東シナ海に浮かぶ下甑島の診療所で39年間、地域医療を支えた実在の医師をモデルに、離島地域で奮闘する医師の日々を描いた漫画『Dr.コトー診療所』。累計販売部数は1,200万部を超え、与那国島(よなぐにじま|沖縄県)を舞台にテレビドラマ化。2022年にドラマの続編となる映画が公開され、人気を博している。
作者の山田貴敏さんは、作品を通じ「島で生きること」を描いてきたと語る。山田さんに、作品の背景や島の未来へ向ける想いを聞いた。
聞き手・石原みどり 写真・石津裕介
※この記事は『季刊ritokei』41号(2023年2月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。
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『Dr.コトー診療所』は、下甑島(しもこしきしま|鹿児島県)で診療所の医師をされていた瀬戸上健二郎先生(※)との出会いがきっかけで生まれたそうですね。
※ 鹿児島大学医学部卒。下甑村(現・薩摩川内市下甑町)の依頼で手打診療所所長に赴任。半年だけの予定が、76歳まで39年間にわたり島の医療を支えた
- 山田さん
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当時の私は、人間の絆や家族をテーマにした作品を描くなかで「何か足りない、もっと描きたい」という思いを抱えていました。そんな時、編集者から瀬戸上先生の存在を聞き、島の医者の話を描いてみたいと思ったのです。
ところがあの頃、医療をテーマにした漫画は『ブラック・ジャック(※)』以来ハードルが上がってしまい描きづらい状況だった。編集部からは「漫画界のレジェンドの作品を超えられるのか」「離島の話なんか誰が読むのか」という声も。「普通だったら却下だ」と、描き始める前から散々に言われてしまったんです。
そこで、下甑島に瀬戸上先生を訪ねて実際に話を聞いてみることにしました。ご自宅で話し始めて15分ほど経った頃、急にサイレンが鳴り始め、先生は「すまん、私は診療所に行く」と席を立ち行ってしまいました。そしたら奥さんが「24時間365日こんな感じです」とにこやかにおっしゃるのでとても驚きました。
島内を歩いている時に、島の子どもたちが元気にあいさつしてくれたんですが、甑島には中学校までしかなく、進学時には親と離れなければならないことも島に行って初めて知りました。
実際に島を見て、瀬戸上先生に会ったことで、僕の心に火がつきました。「島の話なんて」と言われたからこそ、ちゃんと描いて伝えないといけない、と強く思いました。
※ 手塚治虫による漫画作品。天才的な外科技術を持つが医師免許を持たないもぐりの医者ブラック・ジャックが活躍する医療ドラマ
- ritokei
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『Dr.コトー診療所』には、編集部に反対されても「島」を舞台に「医療」を描く二重のハードルがあったんですね。
- 山田さん
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どうしたら読んでもらえるのか。一生懸命考えて、名作漫画と同じようなものを描いたら絶対にそっぽを向かれると思ったので、主人公の医師はダメ人間で行こう!と決めました。
登場から島に渡る船で船酔いするし、お酒は飲めず、暑さ寒さに弱く、診療所の診察台で寝てしまう。医療用具を置くための棚に大量のカップ麺を隠しているのを看護師に見つかって怒られる……そんな、親しみやすいコトー先生を描くことにしました。
- ritokei
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主人公のコトーだけでなく、島の漁師やおばあちゃんなど周りの人たちも魅力的ですね。物語を通して、小さな島で暮らしたことのない人が想像もできないような、島で生きる人々の姿が伝わってきます。
- 山田さん
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「島で生きること」をテーマに描いてきました。登場人物にはみんなモデルがいるんですよ。
例えば、私は島のじいちゃんばあちゃんにたくましさを感じているんですが、いつも「こらーやぶ、やぶいねぇのか」と言いながら診療所に現れるしげさん(※1)は、島の外からきた人に「ここの先生ってやっぱりやぶなんですか?」と言われると怒る。二つの感情が同居しているんですよね。
