つくろう、島の未来

2024年10月03日 木曜日

つくろう、島の未来

落語家・林家彦いちさんは創作落語『長島の満月』で演芸場を笑いで包みこむ。そこで語られるのは、父親の転勤で小学生時代に暮らしていた鹿児島県最北の島・長島町で暮らした時の記憶をもとにつくられた話。昭和49年、本土と橋で繋がれた時代にあった島の風景を、彦いちさんは「変だな、変だな」と振り返る。

その話は面白おかしく、そしてどこか懐かしくて、温かい。長島での原体験を心に宿しながら、現在進行形で「大の島好き」と語る彦いちさんに、話を伺った。
※この記事は『ritokei』30号(2019年11月発行号)掲載記事です。

聞き手・鯨本あつこ 写真・牧野珠美

林家彦いちさん

落語家・林家彦いちさん

ritokei

長島の暮らしでは、どんなことが印象に残っていますか?

 

彦いちさん

人との距離の近さは島特有だったように思います。

昔はどこでもそうだったと思いますが、落語に出てくる長屋のように、みんながそこにいる。海の幸が山のようにあり、気候は温暖で、情報がないから「何が足りないか」を知らない。例えば学校にはプールがなかったので、水泳の授業といえば海でしたね。

遊びや食べ物や祭りは、橋が架かっていないと独自に進化するものだと思いますが、私は小学生の時に、橋ができ島が外とつながるということを体験しました。

ritokei

彦いちさんが長島に住まわれていた頃に橋がかかったんですね。

 

彦いちさん

『長島の満月』にも出てきますが、島に信号がないことも情報がなければ全然コンプレックスに思わないわけです。

だから、島に信号ができた時には信号を見るために人が集まってきて、誰も車で通らないという(笑)。落語のネタも実話なんです。

ritokei

彦いちさんは落語家のなかでも「大の島好き」と伺いました。

 

彦いちさん

落語にはお酒を飲んで博打して……という話をまくらにすることがありますが、私は島遊びを原体験に変える落語協会マンタクラブの隊長をやっていまして、噺家仲間と島に行ったことを、まくらで話したりしています。

ritokei

どのような島に出掛けられていますか?

 

彦いちさん

マンタクラブは素潜りでマンタを見るクラブなので、ミクロネシアのヤップ島や小浜島など。

みんな寒がりなので南が多いですが、私はそれ以外でも隙あらば島に行っています。今年も奄美に行きましたし、利尻島や礼文島……、今は御蔵島にはまっていますね。

ritokei

島のどんなところにワクワクされていますか?

 

彦いちさん

地理学科だったのもあり地形図が好きですね。海岸線と等高線に魅力がありワクワクします。

ritokei

対馬や加計呂麻島などリアス式の島はギザギザしていますね。

 

彦いちさん

たまらないですね。加計呂麻島で釣りをしていた時、地元のおじいさんがひとりで釣りに来ていたので話しかけたら「今晩食べる分だけを釣っている」と。

それで、おじいさんが「そろそろ潮が満ちてくる」と言うと、本当に潮が満ちてきて、まるで全部を知っているかのようでした。

それからおじいさんが先に歩いて帰り、僕らは借りていたワゴン車で帰ったんですが、集落まで結構な距離があるから乗せていった方がいいかなと思って、おじいさんに声を掛けたら、背中を向けたまま手だけを挙げて断られました。

ritokei

無言で?

 

彦いちさん

そう。その素振りがかっこよくて、いつかの長島で見たような、豊かさをかんじました。「何かが足りない」という感覚ではないのです。

その時はカメラマンや作家と一緒だったのですが、皆も口々に「かっこいい」と言っていました。ぼろぼろのカゴをしょって、着飾っているわけでもないのに、洗練されていたような。

『長島の満月』のあとがきにも書いたのですが、「何にもない」は「何でもある」なんです。そのようなことが島に行くとあるので、どの島に行っても喜びになります。

ritokei

すてきですね。

 

彦いちさん

伊江島の山の上に、巨人の足跡がありますよね。伊江島の子どもたちは、あそこに「巨人の足跡がある」と教えられ、そう思いながら育つんですが、私はそれをとても良いことだと感じています。

同じようなことが長島にもあって、長島に橋が架かってなかった頃、島を行き交っていたフェリーがいつも遠回りしていたんです。

なぜかといえば、渦潮が強い場所があったから。そしてその渦潮の下には石臼があって、そこから塩が出ているから海の水がしょっぱくなったんだと、私たちは聞いて育ちました。

ritokei

世界中の海水を長島の渦潮がつくっていると。

 

