2014年7月18日〜31日に銀座・有楽町界隈の飲食店で奄美黒糖焼酎のPRキャンペーン「奄美黒糖焼酎 島酒Week」を開催。本連載では、奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)に7年暮らすなかで奄美群島の酒蔵をめぐった「くっかる」が奄美黒糖焼酎の魅力をご紹介します。今回は、奄美黒糖焼酎を生み出した歴史と造りの工程についてご紹介します。
■「奄美黒糖焼酎」誕生の歴史
奄美黒糖焼酎は、黒糖と米麹(こうじ)を原料とする本格焼酎。日本で唯一、奄美群島だけに製造が許されている特産品です。奄美の島々には、琉球王朝や薩摩藩、戦後の米軍政府統治の時代を通じて、島民の生活はもちろんのこと、焼酎製造についても波乱の歴史がありました。特産品「奄美黒糖焼酎」誕生に至る歴史をご紹介します。
世界最古の蒸留技術は、古代ギリシャで生まれたといわれ、シルクロードを通じてインド・中国・タイへ伝わり、各地で蒸留酒が造られるようになりました。奄美での焼酎製造の始まりは定かではありませんが、琉球王朝時代の人的交流を考えると、16世紀の半ばには琉球の泡盛が飲まれ、製造技術も伝えられていたと考えても不思議ではありません。1609年に奄美の島々は薩摩藩の支配下に置かれ、その14年後に藩は焼酎の貢納を命じていることから、この頃には既に蒸留の技術が伝わっていたようです。
江戸時代、奄美大島に遠島された薩摩藩士・名越左源太(なごや・さげんた)が記した『南島雑話』(1850~1855)にシイの実や粟、ソテツなどさまざまな材料を使用した島民の焼酎造りの様子や、サトウキビの絞り汁を使う「留汁焼酎」の記述があります。ただし、この時代黒糖は藩の専売となっており、庶民が勝手に扱うことは許されておらず、製糖期間中は焼酎を蒸留するための「コシキ」を封印され、焼酎造りは禁じられていたといわれています。
資料所蔵:奄美市立奄美博物館
奄美の島々では、焼酎は味噌や醤油のように家庭で造り家庭で消費する物でした。明治時代に入ると泡盛の製法が沖縄から伝わり、自家醸造が盛んとなりました。新政府により酒造が免許制となり製造に届け出と免許料が必要となってからも、島民は芋やソテツ等手に入る様々な原料で自家用焼酎を造っていたといわれています。
太平洋戦争後、奄美群島は日本本土から行政分離され、米軍政府の統治下におかれました。本土との流通が制限され、泡盛の原料となる米は不足し、黒糖は売り先が無く余る一方。そんな中、米の代わりに黒糖を造りに利用するようになりました。
8年間の行政分離期を経て昭和28年に奄美群島が日本へ復帰するにあたり、黒糖を焼酎造りに使用していたこれまでの経緯が考慮されることになりました。酒税法の特例通達として、一次仕込みに米麹を使用することを条件に、黒糖を使用した焼酎製造が奄美群島だけに認められたのです。このようにして、現在の「奄美黒糖焼酎」が誕生しました。
■奄美黒糖焼酎の造り方
奄美黒糖焼酎は、米と黒糖を原料に造られています。ここからは奄美黒糖焼酎が出来るまでの工程をご紹介します。
1)洗米・蒸米:原料米を浸漬し、洗米後水分を切って蒸す
2)製麹(せいきく):米に麹菌を散布し、35〜40度に保ち40〜45時間熟成させる
3)一次仕込み:熟成した麹に水を加え、5〜7日置くと発酵しもろみとなる
4)黒糖溶解:蒸気で黒糖を溶かし、液状にする(常温で溶かす場合もあります)
5)二次仕込み:一次仕込みのもろみに黒糖液を加え(固まりのまま黒糖を加える場合もある)、10〜14日発酵させるとアルコール分が14〜16度となる
6)蒸留:熟成した二時仕込みのもろみを蒸留器で蒸留する
7)貯蔵:不純物を除去し、タンクに貯蔵する
8)割り水、瓶詰め:商品に応じて25度や30度等に割り水し、瓶詰めする
※上記は基本的な造りの流れです。各工程は、蔵によって違いがあります。
(文・写真/くっかる)
(「奄美黒糖焼酎の楽しみ方1 基礎編」へ続く)