つくろう、島の未来

2024年11月21日 木曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破、現在も毎年数十島を巡るという斎藤潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第35回は、長崎県西海市沖に浮かぶ蛎浦島(かきのうらしま|長崎県)へ。日本三大炭鉱に数えられた崎戸炭鉱(1968年閉山)の全盛期には25,000人もの人が暮らしたという蛎浦島で、失われゆく炭鉱遺産を訪ねます。

崎戸町役場(正面中央)と海岸通り(1988年5月撮影)

草木の繁みに埋もれゆく面影を追って

蛎浦島を初めて訪れたのは、1988年5月だった。何に使われたのか見当もつかない炭鉱遺産(以下、遺産)が見渡す限り点在し、その規模の大きさに圧倒され、しばらく立ち尽くしていた。

1968年の閉山から20年経つのに、遺産がずいぶんあるな。

炭鉱記念公園から製塩工場を望む(1988年5月撮影)
炭鉱記念公園から蛎浦集落、無田島を一望(1988年5月撮影)

そこから離れたくなかったのか、あるいは行き場がなかったのか、崩れかけた炭住(炭鉱住宅)の一隅に暮らす人もいた。罅(ひび)の入った窓から、じっと外を見つめている。顔に深く皺(しわ)が刻まれた彼の目には、何が映っているのか。そんなことを想いながら何点か写真を撮り、さらに先の崎戸島(さきとじま|長崎県)を目指した。

独身炭鉱マンたちが暮らしていた平和寮(1988年5月撮影)

その後、何回か蛎浦島に立ち寄り、変わりゆく姿をちらちらと見てはいたが、いつも通過してばかり。

草に埋もれた坑口(中央)の傍らに大煙突が残っていた。彼方には高峰の炭住アパートが(2010年7月撮影)
まだ健康保険プールの跡が残っていた(2010年7月撮影)

コロナで逼塞中に整理をしていたら、35年前の写真が出てきた。今はどうなっているのだろう。ネットやシマダスで調べてみると、炭鉱の面影を宿すものはほとんど消えたが、一部は保存の動きがあるらしい。蛎浦島を主目的地にして、一度は泊まってみようと出かけたのが、昨年の9月だった。

炭鉱遺産関連の動向を知りたかったので、最初に石炭記念公園にある崎戸歴史民俗資料館へ向かった。

公園の展望台に登り周辺をぐるりと見渡しても、遺産らしき構築物はほとんど目に入らなかった。それでも、赤煉瓦の巻上機倉庫、海中の橋脚、淡い水色に塗り替えられた炭鉱住宅アパート(製塩会社の社宅になっているらしい)、公園下の坑口、その向かいの会社敷地に残る坑口などが目についた。近くに大煙突があったはずだが、見当たらない。あれも、解体されたのか。

炭鉱記念公園から製塩工場を望む(2022年9月撮影)
炭鉱記念公園から蛎浦集落、無田島を一望(2022年9月撮影)

お目当ての資料館で、さっそく遺産を巡る最近の動きについて聞いた。こちらの期待に反して、むしろ着々と消えつつあるという。巻上機庫の近くにあった貯炭槽や資料館前にあった大煙突、健康保険プールなども、この何年間かで続々と姿を消していた。

さらに、最後まで残っていた大物の高峰の炭鉱住宅アパートも老朽が著しく、近々取り壊されることになっているらしい。淡い水色に塗り替えられ、一見まだ新しそうに見えるが、内実は相当傷みが激しいのだろう。最終的に残るのは、西海市の文化財指定を受けている赤煉瓦の巻上機庫くらいになるのではないか。

西海市が保存に熱心でないのは、自治体の権限が及ばない私有物(社有物)が大半なので、勝手に口出しはできないから。プールの取り壊しの時も、会社側から決定事項として伝えられたという。昔の姿を知るものとしては寂しさも感じるが、では残してどうするのかと問われれば、説得力がある答えは見つからない。ノスタルジーだけで、保存しようとならないのは、当然だろう。

また、産業遺産の見直しは各地で進んでおり、それを観光的に利用しようと考えているところも多い。炭鉱関連遺産というジャンルで見れば、世界遺産の軍艦島と高島(たかしま|長崎県長崎市)、炭鉱体験ツアーを実施している池島(いけしま|長崎県)など先行者がおり、崎戸炭鉱が新たに加わる余地はない。そして、それらを凌駕する遺産はもっていない、というのが現実だろう。

健康保険プール跡地は手前のコンクリートに面影を残すのみ(2022年9月撮影)

かつての炭住地帯を歩きたいというと、学芸員がだいぶ前に作成したという周辺の関連地図をプリントアウトしてくれた。しかし、崎戸炭鉱病院、崎戸中学校、デパート、道場、図書館、プール、平和寮、福浦館と共楽館など、主な遺産は失われて跡形もないという。

ということは、メインストリート跡と駐在所跡くらいしかないじゃないか。それも「跡」。炭住地帯には、もう何も残っていないといっていい。強いて言えば、建物を支えていた石垣くらいだろうか。そうやって、すべてが時の狭間や草木の繁みに埋もれていくのだろう。

炭住地帯の中心地には何の痕跡もない(2022年9月撮影)

翌日、資料館でもらった炭住跡地の地図をもって現地へ赴くと、大半が芝生でおおわれた公園「さんさん元気らんど」になっていた。地図上のメインストリート周辺は、どこも立入禁止となっていて、昔を偲ぶよすがといえば何気なく残る石垣くらいしかない。

ほとんどふて腐れ気味で東屋のベンチに寝ころび、吹かれた風の気持ちよかったこと。胸のつかえがとれて、スッキリしている自分に気づいた。

池島炭鉱(※)閉山から、ほぼ20年。まだ、遺産がひしめいているが、さらに35年過ぎると、池島はどうなるのか。蛎浦島の光景は、遠からぬ未来を暗示しているようだった。

※2001年閉山。池島周辺の海底に広がる坑道総延長距離約90kmの巨大な海底炭鉱。


【蛎浦島概要】
●所在地
長崎県 西海市
●人口
816人(2023年3月 住民基本台帳人口)
●行政区分
明治22年 町村制施行に伴い西彼杵郡崎戸村となる
昭和06年 町制施行に伴い西彼杵郡崎戸町となる
昭和31年 江島村・平島村を合併
平成17年 合併により西海市となる

     

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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