島旅作家として日本の海に浮かぶ全ての有人島を踏破。現在も毎年数十島を巡るという、斎藤 潤さんによる寄稿エッセイ「在りし日の島影」。
第25回は、日本に3島存在する人が住む「松島」の一つ、佐賀県唐津市沖に浮かぶ松島(まつしま|佐賀県)へ。再開した定期船に乗って訪れた約30年前の訪問や10年後の再訪を振り返り、島の若手漁業者たちの新たな挑戦を紹介します。

港の前に教会が佇む人口50人の島
今回は、松島にまつわる思い出と島の現在について触れたい。
松島と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、日本三景で名高いみちのくの松島(宮城県)だろう。松島に島はたくさんあるが、松島という名の島はない。
日本に三つ存在する人が住む松島は、岡山県倉敷市、長崎県西海市、そして、佐賀県唐津市にある。どれも知名度はあまり高くないが、今回取り上げるのは呼子沖の唐津市に属する人口50人ほどの松島。これまで3回しか訪れたことがなく、滞在時間も短いのに、なぜか心に刻まれている島だ。
最初に訪れたのは、もう30年近く前の1994年7月。呼子を訪ねた時、人口減で定期船もなくなっていた松島へ、最近また船が通うようになったと聞いて心ひかれた。
若者が何人か戻り、子どもも生まれたらしい。船便は1日2往復で、島に滞在できるのは3時間足らずだったが、小島なのでそれだけあれば一巡りできるだろう。

港の真ん前に、小さいながら凛とした教会がたたずんでいた。島人は、ほぼ全員カトリック教徒だという。教会の中を見学し、坂の両側に開けた集落を歩けばもうおしまい。穏やかな気の満ちた集落の上で、弁当を広げビールを飲んで昼寝した。
しばらく寛いでから港へ降りていくと、未就学児と思われる幼子たちが数人、船溜まりで水遊びをしていた。子どもが多いなと思いながら、ほほえましい光景を眺めるうちに、小さな漁船が3、4隻戻ってきた。

漁師たちは、誰もが黒いウエットスーツを身にまとっている。潜水漁の海士であることは、水揚げの様子を見てすぐに分かった。サザエやアワビといった貝類が多い。けっこう獲物があるものだと感心していたら、サザエを数個ビニール袋に入れ、ぼくの方へ差し出した。
「持っていきんしゃい。旅館で焼いてもらってもよか」
思いがけない贈り物に一瞬ためらったが、ありがたくいただいた。


左:松島で水揚げされたアワビ/右:サザエやハタの仲間(1994年7月撮影)
それから10年後、呼子で2時間ばかり暇ができ、時刻を調べたら松島往復がポッコリと嵌(はま)った。船便が、1日3便になったおかげらしい。呼子を14時半に出航して、16時20分に戻ってくることができる。あれから、松島はどうなっているのだろう。
集落中央の坂を登っていくと、最上部の近くに唯一の広い平地があった。10年前は休校中だった、加唐小学校松島分校の校庭だった。
校舎の入口に子どもたちが集まって、先生と遊んでいる。あの時海水浴をしていた子どもたちか。いや、その少し下の世代だろう。
話しかけると、元気のいい挨拶が返ってきた。松島には今何人くらい住んでいるのか教師にたずねたところ、先生に促された子どもがためらわずに答えた。
「94人くらいです。小学校には、16人通っています」
何人かが、そうそうと大きくうなずく。自分たちの島に愛着と誇りを持っていることが、子どもたちの表情にはっきり見て取れ、こちらまで清々しい気持ちになる。
「児童数は本校の加唐小より、松島の方が多いんですよ。中学生は、スクールボートで加唐島(かからしま|佐賀県)へ通っています」
先生が、そう付け加えた。水遊びしていた子どもたちは、加唐島へ通っているのか。
1988年に休校となり、1996年にやっと再開できた分校が、本校を凌ぐまでになっているとは。校庭の向こうの斜面に墓地があり、墓石にマリア、ヨゼフ、イサベルナ、ロレンソ、ポーロなどと刻まれていた。

