2021年、世界自然遺産に登録された沖縄・西表島を舞台にしたドキュメンタリー映画『Us 4 IRIOMOTE THE MOVIE 生生流転』がYouTubeで公開された。
壮大な自然の中で生きる人々の姿を追い、想いを集めた同作品の監督は、西表島(いりおもてじま|沖縄県)の隣島・石垣島(いしがきじま|沖縄県)で生まれ育った仲程長治さん。写真家やアートディレクターとして活躍する仲程さんに、話を聞いた。
聞き手・石原みどり 写真・仲程長治
※この記事は『季刊ritokei』37号(2022年2月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。
- ritokei
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石垣島で生まれ育ったとのこと。子どもの頃からものづくりが好きだったのでしょうか。
- 仲程さん
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親父が島で大工をしていたのですが、昔の大工は家が完成すると、床の間に飾る掛け軸や欄間の飾り彫りまで一人で手がけていました。姉が二人いて、彼女たちも画用紙や、余ったベニヤ板にずっと何かを描いていました。
そんな家族を身近で見ていたので、僕も小学校に上がる前から絵を描いていた記憶があります。その当時、石垣島では(テレビ番組で)NHKしか放送されていなかったので、那覇に出かけたときに民放などでアニメを覚えて島に帰っていましたね。
- ritokei
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石垣島を離れたのはいつでしょうか?
- 仲程さん
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高校を卒業して、東京のインテリア専門学校に進学しました。インテリアの授業はつまらなくて、写真を撮ったりロゴをつくったりするグラフィックデザインを知り、なんだここに僕の行く道があったのかと悟りました。
そんな時期に沖縄の友人と電話をしていたら沖縄が恋しくなり、専門学校を中退して首里の観光写真屋でアルバイトを始めました。
そこでカメラを教わりながら、露出を絞るほどピントが合ってくるんだよ、と聞いたとき、これは僕が育った島の家の中と全く同じだなと気づいたんです。
- ritokei
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カメラと島の家の中が同じとは、どういうことですか?
- 仲程さん
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台風の時、雨戸を閉めて部屋の中にいると、台風の目に入ったときに、雨戸のふし穴から室内に光が差し込んで、外の風景が壁に映るんです。
その時に穴が大きければぼやけて映り、小さい穴だとくっきりとしていた。それでカメラを身近に感じました。
- ritokei
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島の木造家屋とカメラが結びつくとは。島で育ったからこその気づきですね。
- 仲程さん
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那覇では看板屋さんでペンキの調色のアルバイトをして、看板制作のノウハウを学びました。その頃、家の近くに大きくて素敵な看板があって、手で触れても筆の跡が一切ない。一体どうなっているんだろう?と不思議に思い、毎日その看板を触っていたんです。
その後、その看板を手がけた名嘉睦稔(なか・ぼくねん)さん(伊是名島出身のアーティスト)のデザイン事務所に入ってシルクスクリーン印刷や、ポスター、ロゴマークなどのグラフィックデザインを学びました。
- ritokei
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出会いが自然と繋がっていきますね。ご自身の作品では沖縄の陰影をテーマにされていますが、どのような思いがあるのでしょうか。
- 仲程さん
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沖縄の自然といえば、青い空と青い海というイメージはみんな知っていますよね。でも、空や海には鮮やかな青が出る時間帯があって、それ以外の時間も当然あるんです。
僕は子どもの頃から体が弱く、運動が苦手で、よく廊下の窓から首を乗り出して外を見ていました。だから、石垣島の薄暗い室内から見る、切り取られたような屋外の景色が大好きなんです。
バナナの葉が枯れていく姿や、木の実や花が落ちていくのを毎日見ていました。特に咲き始めた花が美しくて、その若い花の周りで、先に咲いていたお母さんや、おばあちゃんの花が見守っている。下に落ちてる花もある。花の鮮やかな赤も黄色も、太陽の光でどんどん茶色になって、やがて土に還っていく。
全てひっくるめて美しいと感じるんです。ぼーっと見ていると脳が活性化されてきて、植物ごとに異なる配列を感じたりすることもあります。そこから琉球の黄金比率みたいなものが学べることもあるんじゃないかな。印刷などに使われる色見本に、和の色見本集がありますが、僕は琉球の色を集めてみたいんです。
例えば、沖縄に咲く赤花(ハイビスカス)の、盛りの時の色から散るまでの間の色。そんな沖縄らしい色を集めて「琉球カラーチャート」を表現できたらおもしろいなと思って。
- ritokei
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生命の移ろいを映し込んだ琉球の色なのですね。植物ごとの配列という視点もおもしろいです。
- 仲程さん
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睦稔さんは葉っぱや花を取ると、全部必ず指先で感触を調べて「指が目なんだよ」と言っていました。触って、肌目や葉脈のつき方を覚えておけば、どこでもデッサンができるんだと。
- ritokei
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沖縄以外でも島に赴くことはありますか。
- 仲程さん
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僕は自然と人が共存しているハワイ島が大好きで、かつては沖縄全体もそうだったんだろうと思います。海辺に防波堤がなくて、海から陸地に寄せてくる波と、山から海に向かうように生える海岸の植物が、海岸でせめぎあっている。
いま石垣市役所がある辺りには、かつてヒルガオが咲く白い砂浜がありました。どうしてそこを埋め立ててしまったのだろう。僕が撮る写真にはすべて、人工物は入れません。
- ritokei
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ドキュメンタリー映画『Us 4 IRIOMOTE THE MOVIE 生生流転(以下、生生流転)』では、島にある自然を活かした農や染織に取り組む石垣金星(きんせい)さん・昭子さん夫妻や、イリオモテヤマネコのロードキルを防ぐために活動する子どもたちなど、西表島の自然との共生を図り生きる人々が描かれています。映画を撮ることになったきっかけは?
