つくろう、島の未来

2024年11月23日 土曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破、現在も毎年数十島を巡るという斎藤潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第39回は、島の中に香川県との県境を有する石島(いしま|岡山県)へ。20年ぶりに石島を訪れた斎藤さんが、犬島(いぬじま|岡山県)から石島、小豆島(しょうどしま|香川県)へと島々を渡り奉納された伊勢大神楽の一行と行き合った思い出を胸に、島を歩きます。

きれいに整備された校庭で大廻しを演じていた(2001年10月撮影)

島々を渡る伊勢大神楽と石島を歩いた思い出

なにか違う、どこかが違う。間近に迫った石島の姿を見て、そう思った。

岬の向こうに石島集落が現れ、その感がさらに強まる。そうか、2001年に渡ってきたのは東からだったが、今回は西からなので印象が異なるのだろう。

2001年に訪ねた時は、人口が150人近くいるにもかかわらず、定期船の通わない島だった。漁業の島なので、どこの家も自家用船で本土と往来していることは容易に想像できた。しかし、よそ者が渡ろうとすると、船をチャーターするか、住民しか乗船できないスクールボートになんとか便乗させてもらうしかなかった。

どちらの手段で渡島を試みようか考えている頃、犬島へ毎年秋にやってくる伊勢大神楽の一行を取材させてもらう機会があった。聞けば、犬島の後は、石島へ渡ってから小豆島へ帰るというではないか。

石島を巡る大神楽の様子も取材させて欲しいとお願いして、了承を得た。おかげで、大神楽一行のチャーター船に同乗させてもらい、初の石島行きを果たすことができた。だから、東から渡ったということになる。

船のお祓いをする大神楽の一行(2001年10月撮影)

今回(2022年)は、島外からの訪問者も利用できる予約制の海上タクシーが、宇野から運航を始めたと聞き、それを利用した。前回は裏口から入ったが、今回は堂々と正門から入る感じだ。

石島に上陸し、集落の入口で一瞬戸惑った。歩いた場所の印象が朧(おぼろ)で、思い出せない。あの時は大神楽一行について歩いたので、記憶が曖昧なのかもしれない。

ここで、伊勢大神楽とは何ものなのか、一行の責任者である太夫さんからいただいた私家版の小冊子『伊勢大神樂』から抜粋しておこう。

伊勢神楽は、神宮の神楽殿に於いて参拝者が奉納する神楽で、神慮を御慰めしようということから出ている。ところが伊勢へお参りしたくても、簡単にいけない人々がある。その人々の為に、桑名の太夫町から、そういう人達のいる土地へ行って、伊勢神宮で神楽をあげる代用をしてくれている。これが伊勢代神楽である。代神楽を大神楽と文字には書くことがあるが、獅子舞を代神楽として、その余興のように演ずる曲芸を、大神楽と今までどの土地でも云っている。(文・宮尾しげお)

現在は、もっぱら「大神楽」で「代神楽」は使われていないようだが。

具体的には、希望する家々を巡り、竈(かまど)の神を清める荒神祓い(こうじんばらい)を行う。主に獅子舞でお祓いするが、お初穂料(はつほりょう)によって内容の充実度が変わってくる。別にお初穂料を出せば、集落の広い場所で大廻しと呼ばれる放下芸(大道芸の一種)を行うこともある。

家々をお祓いして回る伊勢大神楽の一行(2001年10月撮影)

石島に上陸して準備ができると、太夫さんたちは2組に分かれ歩き始めた。ためらうことなく小径を縫ってゆく。すべて頭に入っているらしい。島の道は分かりにくいようだが特徴があるので、覚えやすいという。

「塩田跡の新興住宅地では、さすがに最初は自治会で地図をもらって歩きました。敷石の色など特徴をチェックしながら巡り、200軒の位置関係を覚えるのに、4、5年はかかりました」
頭の中に収められた膨大な地図を頼りに、年間何万軒もの家でお祓いしているという。

お初穂の生きたタコが軒先にぶら下がる恵比寿様でもお祓い(2001年10月撮影)

石島の第一印象は、子どもが多いこと。大神楽一行の獅子舞について回る幼子もいた。初めての島だったので、しばらく一緒に回り、それから高台に登った。斜面は、墓地や段々畑に利用されている。海辺にびっしりと家が立ち並び、校庭ばかりが白々と目立つ。

漁船のエンジン音に混じり、大神楽の笛の音が湧き上がるように聞こえてくる。そこに、時々太鼓の響きや小鳥のさえずり、虫の音などが加わった。

恵比寿様の軒先にぶら下がっていたお初穂のタコ(2001年10月撮影)

再び合流すると、大きな倉庫のような場所でお祓いをしていた。ノリの加工場だった。太夫さんが、味付けノリを受け取っている。お初穂料の一部だという。お初穂は神様への捧げもので米が基本だが、その土地の特産品も加わる。石島は、ノリ養殖が盛んなのだ。民家の荒神祓いは三十数軒だが、それ以外に加工場のお祓いが8軒あった。

ノリの加工場の一角で昼食を終えると、12人が通っていた玉野市立胸上小学校石島分校で大廻しを奉納することになった。大廻しがはじまった時点で、大人と子どもを合わせ4、50人はいただろうか。最初は獅子の舞。その後も続々と集まってきて、最終的には7、80人になった。子どもだけでも、20人以上はいる。

大廻しは1時間近く続くので、その間山の上の神社から集落を一望した。小さな村にある校庭には、活気が渦巻いているように感じられた。

玉野市立胸上小学校石島分校の校庭で大廻しを見物する人々。子どもも多い(2001年10月撮影)
裏山にある神社から集落を一望。校庭(中央下)は荒れている(2022年10月撮影)

今回、20年ぶりに石島分校を訪ねると、火が消えたよう。2012年に休校、2015年にはついに廃校になってしまったという。泳ぎ手を失ったプールは、防火用水池として利用されるようになり、相変わらず水をたたえていたが、どこか寂し気。草1本なかった校庭にも、雑草が目立つ。

人口は60ほどで、20年で半減していた。ノリの加工場も減ったように感じたが、季節になれば活気が戻るのかもしれない。

ノリの加工場(2022年10月撮影)

お初穂として生きたタコが、軒先にぶら下げられていた恵比寿様は、昔と変わらぬたたずまいだった。大神楽は今でも来ているのか気にかかるが、コロナのこともありこちらから話しかけるのは憚られる。

集落の外れに祀られた恵比寿様(左)(2022年10月撮影)

曖昧な記憶をたどって集落内を歩き回り、旧校舎の前に座りぼんやりしていると、オバァさんが声をかけてくれた。なんでも、島の草分けの1軒らしい。関連の資料もあるというが、さすがに見せてくださいとは言えなかった。

あまり長く話しても申し訳ないので、最後に確認した。
「伊勢大神楽は、まだ来ていますか」
「秋になると、来ているよ。もう、大廻しはしなくなったが」


【石島概要】
●所在地
岡山県玉野市および香川県香川郡直島町(香川県側は無人)
※島の北側は岡山県玉野市、南側は香川県直島町で、島内に県境がある
●人口
62人(2023年6月 住民基本台帳人口)
●行政区分
明治22年 町村制施行に伴い岡山県児島郡胸上村となる
昭和29年 鉾立村との町村合併で東児町となる
昭和49年 東児町が玉野市に編入され玉野市となる

     

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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