つくろう、島の未来

2024年05月19日 日曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破、現在も毎年数十島を巡るという斎藤潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第37回は、瀬戸内海の来島海峡に架かる3連吊橋「来島海峡大橋」の橋脚が建つ馬島(うましま|愛媛県)へ。島々を歩く中で出会った縁をきっかけに馬島を再訪した斎藤さんは、時代の変化に合わせながら島の営みを守る人と語り合い、島の明日が楽しみになったといいます。

建設中の来島大橋と馬島。右端に、民宿みはらしが。正面は小島(1995年12月撮影)

「好きだから!島も、農業も」島を守る人と近づく新時代の足音

長いこと各地を歩いていると、ご縁の面白さ、不思議さを感じることが多い。佐島(さしま|愛媛県)で古民家ゲストハウス汐見の家を営んでいる西村暢子さんから、2019年の夏に連絡があった。近々泊まりに来るオーストラリアのお客さんから、困った問い合わせがあったという。

「2002年に瀬戸内の離島から来た『シオミリエ』という女子高校生をホームステイさせたことがあるが、親戚か?」

西村さんは何のことか全く分からず、心当たりはないかと聞いてきた。シオミさんに関して、以下のような手掛かりも記されているという。

・橋ができるまで、学校には渡船で通っていた
・実家はスイートピーの栽培農家
・リエさんの祖父だけが島に橋脚が建つことに賛成し、他の世帯は変化を嫌い反対した
・子どもがいる世帯はリエさんの家族だけで、他は高齢世帯だった
・リエさんは4人兄弟
・1990年頃、橋の開通記念カレンダーに家族写真が載った

小島から望む架橋建設中の馬島(1995年12月撮影)
右下の小さな馬島集落に比べるといかに大工事だったか分かる(1995年12月撮影)

20年近く前に世話した日本の女子高生のことを、よくぞここまで記憶していたものだと感心する充実ぶり。これだけ具体的な情報があれば、すぐにピンとくる。馬島で花卉栽培している、愛媛全県でも有名な篤農家塩見勝太郎さんの娘さんに違いない。

2018年に塩見さんを訪ねた時、留学した娘さんが馬島に戻り農家民泊をしたがっているような話も聞いていたので、もしオーストラリアのゲストと一緒に塩見梨恵さんに会う機会があれば、西村さんも宿の開業について相談にのってあげてください、などと余計なことまで付け加えた。

うまく連絡が付き、結婚して名字が変わった玉城梨恵さんとオーストラリアからの訪問者は、無事に再会を果たし、宿の立ち上げを考えていた梨恵さんが、参考事例としてすでに汐見の家をチェックしていたことが判明。つながる時は、つながるものだ。

これは、ぼくも馬島に呼ばれているに違いない。遠からず訪ねてみなくてはと考えているうちに、世の中はコロナ一色となった。気になるけれど、訪ねるのは憚られると思っていたところ、2021年11月9日付けの『日本農業新聞』(電子版)で衝撃的な記事を目にした。

見出しは、「島守る唯一の農家『花卉一本』転換、柑橘に挑戦」。かつて、退路を断つために柑橘類はすべて伐採し、花一筋に邁進して成功をおさめ、バブル期には2年連続売上2000万円を達成した花卉栽培界の雄は、どんな思いで決断したのか。また、最近島外資本による新しい宿ができたと聞いているが、島人との関係はどうなのか。最新の状況を知りたくて、コロナも落ち着いた今年の連休初日の4月29日、路線バスで馬島に住む塩見勝太郎さんを訪ねた。

立入禁止区域が記された案内板(2023年4月撮影)

馬島BSから、バイクも載せることができる大きなエレベーターで下まで降りた。さらに階段を下って集落へ向かう途中、集落の人がずっと守ってきた、架橋中に事故で亡くなった人たちの慰霊碑がある。その近くに、見慣れぬマップの案内板が立っていた。

よく見ると、島内の立入禁止区域5ヶ所と禁止事項が記されている。一番大きいのは、GLAMPROOK しまなみ(以下、グランルーク)という宿の名前と場所。それ以外は、馬島港と馬島神社、宿の施設らしきウッドデッキ。そして、はるか頭上を通るしまなみ海道。

立入禁止区域は、住宅街と農地。島内全域での禁止事項は、島の天然資源の採取、ごみを放置する行為、大声で騒ぐ等の騒音行為、すべての海(浜辺)での遊泳、の4項目。どうやら、宿がお客に周知するため設置したらしい。外国人客向けに、英語、中国語、韓国語も併記されていた。

集落の手前にも案内板が(2023年4月撮影)

いつものように、集落内を通りたい。塩見さんに会いに来たのだからかまわないだろうと思いつつも、遠慮しておく。美しい白砂の浜を右に見ながら、生まれ変わった宿の前を通る。かつての民宿みはらしは、外側はほぼ同じながらもリゾート風の雰囲気を漂わせ、隣にはグランピングの施設までできていた。

