つくろう、島の未来

2021年09月19日 日曜日

つくろう、島の未来

島とは何か? この問いに向き合う人へお届けする日本島嶼学会参与・長嶋俊介先生(佐渡島在住)による寄稿コラム。第8回目のテーマは、2011年の東日本大震災から10年を振り返りながら考えたい、島の災害について前後編でお届けします。

島の災害という個性を知る大切さ

島への理解を深める柱の一つに災害がある。噴火・地震(津波)・台風・豪雨・干ばつ……。それらに備えた暮らしぶりや知恵は、持続可能性の基本ですらある。

自然の恵みの裏側にある災害。恐怖を乗り越え、脆弱性へのしたたかさで守り抜いてきたたくましさ。島社会の仕組み、成り立ち、歴史、文化、アイデンティティに通底する想いは、その安寧にある。

ナショナル・ミニマム(※1)は全ての場所での安寧保障であり、災害時でこそ試される。災害時には、QOL(quality of life=生活を含むライフ(※2)の質)の犠牲が少なく、救命・救助から復旧・復興までの全手順での公的支援が必要とされる。

加えて、民の力も試される。島に関する全体構図(鹿児島大学地域防災教育研究センター担当授業の一部)を[図1]に示した。

※1国家が国民に対して保障する最低限の生活水準
※2生活(暮らし)に加えて、生命(体の健康等)や人生(守りたい価値観等)を含めたもの

[図1]島らしさに因む減災・防災・復旧・復興へのヒント

島の個性と事情に対する理解が進めば、災害対応の有効性(予防/減災/避難)・機能性(救援/手当/回復)・支援力(フォロー/応援/復興)が向上する。リスク管理に加え、蓄積した教訓からも学ぶべき事が多い。

今回は津波事例を取り上げる。

島ならではの事情「環海性」

海島が「環海」である自明性は、衝立(ついたて)のない強風被害で、思い知らされる。海面高温帯にある南西諸島(なんせいしょとう)では台風の威力が増したまま直撃する。日本海ではシベリア高気圧が発達し、「颪風(おろしかぜ)」(※)と呼ばれる厳しい季節風が吹くが、北陸地方では「ブリ起こし」と呼ばれる雷が冬の到来を告げ、雷に驚いたブリが湾内に避難することで、大漁にも結びつく。

※おろし風。冬季に山などから吹き下ろす冷たい風

島は津波でも震源地からの直撃を受けやすい。島特有の海底地形や湾入(※)等の影響で水位(海面)がかさ高になりやすく、また、流体力学(ベルヌーイの法則等)に従い、速度や水量変化を引き起こし、渦やすり抜け(周囲が深い場合は遡上しない)が起き、被害も増しかねない。津波の基本は物理現象であるが、海底ヘドロも巻き上げる場合、化学や医学すなわち質的加害にも留意が求められる。

※海が弓なりに陸地に入り込んで、湾や入り江を形成している地形

逆もある、島が衝立になり内湾を守る例である。東日本大震災で宮城県の七ヶ浜町・浦戸諸島(うらとしょとう|宮城県)・奥松島(※)が堤防状に並び、塩竈市や松島市街の被害を緩和したのが典型例である[図2★印のように、他地域レベルを大きく下回った]。

※東松島市の宮戸島(みやとじま)と野蒜(のびる)海岸一帯

その分、松島湾の外海側が受けた破壊力は甚大であった。満潮・低気圧でも海面は上がる。加えて水面上を走る津波の早さと粘性は、波高を増す。陸前江島に隣接する笠貝島(標高44メートル)の遡上高は43メートル。

牡鹿半島と金華山(きんかさん|宮城県)の海峡では、海底が見えるほどの引き波が発生し、南と北からの波が重なり最大で波は50メートルに達したという証言もある。第2波の前に荷物を取りに帰り、亡くなった島人も少なくない。