ほかにも、将来は島の役に立つようにと期待される少年タケヒロ(※2)のプレッシャーや、子どもの進学のために船を降りて島外で出稼ぎを決意する漁師の原さん(※3)の思い。そういう人間関係や親子関係は、東京のような都会を舞台にしては、なかなか描けません。
※1 『Dr.コトー診療所』の登場人物。お調子者で口が悪いが、義理堅く、温かい性格の漁労長
※2 コトーに命を救ってもらったことをきっかけに医師を志す少年
※3 男手一つでタケヒロを育てる島の漁師
- ritokei
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島だからこそ描ける人の絆や家族の姿があるんですね。
- 山田さん
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島の暮らしは人間関係の温かさとか良いこともあるけど、苦しいこともいっぱいありますよね。
年々漁獲量が落ち込むなかで密漁船に悩まされているのに、社会からは「もっと他にお金を使うところがあるだろう」と言われて支援が進まない。日本の中で島は置いてけぼりにされているように感じる側面もあるから、人が島から出て行ってしまうと聞いたこともあります。
島と都会との人間関係のズレからノイローゼになってしまう移住者の主婦も描きましたが、良かれと思ってしたことがすれ違いを生むこともあります。
そんな風に、島で暮らすのはきれいごとばかりではいかないけれど、なるべく良いところを分かってもらいたくて描いてきたし、困難をどう乗り越えていくか、ということもこれから描いていけたらと思っています。
- ritokei
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人間関係だけでなく、網にかかる不発弾の話や、島外から持ちかけられる開発話など、島を取り巻く社会的なものも描かれています。
- 山田さん
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海底に沈んでいる不発弾が網にかかる話は、長年通っていた沖縄の島で地元の漁師さんから聞いた話を基にしています。「今でもわんさか出るよ」と言うので、こんなきれいな海に?と驚きました。
開発の話も、長いこと島に通っていると耳にするんですよね。物語の中では、島が潤うと考えてゴミ処理場の誘致を図る代議士に、コトーが語りかけます。
「変わって良くなるものとそうでないものがあると思います。僕は、この島には変わらないでいて欲しい。変わらないことが魅力になる日がいつかきっと来るような気がします」。
この言葉は、僕が考えたんじゃなくて勝手に上から降りてきたんです。島を描きながら、島で暮らすと何が良くて何が悪いのか、どう言葉で表せばいいのか、ずっと探していました。この言葉が出てくるまではね。
- ritokei
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降りてきた言葉は、さまざまな人との出会いや経験から生まれたものかもしれませんね。
- 山田さん
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私は18歳で田舎から上京して、一生のほとんどを東京で過ごしてきましたが、地元の岐阜はほとんどの家が鍵もかけず、悪さをしたら近所のおばちゃんに叱られるようなところでした。そのぶん都会での人間関係の薄さを感じていて、それを埋めたい思いが自分の中にあるように思います。
昔、仕事場に借りていたマンションで通報されたことがあるんです。急に警察が来て「君は一体何をやっているんだ」と問われて、「漫画家です」と。夜中にいろんな人が出入りしていたり、入稿ぎりぎりの朝方に編集さんが「今から行きます!あと2時間で入りますから」みたいな切羽詰まった電話をしていたので、近所の方から「絶対に何かやってる」と思われてしまったようです。
それからは、なるべく怪しまれないよう自分から声をかけるようにしたのですが、皆さん「用事ありますから」と言って、さーっと逃げていくんですよ。
そういう目にもあってきたので、島に行って、子どもたちが向こうから気持ちよく「おはようございます」と挨拶してくれたときは涙が出ました。
- ritokei
