「島々仕事人」は島々に携わる仕事人の想いを紹介する企画。今回は、沖縄県内の鮮魚を海外の飲食店へ直取引する貿易事業を起点に、離島地域の産品を流通にのせる「地域商社」として地域課題の解決に取り組む、株式会社萌す(きざす)の後藤大輔さんです。
※この記事は『季刊ritokei』39号(2022年8月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。
取材・小野民
「売り先がない」ならつくる解決に向けて、勢いで起業
「新しいものごとが始まりそうな予感」を意味する「萌す」と名付けた会社を興した後藤大輔さん。起業のきっかけは、沖縄県に住み観光プロデューサーとして活動するなかで直面した離島地域の課題にあった。
「沖縄本島の小学生をある島に連れて行ったとき、養殖場で子どもたちが『島にはスーパーがないけどどこに売るの?誰に売るの?』とすごく素直な質問をしたんです。養殖場の方の答えは『売り先がないんだよね』。
そこで『美味しかったら買ってくれる人も増えるよね〜』と盛り上がっていたら、『お前が買え』と言われ『売りましょう!』と言って引けなくなって(笑)。ビジネスを成り立たせるために道筋をつくることになりました。
2015年に会社を設立。買参権(ばいさんけん)(※)獲得のための書類や資金、鮮魚を輸出するための手続きやルートの整備など、前例のない土俵で挑戦を続けてきた。
※ 市場で肉や魚を競り落とす権利
島の物産を扱うにあたり、隣接する沖縄本島や本州の首都圏を商圏とせず、海外を目指した。そのため、既存の流通とはバッティングしない利点があったが、海外で刺身として食べられる鮮度で魚を発送するのは難しい。
そこで、それまで3日かかっていた輸出にかかる手続きを見直し、経産省をはじめとした関係各所とやり取りを重ね、朝に競り落とした魚をその日のうちに海外へ発送することを可能にした。現在は、鮮魚、青果、果物、和牛、酒、調味料や菓子など多様な品目を6カ国に輸出している。
海外の販路を得て変化する島の生産者たち
海外にさまざまな販路があることでリスクは分散し、コロナ禍にあっても業績は落ちなかった。結果、2021年だけでも、国内の取引先は約100社増。その中には離島地域を拠点にした生産者も多い。「離島発の商品は、おのずと小ロット多品種になるので、バラエティ豊かな商品を扱うおもしろみを感じます」と話す後藤さんは、島々の生産者と信頼関係を築けるよう足繁く通う。
生産者と販売先の間に立ち、FAXや電話、LINEグループなどで行うやり取りでは仕入れ値や販売価格などの情報も常にオープンだ。物理的な距離の遠さを超えた関係づくりは、ていねいで裏表のないコミュニケーションの上に成り立っている。
「取引先の漁師も最初は半信半疑だったと思います。でも、輸出先のシンガポールで魚が評価されてレストランで喜ばれる。ある島の漁師から『今日の為替見た?チャンスじゃない?』って電話がかかってきたときは、すごくうれしかったですね。それから一緒にシンガポールにも行きましたよ」
後藤さんの最終目的は地域の価値づくり。商社である萌すを飛び越えた取引きも歓迎する。その代わり、困ったらいつでも頼れる地域商社でありたいと考えている。
不安定な時代の活路は日本経済に縛られないこと
取材時、「これからアメリカのポートランドに送るところです」と見せてくれたのは、「宮古島の節たれ」。鰹だしの効いた万能調味料は、欧米では日本円にして4,000円もするようになったラーメンにも使われる。
この商品をはじめ、萌すでは、日本でも産地以外ではあまり見かけない地域色の強い商品を多数扱っている。ただし、ほとんど島内だけで流通してきた商品は、衛生基準などクリアすべき課題がある場合も少なくない。
そこで、いい機会になるのが後藤さんが日本国内のスーパーなどで企画する「離島フェア」。まずは日本の消費者向けに商品規格を整え、マスの売り先に対応できるよう商品力をつけるサポートを行なっている。
今や、通信網の整備が進み、海外とのやり取りや書類の作成など、英語を活用した仕事は場所を選ばない。「離島で暮らす人たちの採用も始めていて、今後もっと増やしていきたいです」と後藤さん。起業当初から、離島地域の深刻な課題と位置付けた「売り先」に加え、後藤さんは「働き口」を増やすことにも取り組んでいく。
後藤大輔(ごとう・だいすけ)さん
1977年、静岡県生まれ。水泳の指導者を経て、2005年に沖縄に渡り、観光プロデューサーとして活動。2015年、「萌す」を設立し、代表取締役に就任。