つくろう、島の未来

2024年04月28日 日曜日

つくろう、島の未来

1972年、戦後から米統治下に置かれてきた沖縄県が日本復帰を果たしたその年、沖縄で生まれた子どもたちは「復帰っ子」と呼ばれてきた。
そのひとり、お笑いコンビ・ガレッジセールの川田広樹さんは、同級生らと共に伊江島(いえじま|沖縄県)を舞台にしたドキュメンタリー映画『にげるは生きる〜結どぅ宝』の制作に携わった。川田さんにその想いを聞いた。

聞き手・鯨本あつこ 写真・渡邉和弘

※この記事は『季刊ritokei』44号(2023年8月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。

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離島についてどのような印象をお持ちですか?

川田さん

思い出すのはどうしても沖縄の離島ですね。親父が宮古島(みやこじま|沖縄県)出身だから小さい頃からよく行ってました。

今でも忘れないのは、サンゴがめちゃくちゃきれいだったこと。砂浜から海に入ったらものすごい数のサンゴがあったんです。

最近、久しぶりに行ってみたらサンゴがほとんどなくて。昔は本当に何もなかったけど、今はかなり都会化しましたね。

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釣りが趣味とのことで、沖縄以外の島に行くこともありますか?

川田さん

ありますよ。五島列島(ごとうれっとう|長崎県)に行った時は魚がめちゃくちゃおいしかったですね。釣りをしたら魚も入れ食いで!

首折れサバはダントツにおいしかった。屋久島(やくしま|鹿児島県)にも釣りに行って、地元の漁師さんに釣りスポットとか、おいしい食べ方を教えてもらいました。

あと、新潟の粟島(あわしま)。魚とかが入ったお椀に焼けた石をいれる郷土料理(わっぱ煮)がめちゃくちゃワイルドでおいしかったです。

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ご家族でも行かれるんですか?

川田さん

そうですね。釣りとかキャンプとか、子どもも連れて行くんですが、みんな最初は嫌がるんですよ。「なんでー?」「虫がいっぱいいるんでしょー」って。

でも、宮古島でシュノーケリングしたり釣り糸垂らしたりしながら過ごしていると、分かってくれるんです。

だからゲームとかも時間を決めて、TikTokとかYouTubeとかなるべく見ないで外で遊ぶ!外で自然とたわむれるような経験を子どもたちにもやってもらいたいですね。行ってみたら楽しいんだから。

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伊江島を舞台にした『にげるは生きる〜結どぅ宝』の制作に携わられたきっかけは。

川田さん

昨年の復帰50周年の時、「何かやりたいな」といって同級生が集まった時に映画の話がでてきました。沖縄は戦争があって、アメリカ世(ゆー)があって、復帰があって。

そんな沖縄の歴史を掘り下げるにしても、戦争を体験したおじいおばあの話はあと何年聞けるか分からない。

沖縄本島は沖縄戦で4人に1人が亡くなったんですが、伊江島は2人に1人が亡くなっていて「沖縄戦の縮図」と言われているんです。

それで話を聞きに伊江島に行ったのですが、最初は全然話してくれなかったんです。悲しすぎて、話したくないことがたくさんあると怒られて、キレられて、僕たちは凹んで……。

2回目あたりから少しずつ口を開いてくれるようになって、ひとりが話してくれると今度は違う戦争体験者のおじいおばあを紹介してくれ、話を聞くことができました。

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特に印象深かったことは。

川田さん

一番衝撃を受けたのは、集団自決からなんとか生き延びたおばあの話でした。あまりにも辛い経験だったので「この世の中に神様はいない」って、神様を否定するくらい壮絶な体験をされてこられていたんです。

話しているうちにおばあは「あいえなーあいえなー(うわーうわー)」と放心状態になって、僕もこれ以上は聞いちゃいけないと思って、おばあに謝ってその場から離れました。

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話をするうちにフラッシュバックが起きたのですね。

川田さん

本当に思い出したくなかったんだと思います。伊江島から本島に馬で逃げたおじいは今も、戦争の話をニュースとか新聞で見ると、夢で見るそうです。

話をしてくれたおじいおばあのまわりには、家族もいたんですがみんな「そんなことがあったの?」とおどろいていて。家族も初めて聞くという話がいっぱいありました。

それだけ言えないし、言っちゃいけない辛い話だった。それにもかかわらずなぜ話してくれたかと言えば、もうあと何年生きれるか分からないから、記録に残るならと。

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今回のようにきっかけがなかったら永遠に語られなかったことなのかもしれません。

