「島々仕事人」は島と島をつなぐ仕事に携わる仕事人の想いを紹介する企画。今回は、居酒屋「塚田農場」や「四十八漁場」などで提供される新鮮な魚介の仕入れや流通に携わる、バイヤーの倉本満隆さんにお話を伺いました。
※この記事は『季刊ritokei』18号(2016年8月発行号)掲載記事になります。
文・石原みどり 写真・大久保昌宏
産地から全国の居酒屋へ、新鮮な魚を届ける仕事
創業15年のエー・ピーカンパニーは「塚田農場」「四十八漁場(よんぱちぎょじょう)」など全国で200店舗強の居酒屋を展開して、3地域に現地本社の子会社を置き、地鶏の生産加工を行っている。生産現場から加工、鮮魚の流通など、消費者に届けるまで一貫したサービスを提供する「生販直結モデル」が特徴だ。
鮮魚の調達は、社内のバイヤーが3名体制で全国をカバーする。その一人、倉本満隆さんは、東北地方以西で獲れる魚介の仕入れや流通システムづくりに携わっている。
取引先は全国に及ぶが、宮崎県の島野浦島(しまのうらしま|延岡市)、長崎県の壱岐島(いきのしま|壱岐市)、対馬島(つしまじま|対馬市)、福江島(ふくえじま|五島市)、鹿児島県の甑島(こしきじま|薩摩川内市)、島根県の隠岐諸島(おきしょとう)など、離島からも魚を仕入れている。この夏からは、伊豆諸島の神津島(こうづしま|東京都神津島村)とも取引が始まる。
流通の仕組みづくりと、生産者との関係づくり
店で提供する魚は、初めは築地市場から仕入れていた。産直の朝獲れ魚を店で提供したいと考えたが、朝6時に漁に出て獲った魚をその日のうちに東京の店舗に届けるとすると、頑張っても到着が20時を過ぎてしまい、その日の営業には間に合わない。
そこで、同社は漁師に交渉して漁に出る時間を4時間前倒ししてもらい、朝獲れの魚を午前中の航空便に乗せ、お昼頃に羽田の自社センターに届いた魚を仕分けして各店舗に発送。14時頃に四十八漁場各店舗へ届け、夜の仕込みに間に合わせる仕組みを構築した。
離島地域で初めて協力してくれたのは、島野浦島の漁師だった。以来、離島との取引が始まり、島野浦島でのノウハウを活かし、他の地域との直接取引を広げてきた。
「魚は、手当てをすることで、がらっと変わるんです」と倉本さんは語る。水揚げした魚の鮮度を保つ「神経締め」は、尾を切らずに背骨にワイヤーを通し、無傷のまま仮死状態にする。さらに血抜き処理や、氷を工夫した温度管理、梱包の丁寧さなど、技術を駆使し細部に気を配り、魚の身が活きて柔軟な状態を長く保つことで、その後の味わいや鮮度に大きな違いが出てくる。
「これからは、魚を獲るだけじゃなく地域と協力して『つくっていく』時代になる」と倉本さんは語る。そのための技術を工夫し、漁師に伝える活動もしている。「漁師さんも、良いやり方だと気付いてもらえたら、そこからは船の上でずっと魚の手当てをしているんですよ」。
生産者と各店舗間では、コミュニケーションのためにSNSが活用されている。漁師が獲れた魚の写真とともに「地元でも楽しみにしている8月だけの解禁期間、漕ぎ刺し網で獲った初漁が揚がりました」と産地から報告がアップされると、各地の店舗が「楽しみにしています!」と応じる。めずらしい高級魚が揚がり、漁師からの「お待たせしました!」とのメッセージに、「うちに送ってください」と各地の店舗から次々に手が挙がる。
相場に左右されない本物のブランドを育てる
神津島で新しく取引を始める30代の漁師とは離島イベントで知り合った。早速、神津島を訪ねた倉本さんは、彼の漁に同行した。定置網の漁船にはよく乗る機会が多いものの釣り船は初めてだったが、島の海から手荒い洗礼を受けることとなった。
全速力を出しても時速20キロの船で5時間。漁場へ向かう海上は、台風の影響でうねりが出ていて、多方向からの波が船を襲った。滑って海に落ちてしまいそうになるほど揺れる船の上で、漁師は軽やかに仕事をしていた。
一方、船酔いに堪えながら船尾でじっとしていた倉本さんは「盛大に餌をまいてしまった」というが、目当てのオキキンメダイは大漁だった。「なぜか翌日からはサッパリ釣れなくなったらしく、漁師から『また来てくれよ』と電話がきました」と笑う。
これまでは、地名や魚種が魚のブランドだったが、当たり外れも多かった。倉本さんは、手をかけた良いものを市場に出し続けることで「あそこの産地の魚は間違いないよね」と信頼される産地づくりをしていきたいという。
「付加価値を高めて安定した魚価で取引できる環境ができれば、漁が胸を張って子どもに継がせることのできる職になる。相場に左右されず、自信を持って漁を続けていける産地づくりのために、地域の方と一緒になって泥臭い仕事を続けていきたい」と語る倉本さんは、今日も全国の漁場を飛び回っている。
倉本満隆(くらもと・みつたか)
株式会社エー・ピーカンパニー 流通本部/商品管理部 マネージャー
北海道札幌市出身。1977年11月29日生まれ(39歳)。調理師学校を卒業後、2014年4月に入社。板場やホール、店舗立ち上げ担当を経験し、現職。
>> エー・ピーカンパニーホームページ
東京在住、2014年より『ritokei』編集・記事執筆。離島の酒とおいしいもの巡りがライフワーク。鹿児島県酒造組合 奄美支部が認定する「奄美黒糖焼酎語り部」第7号。著書に奄美群島の黒糖焼酎の本『あまみの甘み 奄美の香り』(共著・鯨本あつこ、西日本出版社)。ここ数年、徳之島で出会った巨石の線刻画と沖縄・奄美にかつてあった刺青「ハジチ」の文化が気になっている。