つくろう、島の未来

2024年11月21日 木曜日

つくろう、島の未来

島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破、現在も毎年数十島を巡るという斎藤潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。

第48回は、鹿児島県の南に連なるトカラ列島の最南端、小宝島へ。1975年から島に通う斎藤さんが、地元のガイドと共に信仰の跡地を訪ね、在りし日の小宝島の暮らしに思いを巡らせた旅の記録をお届けします。

水道施設も整備された湯泊温泉(2024年4月撮影)

信仰の跡地や水場跡に息づく在りし日の気配

1975年秋、初めて小宝島に上陸してから、来年で 50年になる。

当時の人口は20名で、世帯数は10。小学生は1名(3年生)、中学生4名(3年生1名、1年生3名)で、全校5名。中学を出た子どもが島から去ると、6年後の人口は15という極限状態だった。しかし、小宝島はどっこい生き延びた。

湯泊温泉。湯舟中央に見える筒は砲弾の薬莢を利用した手製のバケツ。
水道が使えない時はこれで真水を持参する(1975年11月撮影)

コロナが明けた今年の4月、6年ぶりに島へ降り立った。一通り歩いている島だが初心に戻ろうと、十島村の無料観光ガイドをお願いしておいた。特に聞かれなかったので、以前小宝島に来たことは伏せたまま巡った。中途半端に知ったかぶりすると、ガイドの意欲が失せると思ったからだ。こちらもゼロベースで耳を傾けたお陰で、新しい発見がいくつもあった。

1975年(以下、ムカシ)に島を歩き回った時、最近まで各地に祀られていたという神様を見つけることはほとんどできなかった。森ノ宮が祀られていた場所に全て合祀し、小宝神社になったからだという。個々の神様が祀られていた場所を聞いても分かる人はおらず、現住の人たちは、あまり興味がなさそうに感じた。

小宝神社。奥の本殿には十柱の神々が合祀されている(2018年5月撮影)

それらしい場所にたどり着けたのは、トバシラ宮だけ。現在は立派な小宝島港ができている、すぐ北側だった。まさか、隣の隆起サンゴ礁原に大型定期船が接岸できる大規模な港ができるなんて、ムカシは想像すらできなかった。

一周道路から宝島の方へ向かって真っすぐ降りていく小径を藪を分けつつ進むと、右手にかすかに入口らしきものが見えた。ここがトバシラ宮らしい。かつてはもっと開けた空間になっていたようだが、ビロウなどの亜熱帯植物が繁り、凄みを感じさせる気が漂っていた。島人に聞いていた通り、なにもない神聖な空間だった。

現在の小宝島港からすぐの場所だが、分かりにくいトバシラ宮(2024年4月撮影)

宝島を遥拝するお宮かと思っていたら、十柱の神様を祀ってあり、戦争の頃までは毎年宝島から初穂をもって80人ほどの人々がお参りに来たという。それから、神壇(しんだん)、中島ドンなどの神が祀られていた聖地を探したが、分からずじまい。低いガジュマルに囲まれた、小さな空き地がそうだろうと考えた。

改めて島人に聞いても、お祀りしていた人でないとと、口を濁す。その後半世紀、ずっと謎のままだったが、今回ガイドしてくれた岩下正行さんが、こともなげに連れて行ってくれた。ムカシを思い出して質問したわけではないが、興味があると思ったのだろう。

牧草地らしき草原を取り囲む森の奥へ、迷うことなく入っていく。ハブ(小宝島は最北端のハブ棲息地)は、大丈夫だろうか。森の中へ入ってしまうと、呆気ないほど見通しがよくきいた。まず目に入ったのは、赤い柱の砕けたものや木屑。「神壇神社」などという名前も見える。

昔の聖地にあった鳥居と思われるものの残骸には、神壇神社の文字が(2024年4月撮影)

信仰心の篤(あつ)い人がつくった鳥居らしいが、過酷な自然環境の中で長持ちしないのだろう。他にも、花崗岩やコンクリートでつくられた神名の入った石碑が、地の底から湧くようにいくつも現れた。本来神が祀られていた場所が分からなくなることを惜しんだ島出身の篤志家が、自費で設けたらしい。

信仰心のない自分のような者でも、思わず手を合わせてしまう。50年来探し求めていた随神(かむながら)の地なのだから、当然だろう。

岳の宮神社は、近くに案内板まで設置されていた。そこには、驚くべきことが書かれていた。巨岩の下に祀られた岳の宮神社には、世界遺産にも登録されている沖ノ島の宗像大社沖津宮(おきつぐう)と同様な岩陰祭祀跡(※)があるという。それも、沖ノ島では3世紀半ばから6世紀末で絶えたが、小宝島では同様の祭祀法が1971年まで存続していたというではないか。

※沖ノ島では祭祀で使われ神へ捧げられた奉献品の出土場所が時代ごとに大きく4段階に変化。そのうち岩陰から奉献品が出土する時代(3世紀中頃から6世紀末頃)の祭祀法が岩陰祭祀と呼ばれる。小宝島では、昭和46(1971)年まで同様な祭祀法が行われていた

中央下には「岳之御神之跡」という石碑が。奥の巨岩の下では、1971年まで岩陰祭祀が行われていた(2024年4月撮影)

その後、もう一度聖地の話が出てきて耳をそばだてた。2016年宝島小中学校から独立したばかりの小宝島小中学校は、今年の4月から小宝島学園という小中一貫の学校になっていた。