彦いちさん

そう、なぜ海水がしょっぱくなったかというと、長島の渦潮の下に石臼があって、そこから塩が出ているのです。これは強く書いておいてください(笑)

ritokei

ははは。

 

彦いちさん

長島の小学校で歌わされていた曲があって、私はそれをずっと長島の曲だと思って懐かしんでいたら、誰に聞いても知らないという。

それでラジオに出た時に、その曲を口ずさんで何の曲か探したら、リリースもされていない、学校の先生が作った曲だったんです。

ritokei

それほど鮮烈な記憶が、彦一さんの中に残っているんですね。

 

彦いちさん

そうですね。物心ついた時から植え付けられたものだったので、(長島を離れて)転勤で次の場所に行けば行くほど、違和感を感じるようになりました。

ritokei

違和感とは?

 

彦いちさん

「島が違った」ということです。東京に出た時には明らかにそう思うようになりました。

だけど、その違うところを中途半端な話ではなく、振り切ってしまい、パーソナルなところまでいくと共感が生まれる。島だけでウケる話ではなくなるのが不思議です。

ritokei

確かに、長島に行ったことがない人でも『長島の満月』を聞くと懐かしさを感じると思います。

 

彦いちさん

その懐かしさは、僕らが『おしん』を見てグッとくるようなものかもしれません。東北の雪深い生活を経験したことがないはずのアジア圏の人も、『おしん』を見て泣いていますから。

ritokei

人間に共通して心に触れるものがあるのか。

 

彦いちさん

そうですね。島ではそれがはっきり出ていると思います。

ritokei

御蔵島に通われているとか。

 

彦いちさん

現在進行形で一番通っている島です。最初は一人のお客としてイルカを観に行きました。その後、だんだん通うようになり、今年は祭りに誘われたので、その日は仕事をとらずに祭りに行きました。

ぴょんぴょん飛んでお神輿を担ぐ、変わったお祭りで、御蔵島は傾斜が多いのでお神輿を押していくんですが、そこで上にいる人が「まだまだ」と声をかける。「まだまだ」と言うにはキャリアが必要なようで、上の人が高校生くらいの子に「お前『まだまだ』言ってみるか?」と言っているのが、とてもかっこよかったです。

御蔵島には若い夫婦もいるので、子どもたちもたくさんいて、子どもたちを最優先にしているのも素晴らしい。私が子どもの頃に長島でみた風景が御蔵島にはあると思います。

ritokei

島の人とはどんなコミュニケーションをとっているんですか?

 

彦いちさん

島の人は時間をかけないと心を開きませんし、滞在できる時間も限られているので、いろんな人と話をするのではなく一点突破で、一人に対して仲良くするようにしています。島がどこでも明るく「おかえり」と言ってくれる場所とは、安易に思っていません。そこが観光の島なら、私は観光の人として行って帰ります。そうでなければ、一点突破です(笑)。

ritokei

大事な感覚だと感じます。

 

彦いちさん

この歳になり、目に見えるものの奥行きを知りたい気持ちになりました。そこで山村や限界集落などに遊びに行くこともありますが、島はやはり独特だと思います。

ritokei

これからも島巡りですね。

 

彦いちさん

行きます。島から島へ。青ヶ島には行きたいですね。瀬戸内海の島々やトカラ列島にも行っていないので、行きたいです。


林家彦いち(はやしや・ひこいち)
1969年鹿児島生まれ。国士舘大学文学部地理専攻科中退後、初代林家木久蔵(現・林家木久扇)へ入門。1993年に二つ目昇進。「林家彦いち」に改名。2000年度 NHK新人演芸コンクール落語部門大賞受賞。2013年に「長島の満月」を収録したCD『青菜・長島の満月』(ソニーミュージック)を発売。前座の頃から新作落語を創り始め、応用落語、落語ジャンクションなど新作落語の会に参加。同時に古典落語の会も定期的に主催。以後、都内をはじめ各都市や地方にて独演会を行う。旅の噺をスライドショーと共に喋るライブも不定期に開催している。ラジオ番組で披露した選りすぐりの小噺を一冊にまとめた「瞠目天-天地万象をネタにした珍笑話集-」(パイインターナショナル)を10月17日に発売。

【関連サイト】
林家彦いち公式ホームページ

     

離島経済新聞 目次

『季刊ritokei(リトケイ)』インタビュー

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