つくろう、島の未来

2021年12月01日 水曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破。現在も毎年数十島を巡るという、斎藤 潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第14回は、東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を被った東北の島・江島(えのしま|宮城県)へ。住民基本台帳で人口50人とされている島の震災復興はどうなっているのか、島と人の営みを確かめたいとの思いから、島を目指しました。

江島港から集落を望む(2004年10月撮影)

島人との語らいもなく、一人旅

西日本や南日本に比べ、島の数が少ない東日本にあって、宮城県は東京都と並んで有人島が多い。その中で、一番絶海の孤島らしい雰囲気を漂わせるのが、女川沖に浮かぶ陸前江島(以下、江島)だろう。

2年前の2019年6月下旬に金華山(きんかさん|宮城県)を訪れた時に引っかかった言葉が、最近ふと頭の片隅をよぎった。

金華山に渡る前、観光案内所で同じ女川沖にある出島(いずしま|宮城県)と江島の人口を聞いた。出島が80人くらいで、江島は50人くらいだという。そんなものかなと思っていたら、地元の島事情に通じた人が、「出島はともかく江島は人口が激減して、一桁になっているかもしれない」というではないか。

初めて会った人だが、他の話はどれも説得力があった。さらに、「行政は実際の人口は把握していないと思うが」、などと付け加えながら打ち明けてくれたのだ。

観光案内所の数字とあまりにも隔たりが大きかったが、行政が実人口(この場合生活の拠点が島にある人)を把握しきれていないことはままある。急な坂道が網の目のように張り巡らされた、住環境の厳しい江島の集落を思い浮かべると、一桁の可能性もあるのではと思った。近々直接現地に行って確認しなくてはと、心に決めて早や2年。

この6月下旬、急に江島の実人口が気になりだした。一桁になっていれば、いつ無人化しても不思議ではない。コロナ禍に紛れて行っていなかったが、調べてみたら千葉の自宅から日帰りできると分かった。それなら、確認しに行くしかない。

船会社のサイトで、来島自粛要請が出ていないことを確認していると、「釣りで来島するお客様へのお願い」が目に入った。

コロナ禍、離島での釣り客が増えております。当社にとっては、とてもありがたいことなのですが、残念なことに、島にゴミを置いて行く釣り客が増えて、島から苦情がきております。 釣り餌、釣り針、食べかすが投棄されています。 マナーを守って持ち帰りしていただくようお願い申し上げます。(一部抜粋)

2年前は、オープン直前だった女川町離島航路ターミナルで江島往復の乗船券を買いながら、江島の人口を聞いた。

「50人です。住民票を置いているだけの人もいるかもしれませんが」

最新版の『シマダス』に掲載の人口は38で、現状はそれより多いらしい。『シマダス』は平成27年の国勢調査の数値を採用しているので、より実人口に近い可能性が高いが、タイムラグも大きいので、判断が難しい。

江島へ向かう船の乗客は、自分も含めて4人だけ。陸も海もほとんどが霧に閉ざされ、白い闇の世界に船出するような不安に襲われる。それでも、大きなうねりを掻き分け20分ほど走ると、右手前方に島影が見えてきた。

江島港から見上げた集落(2021年7月撮影)

江島港に入ると、数人が待ち構えている。この雰囲気ならば、人口が一桁ということはないだろう。下船したのは、レジ袋を下げたオジィさんと自分だけ。人を降ろすと船はすぐに離岸し、港にいた人々は軽トラに乗ってたちまち消えた。

向こうから近寄ってくれば別だが、こちらから話しかけるのは控えようと思っていたので、島人との会話は一切なし。

震災の影響なのか、前回訪れた2004年に比べ、港はずいぶん広くなり、建物はなくなっていた。船溜まりには、漁船が6隻舫(もや)われている。以前と比べて活気がないのは、天気だけでなく、人口減少と高齢化のせいだろう。

