つくろう、島の未来

2024年12月03日 火曜日

つくろう、島の未来

島とは何か? この問いに向き合う人へお届けする日本島嶼学会参与・長嶋俊介先生(佐渡島在住)による寄稿コラム。第8回目のテーマは、2011年の東日本大震災から10年を振り返りながら考えたい、島の災害について前後編でお届けします。(前編はこちらから)

津波の直接的人的被害

東日本大震災では「離島の人的被害は僅少であった」という伝説が生まれた。振興関係者自らも喧伝していた。

しかし、1993年の北海道南西沖地震で被災した奥尻島(おくしりとう|北海道)では、1990年時点の人口4,604人に対して202人(約4.4%)の犠牲があったが、前編で記載した[表]の通り、東日本大震災を受けた宮城県女川市の出島(いずしま)は2010年時点の人口465人に対して25人(約5.4%)もの犠牲があった。架橋島も含めると、宮城県の離島地域の総人口の1.26%に相当する。これも少ない数ではない。

当時は比較指標がなかったにすぎない。全体的な総浸水地区の死亡率が1.78%(注1)という数字に比してみれば、島側が聖域であったわけではないことがわかる。

住民には、電源喪失による医療機器等の不具合を除けば、逃げ遅れと慢心(第一波後に荷物を取りに帰ったり、船が心配で漁港に向かうなど)があった。

出島の寺間で漁師をしているある老人は、子どもや漁師に「絶対行くな」と言われていたが、直前(前日)と過去の地震を大したことがなかったと感じたため侮って行動。漁船を見に行った。そこで津波に遭い、とっさに漁師ガッパで近くの木の上部に体を縛りつけて助かったが、本人は自分でも日頃から津波に対する避難行動を意識していた。それにもかかわらず、九死に一生の事態を招いたことを恥じていた。

この老人の言葉は重く響いた。失敗学の継承は、津波経験者、関係者、未遂者等を通じ、該当者以外にも幅広く、繰り返し伝えていくことが必要である。

人口激減の意味するものの先を見つめる

被災前の5年間に比べて被災後の5年間の人口激減は[表]を見るまでもなく、顕著な現象である。

事情は島毎にある。その中には一時的(中期的)避難の数も含まれている。出島のように対岸からの通勤が可能な養殖業が維持できても、島の人口として国勢調査には現れない実情もある。

しかし現実的には、やはり重い課題が山積みである。希望は2020年住民基本台帳に見られる、「所属」意識と「地域」への愛着的こだわりである。

2020年国勢調査でどのような数字が出るか不安であるが、少なくとも底を打った「兆候」が島毎に見られる。

2011年の発災直後に東北大学が「持続可能性」を課題の柱に掲げて関わると宣言したように、古くて新しい・未来志向の・創造的持続可能性像が島毎に問われてくるであろう。

若者・起業・出店・よそ者雇用・元気者・ワーケーション・定住促進等の切口に加えて、島らしさの自画像を多様に追究していく積み重ねにも糸口がある。応援団の関わりもまた大切な糸口である。

社会変動を乗り越える力

東日本大震災から10年目が近づいている。発災の翌月下旬、交通網の一部回復を待ち現地入りした。

まだヘドロ臭強い現場で深刻さを学んだ。自然の恵みと表裏をなす厳しさ。備え足りなければ大災害になる。耐えがたい状況下でも島民はたくましかった。

浦戸諸島(うらとしょとう|宮城県)では瓦礫の危険から航路が遮断されても、経由地となる桂島(かつらじま)からの送迎を、朴島(ほおじま)の有志が小舟で続けていた。

寒風沢島(さぶさわじま)では国際NGOオペレーション・ブレッシング・ジャパンが、各個人別にメガネ(後に漁網・小舟・軽トラ)等、ニーズを聞き取りながら供与し、動いていた。このNGOは特定活動法人の認証も得て、多くの島々や沿岸部の支援を続けている。日本のNGO も政府の手が届かない生活臨時資金の個別供与等も機敏にしており、各々の役所(やくどころ)や機能の分担により威力を発揮した。

野々島(ののしま)では、津波で通学路も深くえぐられ池ができていた…….。被災現場には深刻な諸問題があった。それぞれの島々、そして一人ひとりが「それぞれの物語を」重く抱えていた。住民を主人公とする諸々の記憶は、しっかりと継承したい。

2021年1月24日、日本学術会議の防災学術連携シンポジウム「東日本大震災からの十年とこれから」(YouTube配信)ではデータ保存・共有の重要性が指摘された。島に関する被災・復興データの詳細も諸調査内容に明示的ではなく埋め込まれてもいる。抜き出して共有化する必要もある。

その作業の一部として、震災の3年後+4年後に報告書にまとめた(注2)。鹿児島から毎月1回程通い、10年に及ぶ復興プロセスも凝視してきた。

防災・発災・避難・仮設生活(復旧待機)・復旧・復興・恢興(※1)の全プロセスでQOL(quality of life=生活を含むライフ(※2)の質)が問われる。各プロセスで配慮すべき優先順位や重点は、生命・暮らし・人生へ変化していくが、どこかで配慮が欠落したり犠牲にしたもののツケは後々重くのしかかる。

※1 かいこう。絆・協創と並び中越地震でも使われた用語で、「以前よりももっと良くする」の意味

※2 生活(暮らし)に加えて、生命(体の健康等)や人生(守りたい価値観等)を含めたもの

人間の発達における位階制(※)を管理する上では、その全局面において、人々の生理→安全→社会(人間関係)→承認→自己実現(非可逆的下位の優先性)等の確認が必要である。地域・暮らし・復興のバランスでも、ソフト・ハード・ヒューマン・エコ・ココロの総合性を確認することが欠かせない。

※ 一定の価値原理や職能体系のなかで、ピラミッド型に上下の序列が位置づけられた場合の、組織原理および組織体のこと

復興に向けて推奨すべき2組織の活動がある。ひとつは、石巻専修大学の避難所提供および日本家政学会との連携、ふたつめは、宮戸島(みやとじま|宮城県)に拠点を置く奥松島縄文村歴史資料館の文化財を核にする真摯な地域振興の積み上げである。紙面の許す範囲で表紙のみ以下に掲載しておく。

注1)
谷 謙二「小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布」埼玉大学教育学部地理学研究報告, 32 号,pp.1-26, 2012
長嶋俊介『東日本大震災島嶼別被災・復興データベース[資料編] 』鹿児島大学地域防災教育研究センター, pp.1-155, 2014.3
長嶋俊介『東日本大震災島嶼被災の復興途上記録~発災前記録との比較:社会還元報告書~』鹿児島大学国際島嶼教育研究センター・地域防災教育研究センター,pp1-312, 2015.3

奥松島ものがたりNo.2 2014年3月
     

離島経済新聞 目次

寄稿|長嶋俊介・日本島嶼学会参与

長嶋俊介(ながしま・しゅんすけ) 鹿児島大学名誉教授。佐渡生まれ育ち。島をライフワークに公務員・大学人(生活環境学⇒島の研究センター)・NPO支援(前瀬戸内オリーブ基金理事長)。カリブ海調査中の事故(覆面強盗で銃創)で腰痛となり、リハビリでトライアスリートに。5感を大切に国内全離島・全島嶼国を歩き、南極や北極点でも海に潜った。日本島嶼学会を立ち上げ、退職後は島ライフ再開。島学54年。佐渡市環境審議会会長・佐渡市社会教育委員長。著書・編著に『日本の島事典』『日本ネシア論』『世界の島大研究』『日本一長い村トカラ』『九州広域列島論』『水半球の小さな大地』『島-日本編』など

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