川田さん

僕も自分のおばあに戦争の話を聞いたことはなかったです。聞いても「そんな話はしない」と言って話してはくれなかった。

けれど、今回のドキュメンタリー映画をきっかけに、親戚から「おじいは戦争に行く前に、家族に会いに来てわったーおかあ(私のお母さん)を抱っこしてから行ったんだよー」という話も教えてもらえました。

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今年8月には沖縄で上映会も開催されていましたが、映画を観た方の反応は。

川田さん

上映会では僕も感動したんだけど、20代くらいの若いウチナーンチュも観にきてくれていました。上映中もずっと泣いていて、泣きながら「こういう話をしてくれてありがとうございます」と言われたんです。

戦争の話は聞きたいけど、正直怖い。僕も怖かったけど、聞いてよかったと思っています。生き残ったご先祖様がいたから今、僕たちは生きていられる。

ウクライナの戦争とか、世の中が不安定になっている今だから、なおさらいろんな人に戦争のことを知ってもらいたいです。

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こんな今だからこそ、沖縄の島々から教えてもらえることがたくさんあるのですね。

川田さん

何となくしか知らなかったことも、当事者であるおじいおばあの口から直接聞くと、想像をはるかに超えていて、本当に考えさせられました。それだけ僕も知らなかったんです。

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沖縄戦の当時は「鉄砲よりも馬の方が速い」と思っていたおばあの話もありました。当時の子どもたちは本当にそう思っていたのですね。

川田さん

教育が大事だなと思いました。その時は国のために死ぬのも当たり前で、学校でも槍を持って「アメリカを犯れ」って、そんな風に教育され、洗脳されていたわけです。

でも、お国の前に家族ですよね。「我が子の命の方が大切」と思う方が当たり前じゃないですか。実際に、伊江島で生き残った子どもたちはみんな親が逃していたんです。

馬で逃げたおじいも、親が「お前だけでも逃げろ」と行って逃がしたから生き延びることができて、今は子や孫が30人以上いるんです。

伊江島じゃないけど、映画をきっかけに「白旗の少女」(※)にも話を聞くことができたんです。防空壕のところでみんなが集まって里芋を囲んでいて、なんで食べないんかなと思っていたら、それは里芋じゃなくて手榴弾だったと。

※沖縄戦の終結後、米軍の従軍カメラマンが撮ったガマ(自然洞窟)から白旗を掲げて出てきた少女。当時7歳だった比嘉富子さんは今も凄惨な沖縄戦を後世に伝えている

その時、白旗の少女が生き残ったのは「運命は決まっているから、自分で命を落としてはだめだよ」と親に言われたからでした。

沖縄戦で生き延びたおじいおばあは、みんな「生き残って申し訳ない」と思って生きてこられていました。でもあの時、死んでいたら僕たちもみんないないんです。

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映画の制作を経て、改めて今の子どもたちに伝えたいことは。

川田さん

シンプルに「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」って伝えたいですし、すべてに感謝するべきだと思います。ご先祖様がいて、自分がいるわけだから。

今回の映画にしても、子どもたちにこういうことがあったんだって知ってもらいたいですね。

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読者へのメッセージをお願いします。

川田さん

島の良さは人と人のつながりの濃厚さだと思います。それを僕は東京にきて気づきました。沖縄本島ですら強いのに、離島に行くともっと強い。

上京した子どもたちが挫折したりしても、人のつながりが支えになる。つながりの強さには良い面と悪い面があって、お酒も強いから、帰りたくても帰れないみたいなところもありますが(笑)

琉球ゴールデンキングスのゼネラルマネージャーは京都出身ですが、アメリカで学んだスポーツマネジメントを日本に持って帰りたいなと思って、沖縄を選んで来たんです。

理由を聞くと、アメリカの人は自分のふるさとや国を誇りに思っているのに、日本を見た時に自分のふるさとを誇りに思っている地域が沖縄だったからだと。

そっか、自分の島を誇りに思うことは素晴らしいことなんだと、言われて気がつきました。だから僕も言葉にするようにしています。大好きだって。

お話を伺った人

川田広樹(かわた・ひろき)さん
1973年2月1日、沖縄県生まれ。1995年に中学校の同級生である照屋年之(ゴリ)と共に、お笑いコンビ・ガレッジセールを結成。吉本興業本社所属。趣味は釣りやバイク、アウトドア。特技は魚料理。2021年にドキュメンタリー映画『にげるは生きる〜結どぅ宝』の制作に携わる

【関連サイト】
結515プロジェクト
https://yui515.com/


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