数奇な運命をたどってきた小宝島の学校については第1回でも触れたが(※)、やっとできた堂々たる体育館を見て、正行さん(島の名字はほとんど岩下)が教えてくれた。体育館予定地の一部が、聖地にかかっていたので、いろいろ折り合いをつけるのに時間がかかってしまったという。子どもたちや先生は、こんな話は知っているのだろうか。

在りし日の島影(1)露命をつないだ小宝島【寄稿|島旅作家・斎藤 潤】

1979年3月廃校になった宝島小中学校小宝島分は校舎が消えていた(1987年7月撮影)
2024年4月から小宝島小中学校は小宝島学園になった(2024年4月撮影)

そしてもう一つ感動したのが、かつては島の女性たちの社交の場でもあり、重要な水場だったホンカワの場所を確認できたこと。足の調子があまりよくない正行さんは、主にクルマで案内してくれたのだが、村外れの道をゆっくりと走りながら、ぼそりと言った。

「そこが、ホンカワです。昔は、女性たちの溜まり場で、少し暖かい水が湧いていたそうです」
そう言いながら、スーッと通り過ぎた。場所を必死に記憶に刻んだ。もう一度ゆっくりと来てみなくては。

日本中の多くの小島で、生活水の確保は女性たちに課せられた重要にして過酷な労働だった。ムカシ聞いた時は、フンガワ(ホンガワ)の温泉は以前ずいぶん使われたが、今は湯の量も減り誰も使っていない。使わないのでゴミが溜まりさらに汚れている。湯は塩分が含まれていない真水で、洗濯、浴用、飲料水としても多用されたが、戦後は使われなくなったということだった。

ムカシ、民泊でお世話になった当時の区長岩下彦助さんによれば、1948年の大旱魃(かんばつ)の際アメリカの軍政官に直談判して水を運んでもらったという。それを機に新しい井戸を掘り、水が湧出した場所は堀の川と名付けられた。現在は、海水淡水化装置が導入され、水の苦労からは解放されている。

稲刈り中の天水田。稲架干ししていた(1987年7月撮影)

一渡りガイドしてもらってから、ホンカワを探した。さっきすぐ脇を通ったばかりなのに、なかなか見つからない。やっと道端の草むらに黒い口が開いているのを見つけ、覗き込む。

目が慣れてくると、ささやかな階段らしきものが薄闇の中から浮かび上がった。数歩降りてみる。目の前にある窪みは、真水を溜めた場所だろう。その左手奥には、小さな洞窟らしきものも見えたが、子どもがやっと入れそうな小ささなので、深入りはやめた。

やっと場所を確認できた昔の水場ホンカワ。右が階段で、中央は真水を溜めた場所か(2024年4月撮影)

しばらく草むらの奥の空間に身を潜め観察していると、妙に居心地がいいことに気づいた。探索は放棄してじっとしゃがんでいると、何世代か前の女性たちのおしゃべりが聞こえてきそうだった。

ここに寝袋を持ち込み、戦前のオバちゃんたちが笑いさざめく声を子守歌に眠れば、熟睡できるのではないか。ハブが遊びに来るかもしれないけれど。そんな愚にもつかない妄想が、妙に楽しかった。


【小宝島概要】
●所在地
鹿児島県 十島村
●人口
55人(2024年6月 住民基本台帳人口)
●行政区分
明治41年 町村制の施行により大島郡十島村となる
昭和21年 南西諸島の行政分離により米国施政権下に入る
昭和27年 日本復帰
昭和48年 鹿児島郡十島村となる


2020年7月にスタートした「在りし日の島影」は今回で最終回となります。長きにわたりご愛読いただき、誠にありがとうございました。

斎藤潤さんの著書の中から、島旅のお供に連れて行きたい本をいくつか紹介します。ぜひ皆さんの足で、気になる島を訪ねてみてください。(リトケイ編集部)

日本の島 産業・戦争遺産

離島地域の産業遺産や戦争遺産、文化遺産にスポットを当て、地図や豊富な写真資料とともに紹介。このほど世界遺産に登録された佐渡島の佐渡金山をはじめ、奄美大島南部や喜界島の戦争遺産、南大東島のサトウキビ列車関連遺産など、全国約100カ所の「島に遺された遺産」の背景から現在の姿まで、全容を知ることができる。(マイナビ出版/税込1,298円)

ニッポン島遺産―後世に残したい自然・文化を抱く40島

「島遺産」としてトカラ列島・悪石島の仮面神「ボゼ」など祭祀文化をはじめ、礼文島屋久島などの大自然、横浦島の漁具「籠船」や、朴島の菜の花畑のように島々の暮らしを感じさせる風景など、40島の多彩な魅力を紹介。西表島の「西表島の森に響く音」のような謎めいた遺産も。将来も受け継がれてほしい個性的な「島遺産」の数々に触れる事ができる。(実業之日本社/税込1,760円)
>>リトケイ掲載記事

カラー版 瀬戸内海島旅入門

広島と愛媛をむすぶ「しまなみ海道」のサイクリングや「瀬戸内国際芸術祭」が人気を集める瀬戸内の島々。芸術祭の舞台となる直島女木島小豆島大島本島高見島をはじめ、約90の島々をオールカラー320ページで紹介。島旅の始め方や楽しみ方など島旅ビギナーにうれしい情報も備えた一冊。(マイナビ出版/税込1,408円)

     

離島経済新聞 目次

寄稿|斎藤 潤・島旅作家

斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。

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