津波は多方向から来る。気仙沼湾に挟まれた気仙沼大島(けせんぬまおおしま|宮城県)の唐桑半島側では湾内で複雑に変動し、50回もの海面上下動が見られた。

気仙沼大島では気仙沼市街側から「対岸の火事」が海を渡ってきた。気仙沼湾に流出した重油への引火に加えて瓦礫が火渡しをした。津波は島の坂道を越え、対岸にも流れた。坂道にいて一歩の違いで流されなかった人の恐怖も聞いた。

まだある。越波は堤防で破壊力を増す。津波対策で盤石なはずの嵩上げ防波堤が意外なもろさで崩れた。予期以上の浮力は鉄筋コンクリートビル(陸前江島の市街内会館)地盤杭すら抜いて破壊した。

震災から10年、見えない被害は今も続く。震災により流出したがれき約500万トンの約3割が洋上(養殖筏や船舶を含む)に拡散し、ハワイやカナダ岸、宮古郡の多良間島(たらまじま|沖縄県)にも達した。

7割が海底瓦礫。各県漁連・観光船・委託業者の回収量は10.9万トン(海底瓦礫の3.1%)。今も海流の影響を受け移動し続けている。それらは資源の攪乱のみでなく、水産物の水揚げ作業にも影響を及している。

「狭小性」「隔絶性」による被害拡大

東日本大震災を振り返ると、通常でも地域内で結束に向かう災害対応が、どの島においても確かに、立派に機能していた。時間経過の中で、やや大きめの島では公平性や公明性に多少の摩擦があったが、ある意味それは透明性の証明でもある。

小さな島では、北海道南西沖地震で被災した奥尻島(おくしりとう|北海道)の「皆似た悲惨さ」で愚痴も言えないストレスに保健師が対応したような、専門家関与が薄かった。

宮城県女川町の出島(いずしま)・江島(えのしま)では、自衛隊による助力で全島避難が実現した。だが出島は分散避難状況下で小中学校「廃校」の決断を迫られた。全島集会や直接の話し合いでの決定でなく「休校」が選択できなかったことを未だに悔いている方がいる。2023年度に架橋が実現しても、今のところ学校が再開される予定はない。

[表]に見るように、被災後に出島の人口が激減した背景には、2集落の壊滅に加えて廃校の影響がある。島が大きければ避難所は島に設置できたはずである。

同じ事情は江島にもあるが、江島は加えて隔絶性も強い。漁船で気楽・自在に・随時往復できる距離でもない。時々、島へ帰る度に、壊れた屋根や荒れた畑の手当てをしても、老人・女性では限界があった。遠いのでボランティアを呼ぶことも難しく、業者も後回しになる。

行く度に住民から復興が後手に回っている状況を聞いたが、余震もあり、 再訪した際には被害が増している。結果、立派なつくりの民宿ですら、公費での解体を選択せざるを得なくなって、島の家並みは外見上、1/4になった。往時の賑わいを寂しく感じる。2020年10月末の写真(コロナ対策で関係者以外乗船禁止の中、約束があり乗船を許された)を、1987年下段の江島と比較してみて欲しい。

>>「島のしくみと島らしさvol.9 島災害・東日本大震災津波被害からの復興(後編)」に続く。

離島経済新聞 目次

寄稿|長嶋俊介・日本島嶼学会参与

長嶋俊介(ながしま・しゅんすけ) 鹿児島大学名誉教授。佐渡生まれ育ち。島をライフワークに公務員・大学人(生活環境学⇒島の研究センター)・NPO支援(前瀬戸内オリーブ基金理事長)。カリブ海調査中の事故(覆面強盗で銃創)で腰痛となり、リハビリでトライアスリートに。5感を大切に国内全離島・全島嶼国を歩き、南極や北極点でも海に潜った。日本島嶼学会を立ち上げ、退職後は島ライフ再開。島学52年。佐渡市環境審議会会長・日本島嶼学会参与(元会長)。著書に『日本ネシア論』『世界の島大研究』『日本一長い村トカラ』『九州広域列島論』『水半球の小さな大地』『島-日本編』など

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