つくろう、島の未来

2022年07月06日 水曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破。現在も毎年数十島を巡るという、斎藤 潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第23回は、八重山諸島(やえやましょとう|沖縄県)のひとつ、鳩間島(はとまじま|沖縄県)へ。1976年に初めて訪れた鳩間島での郵便局にまつわる思い出を振り返り、対岸の西表島(いりおもてじま|沖縄県)の郵便事情にも思いを巡らせます。

鳩間島灯台と鳩間郵便局(右上)(1976年10月撮影)

地域の通信・物流・金融を担い続ける島の郵便局

初めて鳩間島を訪れた時の記憶を手繰ってみると、鳩間にいないはずのハブと戯れていた郵便局員の姿に行きつく。
人口が20人足らずになってしまった島に、まだ職員が3人もいる郵便局があり、西表島へ行ったついでに暇だったからハブを捕まえてきたというシーン。
鮮明だった自分の記憶では、1975年の春のことだった。

わざわざ西表島から連れてこられたハブ(1976年10月撮影)

しかし、今回改めて当時の写真を探して検討した結果、初めて鳩間島を訪ねたのは、その翌年の秋、西表島に3回目の長期滞在をした時らしいと判明。
決め手は、1976年10月に撮影した鳩間島の写真にハブが見つかり、当時使っていた郵便通帳に鳩間島で出金した記録があったこと。
写真代がいくら高くついた時代とはいえ、その前に鳩間島を訪れているならば、何枚かは撮っているはずだが、それが見つからない。

また、船便が少ないため簡単に渡島できず、行ったならば何泊かせざるを得なかったはずなのに、泊まった記憶も記録もない。
1974年に訪れて以来、毎年西表島上原の民宿カンピラ荘に何週間も入り浸り、鳩間島出身の女将千江子オバァから生まれ島の話を繰り返し聞いていたので、行ったような気分になっていたのかもしれない。

日頃はほとんど意識することもない郵便局だが、人口規模が小さな島へ行くと、その存在が俄かに膨らんで見えてくる。郵便局は学校と並ぶ2大公共機関で、いずれも地域社会で果たす役割は都市部とは比較にならないほど大きい。鳩間島の郵便局が強く印象に残ったのは、ハブ以外にも大きな理由がある。こんな小さな集落なのに、一丁前に郵便局があるなんて!(鳩間の皆さんすみません)そんな思い。

1976年10月時点における、鳩間島と西表西部の人口を比べてみよう。鳩間島39(1974年5月には最低の30人を記録している)。西表西部の上原365、西表286、白浜156、舟浮42。4地区を合わせた総人口は849で、祖納(そない/西表地区)にある西表島郵便局が西表西部すべてをカバーしていた。それなのに、鳩間島はなんて贅沢なんだ。なぜそう感じたか。『竹富町史6鳩間島』から、引用してみよう。

1955年4月12日付『八重山新報』によれば、上原地区には郵便局がなかったため、政府や市町村はもとより各種団体、各個人間の連絡は取れず、為替、貯金、電報を利用するときは、4km離れた鳩間島や10km離れた祖納に行かねばならず、不便を来していたという。

1950年代半ばごろの鳩間郵便局は、鳩間島の住民のみならず対岸の上原地区の住民にも利用されていた。

4キロメートルしか離れていなくても海を隔てた鳩間島より、10キロメートル離れていても地続きの祖納へ行った方が便利そうだが、途中に沖縄一の大河浦内川があるので渡し船で越え、未舗装の踏み跡のような道を行かなくてはならないことを考えると、困難さは似たようなものだった。ようやく浦内川に橋が架かったのは、日米首脳会談で沖縄返還が決まった1969年になってから。

沖縄復帰後も、地元上原の人にとってはもちろん、旅人にとっても祖納にある西部唯一の郵便局は、遠い存在だった。最初に西表を訪ねた頃、「今日は郵便局に行く日」と決めて行ったものだった。バスなどの交通機関も、レンタサイクルもレンタカーもない。だから、往復20キロを歩くしかなかった。

主な目的は、電話をかけるため。電話のある家はほとんどなく、宿ももちろん電話などない。個人的な電話は郵便局へ行って申し込み、回線が空く順番をひたすら待たねばならなかった。そこに、特急料金を払う人間が時々割り込んでくるので、自分の番がいつ来るのか見当もつかない。気づけば、電話1本かけに行って1日が終わることもあった。
だから、郵便局のような大それた公共施設が、鳩間のような小島にあるだけで驚きだったのだ。

今回改めて調べてみたら、記憶とは少し違い当時の人口は39人で、郵便局には局長以下2人の常駐職員がいたと分かった。この人口ではいつ郵便局がなくなるのだろうと案じていたら、鳩間島の人々は業務受託し簡易郵便局として存続させる道を選んだ。
1985年に再訪すると、以前郵便局があった場所は空き地となり、集落内に新しい簡易郵便局ができていた。1981年に開設されたという。再び移転して、現在は海辺の食事処シーサイドマイトウゼの一角に、2代目の簡易郵便局が建っている。

ちなみに、2022年3月現在の人口は、以下の通り。
鳩間島57、上原1044(※)、西表238、白浜121、舟浮40で、西表西部の総人口は1443。西部の主要港は上原港となりコロナ禍にもめげず観光客で賑わっているが、もちろん上原に郵便局はないままだ。恐らく、今後できることもないだろう。

※上原地区には、船浦、上原、中野、住吉、浦内が、西表地区には、祖納と干立が含まれる。

現在の鳩間簡易郵便局(2021年10月撮影)

【鳩間島概要】
●所在地
沖縄県八重山郡竹富町
●人口
57人(2022年3月 住民基本台帳人口)
●行政区分
明治41年 沖縄県及島嶼町村制の施行により八重山郡八重山村の一部となる
大正 3年 八重山村が4村(石垣・大浜・竹富・与那国)に分村され、竹富村として分立
昭和21年 南西諸島の行政分離により米国施政権下に入る
昭和23年 南部琉球(米軍)郡政府の許可により竹富村から竹富町に昇格
昭和47年 本土復帰

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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