915人と-5.6%。多子構造がプッシュ要因でもあった。

軍事銅需要に応えるために浜辺に放置された廃棄鉱物資源も採取・再利用して、江戸から続く佐渡金山史上最大の金銀産出量を実現するが、銅はさほど期待に応えられなかった。戦時動員体制を補う外地労働者募集もなされたが、日本各地の津々浦々の島々でも似た事情で島を担う未来世代が狩り出された。

1955年、島は「過密」だった

戦後期15年間をSX2とすれば、終戦生存ギリギリの衰退(経済社会破壊)から、むしろ食料の得やすい田舎が選ばれ、全国離島でも開拓が試みられた。世相は真逆の平和・民主・自由主義社会への大転換期を迎える。引揚げ・帰還+ベビーブーム+食料生産地性もあり、佐渡人口も一気に膨らむ。

1945年11月1日 118,902人(44年2月22日対比+15.5%)、46年4月26日119,086人(同対比+15.7%)、47年10月1日 124,250 (同対比+20.7%)。国調ピークは1955年121,638人(同対比+18.2%)。

人にあふれた島のにぎわいがあった。瀬戸内では耕して天に到る光景が広がった。1960年の佐渡は家族も3世代同居=世帯当たり4.6人の「大家族」構造で、15歳未満の子どもは島民の30.7%もいた。この期の日本全体の復興具合は、世界の奇跡ともされる経済発展に裏付けられていた。当時、島は「過密」であった。

昭和20〜30年代:耕して天に到るは瀬戸内全体の光景であった(笠岡神島史料館にて)

1960年からの30年、島の人口は大幅に減少

1960年からの30年は高度経済成長SX3。先進国経済(=西欧経済並み)への仲間入りする程の大構造転換が進む。経済も重化学工業が牽引する物の大量生産大量消費からsoft-nomics(産業の中心が知識集約型産業やサービス産業に移行するような)経済社会構造方向への大転換をはたす(※)。

※ 財政金融研究会編『ソフト化・サービス化の国際比較 (ソフトノミックス・シリーズ 17)』(大蔵省大臣官房調査企画課財政金融研究室) 1986年に代表される準公的用語

この頃の島からの島人口は、季節雇用=出稼ぎと新卒者の都市雇用による社会減が進む。佐渡でも同様であったが農村工業導入+稲作作業とずれた労力投入を可能にする果樹栽培等で多角的営農が実現したことで、出稼ぎ構造に一定の歯止めがかかる。が、それでも新卒者を中心にした都市部への社会的移動による、減が続く。

家業としての第一次産業・観光業以外に雇用が限られる多くの島々でも似た現象が続く。

佐渡では30年間に-31.1%。離島振興指定地域では-39.4%、全指定離島(奄美・小笠原・沖縄を含む)で-35.5%であった。佐渡の家族は「核家族」構造的な世帯当たり3.2人に激変する。15歳未満の子ども比率は島民の16.2%に一気に半減する。

1990年からの30年、止まらぬ人口減に黄色信号がともる

1990年からの2020年までの30年は安定(減速)経済期SX4。失われた30年との認識も他方にはあるが、脱工業社会化・成熟社会化の側面もある。少子高齢・情報社会・余暇(週休二日制)社会展開が一気に進む。

少子高齢社会化は、韓国・中国でも同じ方向に(実態としてはさらに)激しく進もうとしているが、日本の中でも離島はなかでも先行的構造転換[逆説的先進地性]を経験する。この間指定離島人口は -40.9%と激減がとどまらずに続く。

特に2010〜15年-9.2%に対し、15〜20年-9.8%である。佐渡は30年間で-21%と相対的には落ち着いて見えるが、この直近5年の-10.1%はいよいよ黄色信号である。

戸数でも(【図1】では1955〜20年の65年間)各30年間が24,478⇒24,628(+6.1%)⇒21,261(-13.7%)と、タイムラグを持って空家急増・シャッター通り街路顕在化が遂に本格化してきた。

ついに15歳未満の子ども比率は島民の10.0%となり、自然増のみでは人口維持困難。家族数は2.42人で、子どものいない家、老人のみの家族、孤立・孤独家庭の増加が進む。