民宿みはらしをリニューアルオープンしたグランルークと新しくできたグランピング施設。奥は来島海峡大橋と小島(2023年4月撮影)

馬島神社の下を抜け奥の浜まで行くと、シャレたウッドデッキがあった。2016年9月に廃業した宿はその後どうなるのかと案じていたが、拾う神があったらしい。

在りし日の民宿みはらし(1999年10月撮影)
海岸の端にある宿のウッドデッキ(2023年4月撮影)

そろそろ約束の時間になったので塩見さんのお宅を訪ね、今見てきたばかりの光景について質問した。

今治市から、今治出身の実業家が廃業した民宿を欲しがっているという話があった時、しまなみ・今治地域の活性化に寄与するというので、反対はしなかった。そして、ホテルとグランピング2本立ての宿泊施設グランルークが誕生した。

案内板は、島外資本となった新しい宿が進出してくる時に、馬島自治会と交わした約束に基づいて設置したものだった。

許可証のない車は島へ進入不可だが、自転車やバイクはエレベーターで降りて来ることができる。そのため、以前から自転車で集落内を通る人もいた。集落の狭い路地に入ってこられると、車椅子や杖の人にとっては危ない。

「無用のトラブルを避けるため、立入禁止としました」

また、住民が利用してきた海藻やわらびを勝手に採って持ち帰る人がいたり、畑から花を盗っていく人もいた。そこで、新しい宿ができるのを機に、静かな住環境がこれ以上乱されないよう、正式に協定書を交わしたのだ。

2020年に開業した宿泊施設グランルーク(2023年4月撮影)

グランルークが開業した時点で10人ほどだった島人は、現在わずか5人。常駐している宿の従業員は、馬島に住民登録するよう要請してあるので、住民基本台帳上は人口増のように見えるが、高齢化が進む一方で現状は厳しい。

一度完全に捨てた柑橘栽培に、回帰しつつあるのはなぜか。コロナ禍により花の需要が激減したのも打撃だったが、今までなかった連作障害が出るようになったことも大きな理由だった。

「自家採種している種を通して遺伝する病気で、最初葉を傷めるだけでしたが、やがて花が縮れるようになってきたんです」

それでも、馬島に残って農業を続ける決断をした。

「好きだから!島も、農業も」

今まで勝太郎さんが歩んできた道を見れば、疑う余地のない言葉だった。

温室栽培のスイートピーとトルコギキョウの苗(2023年4月撮影)
実をつけ始めた柑橘類も温室栽培(2023年4月撮影)

最初は、愛媛県を代表する人気品種の紅まどんなと甘平(かんぺい)を手がけるつもりだったが、甘平は栽培がとても難しいと知り、代わりにせとかの栽培に取り組んでいる。

「紅まどんなは、昨年140キロ収穫できました。今年は、500キロが目標です」

若い農業指導員に、一から教わって新しい挑戦に熱意を注いでいるという。

「農家は、もううち1軒だけです」

漁家は、焚寄せ漁が1人、一本釣りが1人いて、去年の夏くらいまで漁に出ていたが、もう行かなくなった。

「2人とも漁の腕はあるんですが、船をうまく扱えなくなって」

目の前の来島海峡は、春秋の大潮の時に八幡渦(はちまんごう)と呼ばれる直径10メートルを超える大渦が現れる厳しい海だから、船を扱えないとすぐ命取りになる。これ以上高齢化が進むと、馬島の住人は塩見さん夫妻だけになりかねない。

「塩見の家は、島守の家ですから」

勝太郎さんが毅然としてそう断言するから、しばらくは大丈夫だろう。

「以前、奥さんが話していた農家民宿は、どうなっていますか。梨恵さんも興味を持っていると聞いていましたが」

「娘の考えていることはよく分からないが、娘の大学時代の恩師も高く評価している計画があるそうなので、全面的に協力するつもりです」

梨恵さんが計画している「今治・しまなみのデジタル・イノベーション・コミュニティの創出実証事業」は、今治・しまなみの地域課題解決のため、地元企業、学校、自治体と産学官連携のプラットフォームを創り、持続可能(サスティナブル)な地域創生をめざす組織を設立しようというものだという。

その事業の一環として、馬島で合宿所と体験しながら学ぶ場所を提供しようと考えているという。島に泊まってもらう点は同じだが、農家民宿とはずいぶん違う。しかし、新しい時代の足音が、馬島へ着実に近づいているように感じられた。明日、明後日の馬島が、楽しみだ。


【馬島概要】
●所在地
愛媛県今治市
●人口
10人(2023年3月 住民基本台帳人口)
●行政区分
明治22年 町村制施行に伴い愛媛県越智郡亀山村となる
明治32年 大島椋名・津島と共に愛媛県越智郡渦浦村として分立
昭和29年 町村合併で吉海町となる
昭和30年 今治市に編入

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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