つくろう、島の未来

2024年10月13日 日曜日

つくろう、島の未来

1993年に日本で初めて世界自然遺産に登録された屋久島。中心には標高1,936メートルの宮之浦岳がそびえ、山々には推定樹齢7,200年の縄文杉が今もなお生き続けている。

壮大な自然の中で生まれ育ち、著名ミュージシャンやアスリートの心身をサポートするヒューマンアーティストとして活動するGETTAMAN(ゲッタマン)こと竹之内敏さんに、自らの体験を通じた屋久島の魅力を伺いました。

(聞き手・石原みどり 写真・渡邊和弘)

※この記事は『ritokei』29号(2019年8月発行号)掲載記事です。

ritokei

「ゲッタマン」という愛称はどのようについたのでしょう?

ゲッタマン

23年前にホノルルマラソンに出場したのがきっかけです。運動や栄養の指導のためにハワイに行ったところ、現地の方に「お前も走れ」と言われ、「普通に走るのは面白くないから」といって出されたのが羽織袴と高下駄でした。

ritokei

まさか高下駄でフルマラソンを走られたんですか?

ゲッタマン

高下駄って履いたことあります?重心が前のめりになるので走るのもままならない。すぐにリタイアしようと思っていたんですが、スタートするとまるで潮が引くみたいに、みんなが道を開けてくれるんです。5キロを過ぎた頃から血が流れはじめ、10キロを過ぎると白い骨が見えてくる。痛さを我慢することができないので、周りで立ち止まっている人たちに対してやけくそで「グッジョブ!」「メリークリスマス!」と、声を掛けながら、死に物狂いで5時間半かけてゴールして、そのまま担架で運ばれました。

ritokei

すごいですね。

ゲッタマン

翌年、ホノルル空港に行くと、私がマラソンのポスターになっていて「ゲッタマンに会うと幸せが訪れる」と書かれていたんです。そこから引くに引けなくなって、今に至ります。

ritokei

そんなゲッタマンさんは屋久島で生まれ育ったとのこと。

ゲッタマン

18歳まで屋久島にいました。でも子供のときは学校にうまく馴染めなくて、落ちこぼれていました。勉強もやらないし、漢字も書けない。自然の中にいるのが一番だなと思って、海に潜って魚を突いたり、木の実を採って食べたり、猿を追いかけたり。とにかく走ってばかりいました。

ritokei

自然の中にいるのが合っていたんですね。

ゲッタマン

でも、同時に自分が壊れていくような感じもしていました。何も勉強しないし、地域とも相容れない。島の中での引きこもりだったんです。大学生になってもまだ引きこもっていて、トレーニングしかやっていなかった。人間社会に溶け込めたのは社会人になってからで、そこから本領発揮したんです。

ritokei

その理由は?

ゲッタマン

自分の価値基準が人間社会じゃなくて自然社会だったからです。屋久島の自然は強すぎて、風雨に打たれるし、岩礁でも怪我をする。傷だらけにもなれば、殺されそうにもなる強すぎる自然の中で、私は常に連戦連敗でした。だから、自分を培ってきた屋久島の有り様に比べたら、人間社会のちょっとしたトラブルとか軋轢なんかはさざ波程度と感じられたんです。

25歳だったんですが、東京で配属された部署は超エリート集団で、そこに入った屋久島の猿のような自分は超落第生。数学の公式もわからない、地獄のような状態でしたが、その頃たまたま見かけたスポーツ雑誌のトライアスロン大会に出場したら、初出場で優勝しちゃったんです。

ritokei

すごいですね。

ゲッタマン

上司から「これ、お前か?」と言われ、当時、社内事業として立ち上がっていたフィットネスクラブの支配人に任命されました。その事業の売上は当時5,000万程度しかなかったので、支配人といっても低待遇でした。8畳ほどの支配人室にストレッチマットをひいて8年間、朝から晩まで仕事をして、3年目くらいから売上を4億にできたんですが、その後、会社の構造改革で役目をはがされてしまったので、独立したんです。

ritokei

そこからヒューマンアーティストとなられたんですね。

ゲッタマン

この仕事は、心と体だけでなく、その人の生き方も変えるサポートをすることですが、大元にあるのは、屋久島での体験です。台風のすごさとか、海や山のうねりとか、あんなのに比べたら人の社会なんて大したことない。

人間は、いろいろ考えたり、計画したり、目論んだりしますが、大自然はそういうものを圧倒的に凌駕します。ちょっとした間違いで命を落としかねないような大自然の中に身を置くと「自分は確かに生きている」と感じることができる。

