「島々仕事人」は島の外から島に携わる仕事人の想いを紹介する企画。今回は若者が集う渋谷で「シマを愛する人のたまり場」を営む喜界島出身の田向美春さん、勝大さん姉弟が登場。15年前にはリトケイ初代インターンも務めた勝大さん。姉弟が奄美群島ゆかりのスタッフと共に目指す新しい「つながりの拠点」を紹介します。
取材・ritokei編集部 写真提供・simasima
渋谷の中心でシマ愛を語らう
渋谷駅からほど近い小さなビルの1室に「シマを愛する人」が夜な夜な集うお店がある。「simasima」と名付けられた店は、奄美群島の黒糖焼酎とシマ唄を楽しめるバー。無造作に置かれた楽器は「常連さんから寄贈されたものです」と田向美春さんは笑う。
元々、奄美出身者に愛されてきた渋谷の酒場で働いていた美春さん。そこで長い間、大切に育まれてきた“島と人をつなぐ場”をつくる店主の想いを引き継ぎ、2025年3月にsimasimaをオープンした。美春さんを中心に、奄美群島出身のスタッフが息を合わせて店を切り盛りしている。そこに、弟の勝大さんが新たな“simasimaスタイル” を実現するためのプロデュースを行い、店づくりと運営をサポートしている。
奄美群島には「郷友会」と呼ばれる出身者が集う組織がある。出身者の多い関西や関東を中心に、遠くはニューヨークやサンフランシスコまで。シマ(=奄美では集落を意味)を愛する人のよりどころとして、世界中に存在している。
しかしながら現在は、人口減少や少子高齢化の折。各地の郷友会からは、若年層の参加や世代交代の必要を求める声がしばしば聞こえてくる。「simasimaが若い人たちが島とつながれる場となれたら」と美春さんは意識する。
常連さんと生み出すゆるやかなコラボ
「奄美出身者だけでなく奄美に関わる人もつながれるよう、つながりの場を少しだけ現代に近づけたい」という勝大さん。例えば、お客さんとの語らいから生まれた下北沢のサウナ施設での奄美イベントではsimasimaが島酒を提供。他にも20代の奄美出身フォトグラファーとのゆるいコラボなど、ほどよいつながりの場が生まれている。
simasimaのSNSをのぞくと、奄美群島ゆかりのアーティストによる「投げ銭ライブ」の情報もちらほら。「『この日にライブしたいんですけど』という連絡がきて、『いいですよ』 という感じで決まることが多いです(笑)。大御所アーティストの方々も、東京での大きなライブの前後にsimasimaでのライブを入れてくれるんです」。
奄美のシマ唄は興業のためのパフォーマンスではなく、集落の中で唄い継がれ、親しまれてきたコミュニティの文化である。30名で満席になるsimasimaはいわば「シマの公民館」のようなコミュニティ空間であるから「アーティストも公民館で唄うような感覚で唄ってくれる」。
小さな子どもを連れた若い常連客と、60~70代の常連客が「あんたはどこのシマ出身?」 と語らい、つながる空間が渋谷の真ん中に存在しているのだ。
結果としてシマへの恩返しになるように
simasimaでは奄美群島のみならず、多様な 「シマを愛する人」とのつながりをつくっていきたいと勝大さんは展望する。「今までは奄美やシマ唄のつながりが多かったのですが、最近は焼酎のつながりも増えてきています。奄美黒糖焼酎以外のつながりもつくっていきたいですね」。
4月には、simasimaスタッフで横浜に遠征し、屋形船で奄美を体感するクルーズイベントも開催した。島酒、シマ唄、踊りをきっかけに、シマに興味を持つ人が増えたなら、立派な“シマ孝行” にもなるだろう。
「都市部には島をテーマとしたお店もたくさんあります。それが都市部だけで完結するのではなく、島と双方向でつながるような仕組みをつくりたいですね」と語る勝大さんは、常連客と共に奄美群島を訪れる「恩返しツアー」も企画している。
「島での思い出やつながりをつくり、東京に戻ってきたときにその思い出を語り合える場所としてsimasimaがあることが重要だと思っています。一度行って終わりではなく、その後も関係を続けていくことができるようにしたいです」という姉弟。
今後の展望は「東京にある奄美のお店のマップをつくり、お店をつないでいくこと」。老若男女が集いやすいゆるやかなアクションは、確かなシマへの恩返しにつながっていくだろう。
simasima
渋谷駅宮益坂口から徒歩3分。「シマを愛する人のたまり場」を目指す奄美群島の奄美黒糖焼酎とシマ唄の店。島出身者や2世3世、島ファンが集う。
【Instagram】@simasima_shibuya