つくろう、島の未来

2023年03月20日 月曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破、現在も毎年数十島を巡るという斎藤潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第32回は、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島々の一つ、小佐木島(こさぎじま|広島県 三原市)へ。人口4人、平均年齢が90歳を超える島を訪れる中で感じた活気を綴ります。

左の建物がのちの再生古民家BH1となる(2001年10月撮影)

「小佐木みたいなところがあってこそ、日本は存続できるじゃけ」

何年か前、人口10人ほどの小佐木島に宿ができたと聞いた時、様々な想いが渦巻いた。
たぶん、あの再生古民家を利用した宿だろう。
昨秋、何回か予約を試みたが、満室、スタッフの休養日、コロナワクチンの接種日など、様々な理由で断られてしまった。逆に、空いていますと提案された日は、残念ながら都合が悪い。
そんな行き違いが続いた「宿NAVELの学校」だったが、今年の正月やっと予約がとれて島へ向った。
予約する時、かつて見学した再生古民家を利用した宿か確認したところ、なんと予想は裏切られた。どんな素性の宿なのか、ますます興味がそそられる。

小佐木島に続々と上陸する人々(2023年1月撮影)

宿泊当日、三原港12時10分発小佐木島経由生口島(いくちじま|広島県)行きの船には、20人以上が乗船した。大きめの荷物を持った人は、瀬戸田へ向かう観光客だろう。それとも、自分以外に小佐木島へ冬場泊りに行くもの好きがいるのか。
気持ちよく晴れ渡っていたので温かい客室には入らず、寒いけれど後甲板で移ろう風景を眺めながら島へ渡った。

下船する人は他にいないだろうと、小佐木島接岸後も甲板で悠然と構えていたら、大半の乗客が先に降りてしまった。
土曜日で荷物も大きいということは、みな宿泊客なのか。訝っているうちに、たちまち路地に吸い込まれるよう姿を消した。住人は4、5人のはずなのに、どういう人たちなのだろう。残されたのはぼくだけで、宿の迎えの奥信さんが待っているばかり。

「宿NAVELの学校」とカフェ風の「ばあちゃん食堂」(2023年1月撮影)

確認した通り、案内された古民家は以前見学したBH1でもBH2(ビオハウス)(詳細は後述)でもなく、公民館の脇を入った、さもない民家。一瞬そう見えたが、屋外に設置されたテーブルとパラソル、隣接してセンスのよいカフェスペースもあり、都会人が喜びそうな雰囲気が漂う。
ありふれた民家の玄関には、大きな飾り布が張ってあり、おしゃれ。一歩足を踏み入れた玄関は、民家そのものだったし、廊下の様子もそれほど変わりはない。しかし、廊下から客室や浴室、トイレに入ると、便利で都合のよい都会の家そのままの造りだった。

泊まった部屋(2023年1月撮影)

定期航路問題を取材するため、初めて小佐木島を訪れたのは2001年10月だった。
長らく、三原と佐木島(さぎじま|広島県)の向田を往復するフェリーが、小佐木島に寄港していた。しかし、小佐木の人口が減るにつれて利用者も減少し、週に火・金曜の2日(1日3便)だけに減便になった。そして、1999年の8月下旬からまったく寄港しなくなってしまったのだ。
船会社にも言い分はあるのだが、島人たちは途方に暮れた。とりあえず、自家用船を融通しあって往来するしかない。

三原港に停泊中の第3豊丸(手前)と以前小佐木に寄港していた幸運丸(奥)(2001年10月撮影)

それから約2年後の2001年10月取材に訪れた時は、多くの紆余曲折があった挙句、小型フェリーが三原と小佐木島の間を1日4往復していた。
小型フェリーを自主運航させるため‎、島人たちは有限会社小佐木島渡船委員会を立ち上げて、そこへ三原市から補助金が支給されるようになっていた。
当時、小佐木島の人口は、20。渡船委員会代表は75歳の吉村和雄さんで、区長は70歳の岡本正穂さんだった。吉村さんが、毅然と言った。
「小佐木みたいなところがあってこそ、日本は存続できるじゃけ。東京や大阪だけでは、日本はなりたたん。もっと、百年の大計を考えてくれんと」
その後、瀬戸田へ通う船が1日4便寄港するようになって、現在に至っている。

左の建物が再生古民家BH1(2014年4月撮影)

2014年4月、久しぶりに小佐木島を訪ねた。公益財団法人として認められたポエック里海財団が、小佐木島に活力を吹き込んでいるという情報に接し、代表の来山哲二さんに話を聞きに行ったのだ。同財団の活動の主体は、小鷺島ビオアイル計画だという。

「小鷺島ビオアイル計画」とは広島県三原市にある小佐木島を舞台とし、島の古来の名称である「小鷺島」が表すような自然と共生する誇りある文化と歴史を、芸術の力を借りて島を一個の生命体と捉えて新たに再生するプロジェクトです。

当時、BH(ビオハウス)1と呼ばれる古民家の再生は終了し、BH2は6月に着工し、2014年中には再生を完了する予定だった。
リフォームコンセプトは、「瀬戸内海特有の焼杉で外壁を覆い、風景にとけ込むようにデザインされています。小佐木島の模型や今後の計画案の展示、島民や来場者とのコミュニケーションの場となります」。

展覧会見学にたくさんの人が上陸(2015年5月)

2015年春、小佐木島のBHを会場に来山さんと関係の深い日本画家千住博氏の展覧会(無料)が行われたので、連休を利用して見学に行くと、小佐木島とは思えぬほど多くの人が訪れていた。
その後、ポエック里海財団は地道な活動を継続していると聞いていたので、ついにBHを利用して宿をはじめたのか、と思い込んでしまったのだ。

初めての取材時70歳だった岡本正穂区長は、まだ元気に区長を続けていた。
「数えで、もう93歳じゃ。最近1人病院へ入ったから、4人しかおらん」
男性は岡本さんのみで、あとは岡本夫人を含め3人とも女性。島人の平均年齢は90歳を超えるという。

再生古民家BH2に展示された「タイドウォーター」を見学する人たち(2015年5月撮影)

宿をはじめたのは、札幌在住の著名な建築家で小学生時代三原に住んだことがある鈴木敏司さん。岡本さん宅の隣にある、しゃれた新築の木造家屋は、鈴木さんが建てたものだという。これまで札幌がメインだった鈴木さんだが、今年からもっと小佐木島に重点を置くらしい。

なぜ下船客が多かったのか、岡本さんに聞いて納得した。
出身者が島を忘れずに、毎週戻ってくる。あるいは、しばしば足を運ぶ。島を別荘感覚で使っている彼らの存在が、島の活気を保っていると感謝しつつも、岡本さんはもっと深く島と関わって欲しいと思っているようだった。

宿の社長奥信さんによれば、宿とポエック里海財団はいい関係で、小佐木島を盛り上げようと協力しているというから、ありがたい。
ややもすると後ろ向きの話になりがちな本連載なので、今回のような明るい芽吹きを報告できるのは願ったり叶ったり。
宿を経営する鈴木敏司さん、ポエックの来山哲二さんの小佐木島に寄せる思いを聞くために、遠からず小佐木島を訪ねたい。いや、訪ねなくては。


【小佐木島概要】
●所在地
広島県 三原市
●人口
5人(2020年 国勢調査)
●行政区分
明治22年 町村制施行に伴い豊田郡鷺浦村となる
昭和31年 合併により三原市となる

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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