- 仲程さん
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2005年に仕事で西表島に行き、金星さんと知り合いました。みんなに島の言葉や習わしを教えて、西表島のことを何でも知っている彼の話を聞いているうちに、島の文化を継承するために、金星さんがやっていることを何かの形で残さないといけないと、強く思ったんです。
その後2009年に雑誌『モモト』を創刊し、ものづくりの原点として「手」を表紙にしたいと考えました。その時に、皺だらけの、藍で染まった美しい金星さんの手を思い出し「これこそ島人の手だ」と、彼の手の写真を表紙に選びました。
2018年に(フットウェアブランドの)「KEEN」の動画撮影で西表島を再訪する機会があって、金星さんに再会しました。その時、一緒に西表島を巡ったキーン・ジャパン代表の方と「映画を撮りましょう」と約束し、そこから3年かけて『生生流転』を完成させました。
- ritokei
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『生生流転』にも多くのヒントがあると感じますが、人々が末永く健やかに生きていくために、経済と自然や人の暮らしのバランスはどのようにあるべきとお考えですか?
- 仲程さん
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お金はお金で役割を果たしていて、現代社会の中でなくてはならないものです。でも、僕の人生の中で、お金を目的として何かをやるということは一切なかったですね。子どもの頃からの興味や人との出会いがつながり、仕事をしてきました。
「すくぶん」という言葉を知っていますか?沖縄の方言で「生まれ持った使命や役割」を指します。使命を果たしていれば、お金はついてくる。
僕は、自分が写真を「撮っている」というイメージが全くないんです、自然や皆さんに「撮らされている」。だから、不必要にシャッターを押したり、画の中にものをたくさん入れたりしない。必要なものだけ入れよう、といつも思っている。
それは、島にあるものをいただいて生きる金星さんたちが、自然に対して「少しだけ分けてください」という姿勢と同じ。僕に、あなたを少しだけ分けてくださいね、という感謝の気持ちなんです。それが、大切なことなんじゃないかな。
- ritokei
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これから映画をご覧になる方に向けて伝えたいことは。
- 仲程さん
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西表島には山があって川があって海があり、人もいて動物もいて、島はみんなで共存している。今のあなたにはそれがありますか?映画を見て、西表島からの問いかけを感じてみてください。島のありがたさをちゃんと知ってから旅しましょう。
仲程長治(なかほど・ちょうじ)
1959年、石垣島生まれ。高校卒業後、東京でインテリアデザインを学び、20代より沖縄県内で多種多様なアートデザインを手がける。2008年、写真家としての活動を本格的にスタート。2017年より「やんばるアートフェスティバル」の総合ディレクターを務める。2018年より「Us 4 IRIOMOTE」プロジェクトに参加、ドキュメンタリー映画『Us 4 IRIOMOTE THE MOVIE 生生流転』を制作。「琉球・沖縄の陰翳美」をテーマに、グラフィックデザインやカリグラフィ、写真、映像制作、アートイベント開催など、多岐に渡る表現活動を行っている。
東京在住、2014年より『ritokei』編集・記事執筆。離島の酒とおいしいもの巡りがライフワーク。鹿児島県酒造組合 奄美支部が認定する「奄美黒糖焼酎語り部」第7号。著書に奄美群島の黒糖焼酎の本『あまみの甘み 奄美の香り』(共著・鯨本あつこ、西日本出版社)。ここ数年、徳之島で出会った巨石の線刻画と沖縄・奄美にかつてあった刺青「ハジチ」の文化が気になっている。