港周辺をしばらく観察してから、急斜面の上に点在する集落へ直行する階段(車道はひどく遠回り)を登る。昔は、頭上運搬の風習(※)が残っていたそうだが、坂ばかりの島で女たちは想像もつかない苦労をしたのだろう。前回は、港から集落に続く荷揚げ用のケーブルカーもあったが、それもない。

※かつて日本各地でみられた、水瓶などの重たい荷物を頭に乗せて運ぶ風習

かつてあった、港から高台の集落へ荷揚げするためのケーブルカー(2004年10月撮影)

階段を数メートル登ったところに、「女川いのちの石碑―千年後の命を守るために」がという碑が建っていた。「二〇一一・三・一一ここは、東日本大震災津波到達点より高い」という添え書きが刻まれている。それほど高所ではないが、津波は島の周りをすり抜けていったのだろう。きれいに磨かれた花崗岩だが、果たして千年後にこの石碑自体どうなっているか。風化して細かな文字は読み取れなくなっているのではないか、そんなことを思いながら写真を1枚撮る。

ここが簡易郵便局のあった場所かどうか確認できずじまい(2021年7月撮影)

その上は屋敷跡らしき空き地が多く、ポストだけがポツンと立っていた。かつて、簡易郵便局があった場所がここかどうか分からないが、日本郵政グループのサイトには「東日本大震災の影響により業務を休止しております」とあり、国土地理院の地図にも「〒」は記載されたまま。果たして復活はあるのか。

在りし日の江島簡易郵便局(2004年10月撮影)

ポストの前から家々が一番集まっている方へ向かうと、やがて港から登ってきた車道とぶつかった。その少し港寄りに、新しい江島集会所があった。とりあえず車道を江島港と反対側にどこまでも歩くと、これまた広々とした漁港に行き当たった。集落の方へ戻りながら、久須師神社に立ち寄った。県の無形民俗文化財指定の江島法印神楽が奉納される場所だ。

左:奥左から校舎と体育館。左手前にはプール(2004年10月撮影)/右:現在は元体育館だけが残る小中学校跡(2021年7月撮影)

最後は、元小中学校の敷地を訪ねた。小学校に続き、1994年には中学校も閉校。前回訪れた時は、校舎と体育館が自然活動センターとして、研修や宿泊に利用されていた。それも、震災翌年の4月に廃止になり、体育館の建物のみ残っている。

学校の敷地を抜けて夏草で覆われた小径を辿り、景勝の地御伊勢崎自然公園へ向かう。コロナ禍で観光客も来ないからか、ここも草ぼうぼう。それでも、四阿(あずまや)のベンチに座って一息ついた。

江島での滞在時間は、約5時間半。まだ2時間しかたっていないのに、ほぼ全島を歩き尽くしてしまった。江島の面積は36ヘクタールで、東京ドーム8個分に満たない。改めて、その小ささを実感した。

歩かなかったのは、露でびしょびしょなので避けた灯台と栄存神社へ行く道と帰路に下る港への車道。そして、集落の中の細い路地。本当は細い路地歩きが一番好きなのだが、今回はためらわれた。ゆっくり弁当を食べ、カンゾウやハマギク、スカシユリなどの華やかな花々を楽しみ、対岸の荒藪小島に営巣するウミネコを観察し、物思いにふけって時を過ごした。

上りの最終便がくる30分ほど前から、港へパラパラと人が下りてきた。実人口をはじめ、いろいろ聞きたいことはあったが、しばらく無人化の心配はなさそうなので、それは次回にしよう。

連絡船に乗って後甲板で遠ざかる江島を眺めていたら、船員に「波をかぶるので注意してください」と声をかけられ、「ハイ」と返事。それだけの言葉のやりとりに、心が和んだ。島旅の魅力は、なによりも島人との会話にある。今度訪れる時は、心行くまで語り合いたい。


【江島(陸前江島)概要】
●所在地
宮城県牡鹿郡女川町
●人口
50人(2021年3月 住民基本台帳住基人口)
●行政区分
明治22年 町村制施行に伴い、旧仙台藩牡鹿郡女川組20浜の各村が合併し牡鹿郡女川村となる
大正15年 町制施行に伴い、女川町となる

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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