つくろう、島の未来

2022年12月02日 金曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破。現在も毎年数十島を巡るという、斎藤 潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第28回は、2001年に閉山した九州最後の炭鉱の島・池島(いけしま|長崎県)へ。最先端の技術を取り入れて栄えていた1993年から度々池島を訪れてきた斎藤さんが、写真とともに在りし日の面影を描きます。

郷地区の繁華街にあったパチンコ屋(1993年12月撮影)

炭鉱町の賑わいは幻のように

なぜ、池島にひかれ続けているのだろう。
一部の愛好家のようにぞっこん惚れ込んでいるわけではないが、なぜか池島は心の片隅に住みついていつまでも離れようとしない。

最初に訪れたのは、1993年の師走だった。訪島の理由は未踏だったからだが、それ以上に軍艦島(端島)のようになる前に、炭鉱の島を体感しておきたい、という思いも強かった。

当時、全国で炭鉱の閉山が相次ぐ中にあって、池島はまだイケイケで栄えていて、ウチは他のヤマ(炭鉱)とは違うという雰囲気が強かった。敗戦後新たに開かれた炭鉱で、積極的に最新技術を取り入れ、合理化省力化を推進。石炭から石油へというエネルギー変革の流れの中で、最期まで生き延びる炭鉱は池島だろうと目されていた。

海岸線近くから郷地区を見上げて一望(1993年12月撮影)

それでも、最盛期の勢いはないと語る島人が多かった。しかし、すでに閉山していた大島(おおしま|現・長崎県西海市)や蛎浦島(かきのうらしま|現・長崎県西海市)、高島(たかしま|現・長崎県長崎市)を歩いてきた旅人からすれば、池島は光り輝いて見えた。

特に、宿をとった郷地区の狭い路地は、紅灯の巷という言葉がぴったりの気配が漂っていた。こぢんまりとしたスナックがあまた軒を連ね、宿の隣とすぐ近所にパチンコ屋が2軒あり、どこもそこそこ繁盛しているようだった。

登下校時に散歩していると、ひっきりなしに素敵な笑顔の子どもたちとすれ違い、朗らかな彼らの挨拶に応えるだけで疲れそうなほど。今の子どもたちより、表情にメリハリがあったように思い出されるのは、時が流れたせいだろうか。

技術的に最先端を行く池島だったが、どこか人間臭さを感じさせてくれ、違う季節にまた訪ねてみたいと思った。機械化が進んでいるとはいえ、まだ人間が主役だったからか。

郷地区の下の方にあったパチンコ屋(1993年12月撮影)

次に池島に上陸したのは、悲しい現実と向き合うためだった。
会社側は、直前までまだ閉山はしないと明言していたにもかかわらず、突如閉山を発表したのだ。閉山前後の池島の様子を目に焼き付けておこうと、2001年11月28日、やっと再訪を果たした。

最後に入坑する炭鉱マンたちも、閉山の挨拶をする会社の人たちも、思いの外淡々としていた。それぞれ池島に残る想いがないはずはないが、大きな時代の流れには抗いようがないという諦念が、ヤマを支配しているようだった。

閉山前日の郷地区の繁華街(2001年11月撮影)

それでも、夜になると狭い谷間の繁華街でパチンコ屋が煌々と光を放ち、存在を主張していた。しかし、中で遊ぶ人影はまばら。繁華街でも閉山の打上げをする酔客はほとんどおらず、暗くなってからも引っ越しや転職する人たちが、炭鉱住宅街の路地をせわし気に行き交っていた。

池島鉱閉山前日のパチンコ屋(2001年11月撮影)

閉山当日、薄暮の海岸通り商店街をぶらつくと、焼き鳥屋から賑やかな声が漏れてきたが、どんな人たちが盃を交わしているのか、のぞいてみることはできなかった。

郷地区の海岸通り商店街(2001年11月撮影)

閉山の翌々月、2002年の1月に郷地区の繁華街を歩くと、宿の隣のパチンコ屋は健在だった(写真左)。しかし、人影は少なく商売は厳しそう。同年の秋には、もう看板が取り払われていた。住人が激減している中にあって、予想された廃業だった。まだ建物の壁には店名が薄っすらと浮かび上がり、閉店間もないことを語っていた(写真右)。

郷地区の繁華街にあったパチンコ屋は廃業に(左:2002年1月撮影/右:2002年9月撮影)

パチンコ屋を定点観察していたわけではないが、曲がりくねった坂道の途中にある目立つ建物なので、旧繁華街を通るたびについついシャッターを押してしまう。
やがて、建物の壁からパチンコ屋の気配が消えうせ、今や建物は半ばツタや草木に覆われ、店内も通りから丸見えになっている。

郷地区の繁華街にあったパチンコ屋のその後(左:2010年9月撮影/右:2022年9月撮影)

海岸通りの商店街も、その後訪れるたびに歩いてきたが、今秋改めて辿ってみたところ、紅灯の看板を掲げていた焼き鳥屋(写真左)は、ほとんど倒壊寸前(写真右)だった。大きな建物が情けなく崩れ落ち、商店街のメインストリートを半ば埋めている場所もある。

郷地区の海岸通り商店街(左:2001年11月撮影/右:2022年9月撮影)

放置された空き家は全国的に問題化しているが、過疎が否応なく進行している池島で、今後どうなっていくのだろう。妙案があればいいのだが、どこも八方手づまり。

それでも、当てもなく歩いていると、なんだか心がゆるゆるとほぐれていくような安らぎを感じてしまう。まるで、自分の人生の盛衰をなぞっているように感じられるからか。池島の将来について、どうしようもないやるせなさを感じつつも、また遠からず訪れることになるのだろう。


【池島概要】
●所在地
長崎県長崎市
●人口
107人(2022年6月 住民基本台帳人口)
●行政区分
明治22年 町村制施行に伴い西臼杵郡神浦村となる
昭和30年 黒崎村と合併し、外海村となる
昭和35年 町制施行に伴い外海町となる
平成17年 香焼町・伊王島町・高島町・野母崎町・三和町と共に長崎市に編入、長崎市となる

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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