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コトーの言う「変わって良くなるものとそうでないもの」は、地域医療の在り方にも重なります。
- 山田さん
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遠隔医療で島にいても本土の大病院と同じ検査が受けられるようになる。それは大切なことですが、遠隔医療だけに頼ると「病を診ずして人を診る」(※)ことから離れていきはしないかと危惧しています。
僕はやっぱり、最期まで人が人を診る医療であってほしい。例えそれが島であってもどこであっても。
実は、僕の娘も医大に行っているのですが、離島に行けと言われたらどうするかと聞いたら「オールマイティじゃないと務まらない島の病院に自分が行っても役に立つか自信がない」と言うのです。現代医療は専門がどんどん細分化されているがゆえの難しさもあるようです。
でも瀬戸上先生は「離島医療はおもしろいよ。島に研修に来た子たちは、おもしろかったと言って帰っていく」とおっしゃる。入院中の食事にもとれたての刺身を出したりして、患者さんが病院食をすごく楽しみにして退院したがらないという話も聞きました。若い医療者には離島医療のおもしろさを伝え、元気になってほしい患者には旨いものを食わせているんです。
いろんな困難に対して僕らはどこかで「仕方ない」と思ってしまいがちですが、実際にやってこられた方は考え方が違うなと思うのです。
だから、これからの離島医療も、瀬戸上先生のように、あきらめず道を拓くことができれば、よい方策がきっと見つかる気がします。
離島やへき地の医療をどうしていくのがよいか、オンラインで広くさまざまな立場の人が集まって話し合ってみるのはどうでしょうか。もしそういう会議があったら、僕も参加したいですね。
※ 「病気を診ずして病人を診よ」。東京慈恵会医科大学の建学の精神で、医療界に影響を与え続ける言葉
- ritokei
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2022年にコトーと共に「薩摩川内観光大使」に就任されましたね。
- 山田さん
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薩摩川内市の観光大使に就任するにあたり、市に「Dr.コトー基金」の設立をお願いしました。甑島には運転免許を返納して診療所に通うのが困難な高齢者がたくさんいらっしゃるので、基金を使って診療所の送迎車を導入したいと思っています。
まずは、下甑島で第一号の車両を配備して運行を始め、上甑島(かみこしきしま|鹿児島県)、中甑島(なかこしきしま|鹿児島県)へ。ゆくゆくは、市の本土側で同様の悩みがある地域にも広げて行きたいと思っています。
薩摩川内市のふるさと納税でも資金を募れたらと考えているので、実現したら皆さんにぜひ支援をお願いしたいです。
お話を伺った人
山田貴敏(やまだ・たかとし)さん
1959年、岐阜市生まれ。漫画家。1983年、大学4年時に処女作『二人ぼっち』で講談社新人漫画賞佳作を受賞、『マシューズー心の叫びー』が入選、同作品でデビュー。
代表作『Dr.コトー診療所』で2004年度、第49回小学館漫画賞一般部門を受賞。同作品はテレビドラマ化され、2003年と2006年に連続ドラマとして放送。
2022年にドラマの16年ぶりの続編となる映画『Dr.コトー診療所』が公開。
『Dr.コトー診療所』1〜25
山田貴敏著 2000年/小学館/556〜576円(税込)
東京の大学病院から古志木島にやってきた外科医の五島健助(コトー先生)と島の人々が織りなすヒューマンドラマ。
主人公のモデルは鹿児島県下甑島の「下甑手打診療所」で39年間地域医療を支えた瀬戸上健二郎医師。
薩摩川内市「Dr.コトー診療所基金」についてはこちらをご覧ください
>>Dr.コトー診療所基金を設置しました(薩摩川内市 2023年04月21日)
東京在住、2014年より『ritokei』編集・記事執筆。離島の酒とおいしいもの巡りがライフワーク。鹿児島県酒造組合 奄美支部が認定する「奄美黒糖焼酎語り部」第7号。著書に奄美群島の黒糖焼酎の本『あまみの甘み 奄美の香り』(共著・鯨本あつこ、西日本出版社)。ここ数年、徳之島で出会った巨石の線刻画と沖縄・奄美にかつてあった刺青「ハジチ」の文化が気になっている。