その後どうなっているのか気になっていたのだが、地元紙のネットニュースで、2016年3月地元出身の宋勇人さんが、松島で1日1組予約限定のレストラン「リストランテマツシマ」を開店したと知って、大いに驚きつつも可能性を感じた。福岡圏のお客は、積極的に島のグルメを追及していると感じていたからだ。
気になりながらも行きそびれていた時、友人から島グルメのいい場所はないか相談を受けた。そこで思い浮かんだのが、松島だった。実際自分の舌で確かめてないが、多分当たりだと思うので、興味があれば行ってみたらいいと勧めた。
行動力のある友人はすぐに飛んでいき、料理と島人の魅力にはまってしまった。おまかせのランチのみだが、人気が高くなかなか予約が取れないという。改めてじっくり味わいたいので、空いている日を聞いて予約してきたというではないか。
今のところ2人だというので、もう一人追加してもらった。待ちに待って3回目の松島へ渡ったのは、2018年7月だった。一緒のテーブルについたのは、ぼくら3人と勇人さんのお父さんである勇さん、弟の秀明さん。身内にもちゃんとしたコースをふるまったことはなかったらしい。

当時、勇人さんは27歳。2004年には、多分加唐島の中学校へスクールボートで通っていたのだろう。23歳の秀明さんは、小学生の一群の中にいたに違いない。そう思うと、感無量だった。夜になると、島へ戻ってきた若者たちが、次々と集まってきた。
若者たちは、主に海士や渡船業を生業としているという。好きな生まれ島で好きな仕事をして暮らしている、そんな幸せが表情ににじみ出ている。もちろん、それぞれ悩みは抱えているだろうが、気心の知れた仲間に囲まれお互いに心強いだろう。
勇人さんは海士をしながら料理も手がけているが、秀明さんも意欲的だ。料理を楽しみに行った時は、島の蜜源を利用した養蜂に挑戦していて、ちょうど百花蜜を絞っているところだった。
その時、料理ばかりでなく島の魅力を丸ごと堪能してもらうため、宿泊できる施設を手づくりしたいという夢を聞いた。

夢を夢で終わらせずに、秀明さんを含めて8人の若者たちが協力し合って、クラウドファンディングで資金の一部を集め、コロナ禍にも負けずこの7月、グランピング施設「ON THE CLIFF」(オンザクリフ)のオープンにこぎつけた。夏の間は、クラファンの返礼宿泊で埋まっているようだが、秋からは一般の予約も開始するという。
重い腰を上げて、新たな松島の表情をじっくりと見に行かなくては。

【松島概要】
●所在地
佐賀県唐津市
●人口
50人(2022年3月 住民基本台帳人口)
●行政区分
明治22年 町村制施行に伴い東松浦郡名古屋村となる
大正11年 名古屋村が名護屋村に表記変更
昭和31年 打上村と合併し町制施行、鎮西町となる
平成17年 唐津市・東松浦郡浜玉町・厳木町・相知町・北波多村・肥前町・呼子町と合併し、唐津市となる



離島経済新聞 目次
寄稿|斎藤 潤・島旅作家
斎藤 潤(さいとう・じゅん)
1954年岩手県盛岡市生まれ。大学卒業後、月刊誌『旅』などの編集に関わった後、独立してフリーランスライターに。テーマは、島、旅、食、民俗、農林水産業、産業遺産など。日本の全有人島を踏破。現在も、毎年数十島を巡っている。著書は、『日本《島旅》紀行』『東京の島』『沖縄・奄美《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『瀬戸内海島旅入門』『シニアのための島旅入門』『島―瀬戸内海をあるく』(第1集~第3集)他、多数。共著に、『沖縄いろいろ事典』『諸国漬物の本』『好きになっちゃった小笠原』などがある。
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