「生きている」ということは、「生かされている」ということ。そこから「生きていていいんだ」という体感が自然と沸き起こってくるんです。

ritokei

そうした心身のサポートを著名人をはじめ、さまざまな方に向けて行われていますが、屋久島でも活動されているとのこと。

ゲッタマン

私がこんなに元気に育ったのは、やっぱり屋久島のおかげかなと思い、13年前に屋久島フィットネスセンターをつくり、毎月3泊4日で屋久島に帰り、島の人たちへのケアをしています。おじいちゃん、おばあちゃんから子どもたちまでいろんな方がいらっしゃってくれ、運動を教えたり、悩みを聞いたりしています。

屋久島では、なるべく目立たず、なるべく利益を出さず、自分自身のなかで完結できるように仕事をしてきましたが、10年を過ぎたあたりから、いろんな人に「屋久島のことを全国の人に発信してください」と言われるようになりました。そこで、屋久島の魅力を伝えるために「ゆず」の北川悠仁くんと東京でトークショーをするなどしながら、屋久島の素晴らしさを伝えています。

ritokei

どんな方がケアに来られるんですか?

ゲッタマン

個人のケアは3年待ちの状態で、年間契約をいただいている方も多いんですが、屋久島でケアにくる人たちは、漁師さんだったり、子どもたちだったり。「ゲッタマン、肩が痛いんだよね〜」といいながらやってくる漁師さんに肩のケアをすると、「よくなった!よし、パチンコいってくるわ」というような感じです(笑)。

ritokei

島らしいですね。

ゲッタマン

そんな漁師さんは、トビウオの季節になると「持っていって!」とトビウオをどっさりくれたり、ぽんかんをくれたり。そういう人間の温かさを感じられるのも島だなと思います。

ritokei

島の魅力ですね。

ゲッタマン

今の日本には精神疾患を抱えた患者さんがとても多いんです。精神医療のベッドは世界で200万床あるけど、日本だけで35万床あるともいわれています。

世の中の情報が過剰になっていて、消化しきれないくらいの情報で溢れています。ネットサーフィンでも知識は蓄えられますが、実際は、知識を体験という触媒を通じて発酵させなければ知恵にならない。日本人はこの20年くらい停滞しているように感じていますが、その一番のポイントは、屋久島で体感できるような体験が消失しているからじゃないかと感じています。

日本には400島以上も、屋久島みたいなすばらしい島があると思うんです。そういうところでは、自然に対する畏敬の念が体験でき、「自分も自然の一部なんだ」と感じることができる。島に足をのばして五感を研ぎ澄ますと、自分を再生することができるんです。

ritokei

屋久島の豪雨も、圧倒的な自然のなかに生きてるとすれば、当然のようにあることなんですね。

ゲッタマン

自然災害は世界中で起こっていて、メキシコで雹がふったり、スペインが熱波に見舞われたりしています。そんな風に自然は人間を冷酷に扱うけど、人間も自然の一部なんですよね。

でも、人間は集合体として寄り添うことができる。台風も、豪雨も、火山の噴火も、みんなで寄り添い、励まし合い、力をあわせて復興できる。人間が自然の一部であることを肌で感じながら、群れる生き物として人間が本来もっている支え合う精神も感じることができる。それが屋久島だと思います。

GETTAMAN(ゲッタマン)
屋久島出身。株式会社フィットネスアライアンス代表取締役社長、健康運動指導士、メンタルヘルスカウンセラー。単なるダイエットやコンディションを整えるだけの範疇を超え、心と体、さらには“生き方”をも変える「ヒューマンアーティスト」として活躍。ダイエット界の鬼才と言われ、独自の美と健康のメソッドを提唱し、TVや雑誌に数多く登場。ダイエットやアンチエイジング、ストレスケアのスペシャリストとして、第一線で活躍するアスリート、トップミュージシャン、モデル等から絶大なる信頼を得ており、個人指導は3年待ち。著書は多数あり、ベストセラーを連発。毎年、全国の都道府県において、人事院、健康保険組合、各企業などのココロとカラダをテーマにした、健康経営、生活習慣病予防、ストレスなどについての講演を実施。今秋には、『ももクロゲッタマン体操パワー炸裂!体幹ダイエット』(主婦と生活社)の発売を予定するなど、多方面において活躍中。

     

離島経済新聞 目次

『季刊ritokei(リトケイ)』インタビュー

離島経済新聞社が発行している 全国418島の有人離島情報専門のタブロイド紙『季刊ritokei(リトケイ)』 本紙の中から選りすぐりのコンテンツをお届けします。 島から受けるさまざまな創作活動のインスピレーションや大切な人との思い出など、 島に縁のある著名人に、島への想いを伺います。

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