2020年高齢者率43%の裏には、女性では47%(全島民女性の半分)、後期高齢者が全島民女性の3割・男性を含めても全島民の1/4という激しい数字が出てくる【表2】。

人口減だけではなく孤独・孤立も増加

ritokeiの数値では、佐渡島には医療31福祉119施設数があるため、帰ってこられる島・島外に出なくても済む「老後を支える島」構造とも言える(私事ながら論者の母介護・自身の帰島確約の背景でもある)。

しかし内実は【表3】に見るように複雑である。15歳以上で見ると、男性の28%が未婚・39%が無配偶者、女性の31%が離死別・46%が無配偶者。つまり孤独・孤立に対する社会プログラム(社会的関係資源・自立学習・受援能力形成・空家化防止エンディングノートレッスン等)がフレイル対策(社会福祉)プログラムの前に重くのしかかっている現実がある。

地域としての持続可能性の柱はやはり次世代の社会支援力である。ことし2月広島県百島(ももしま)を歩いていて別荘地の存続・Iターンの頑張り・対岸造船所への通勤者の賑わい・子どもを大切にする取り組み・水素エンジン旅客船に気を強くしていたところ、切符切りの婦人には「耕して天に到る賑わい」の頃に比べて、それらは泡沫に思えるらしい。彼女の目には狂いがない。

適疎を叶えるため、求められる社会教育システム

持続可能な賑わいが足元にあるかどうか。【表4】に見るように農業・漁業・第2次産業(加えて本来は観光業による)就労率の確保が地域の安定構造を支えてきたが、若い世代(統計上とは異なるが本来は20歳代から70歳まで)の所得水準が兼業もふくめて「程良い」「安定している」「次世代や高齢者も支えられる」水準を確保できることが要となる。

ここでは省略するがwell-beingがシビルミニマム的かつ十分条件的に充足される適疎島であるときに、そこは新規参入者にも魅力的な移住先になる。

佐渡でも定住外国人が増えつつありアジアを中心にして多国籍である。異文化共生社会は文化的刺激であるが、世界文化遺産を目指している佐渡にとっても重要な潜在資源でもある。

また国境離島雇用促進事業の誘因もあって、IT関連や多様なサービス産業+「学校蔵」のような6次産業の新しい芽も形成されつつある。

ここ3年の移住者は毎年500〜600人。うち6割強が40歳未満というのも心強い。彼等の社会参加も加えた力強い文化振興も期待したいし、それを支える社会教育システムも課題である。

その決意を図にしてみた。社会教育委員・公民館館長に提出した提案である。他の離島にも共有し、議論の参考にもしていただきたく敢えて公にする次第である。

佐渡ではアフタースクール・企業連携や高賃金のパート雇用(社内教育・引きこもり対策教育)や、「子ども第3の居場所」NGO補助事業を受けての展開、学校教育連携での新展開(SDGs+離島留学+ジオクラブ案)も始動段階である。仔細紹介は今回割愛する。

各離島では加えて隔絶・環海・狭小性の個性の未来志向発揚と、何よりも「足元の確かさ」に持続可能性の柱があるので、産業/社会インフラ(ヒトーモノ)の充実にあわせて、暮らしやすさを支える社会資本(ヒトーコト)、優しさ・思いやり(ヒトーヒト)、地域プライド・文化(ヒトーココロ)、エコ(ヒトー自然)関係を大切にする社会教育にも大きな課題と責任がある。

離島経済新聞 目次

寄稿|長嶋俊介・日本島嶼学会参与

長嶋俊介(ながしま・しゅんすけ) 鹿児島大学名誉教授。佐渡生まれ育ち。島をライフワークに公務員・大学人(生活環境学⇒島の研究センター)・NPO支援(前瀬戸内オリーブ基金理事長)。カリブ海調査中の事故(覆面強盗で銃創)で腰痛となり、リハビリでトライアスリートに。5感を大切に国内全離島・全島嶼国を歩き、南極や北極点でも海に潜った。日本島嶼学会を立ち上げ、退職後は島ライフ再開。島学54年。佐渡市環境審議会会長・佐渡市社会教育委員長。著書・編著に『日本の島事典』『日本ネシア論』『世界の島大研究』『日本一長い村トカラ』『九州広域列島論』『水半球の小さな大地』『島-日本編』など

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