つくろう、島の未来

2018年12月11日 火曜日

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

自分の体を作っているのは食べもの。
後悔しないため、未経験の農業にチャレンジ。

新潟県の佐渡島で、農業を営む永仮さん。住んだことのなかった佐渡島で、未経験の農業を始めた背景には、どのような想いがあったのでしょうか。お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

永仮由恵。佐渡島にて、米や大豆を作る農家を営む。

後悔なく生きたい

兵庫県神戸市で生まれました。弟が二人いる長女です。親が教育熱心で、小学校から国立の学校に通い、習い事もたくさんやりました。くもん、バレエ、水泳、体操、ピアノ。親に言われたものもあれば、自分でやりたいって言ったものもあった気がします。ただ、どれも長続きはしませんでしたね。

小学生くらいまでは活発な性格だったんですけど、中学生になってからはあまり前に出るタイプではなくなりました。毎日ぎゅうぎゅう詰めになるバスに揺られて通学するのが、ちょっと疲れちゃったんです。学校も休みがちになりました。

中学3年生の時、阪神淡路大震災が起きました。直接の知り合いで亡くなる方はいませんでしたが、周りでは多くの方が亡くなりました。人はいつ死ぬか分からないということを目の当たりにしたと同時に、日々後悔がないように生きようと思いました。

中学卒業後は、法学部の大学に推薦枠がある高校に進みました。将来、法律に関わる仕事に就きたいと考えていたんです。子どもや女性の権利を守りたいと、漠然と思っていました。

思惑通り、高校卒業後は、名古屋の大学の法学部に推薦で進学しました。実家を出たい気持ちが強かったので、地元の大学は考えませんでした。家にいるのがあまり落ち着かなかったんですよね。親に気を遣ってしまったり、どことなく生活感が合わなくて。家が、自分の居場所だとは思えなかったんです。

その分、学費や生活費は自分で稼ぐ必要がありました。奨学金を借りて、朝と夜はアルバイトをして生活費を稼ぎました。朝は工場に行き、夜はまかない目当てで飲食店で働きました。働きながら法律の勉強をして、司法試験合格を目指しました。

食べるものが大事

大学卒業後、就職せずに司法試験を目指して勉強を続けました。弁護士事務所で働きながら生活費を稼ぎ、後は勉強です。

しかし、なかなか合格することができませんでした。結局、大学を卒業して数年した時、実家の都合で神戸に戻ることになりました。神戸で働き出したんですけど、自分の中では不完全燃焼だったので、生活が落ち着いてから勉強を再開しました。

数年で名古屋に戻り、また司法試験の勉強に集中しました。ところが、その頃から体調を崩しがちになってしまいました。それまでずっと忙しくしてきたツケが回ったんだと思います。仕事と勉強の両立ができなりました。

体を壊すと医療費がかさみます。蓄えがあったわけではないので、仕事をする時間ばかりが増えて、勉強する時間はどんどん減りました。そのまま続けても、司法試験に合格するのは難しい。そう考えて、弁護士になるのは諦めました。

とにかく生きることに必死で、悔しいとかそういうことを考える余裕はありませんでしたね。

その後は、興味のあった介護や経理の仕事をして過ごしました。結婚して生活は安定しましたし、大学時代に借りていた奨学金の返済も終わりました。

ただ、大きな病を患うことはないものの、何となく気だるい未病の状態がずっと続いていました。何かを変えなければと思いましたね。

特に、食生活。それまでは、とりあえず食べられれば何でもいいという感じでしたが、自分の体を作っているのは食べものだという基本的なことに、ようやく気づいたんです。

ちょうど同じ頃、父が定年した後の第二の人生は、生まれ故郷である新潟の離島、佐渡島に戻って農業をやりたいと言い始めました。佐渡島で父と一緒に農業ができたら、健康にもいいし、面白いかもしれない。そう思い、職業訓練校で農業を学ぶことにました。

農業をやりたいという気持ちだけでなく、何かにがむしゃらに打ち込みたい気持ちもありましたね。汗を流して頑張りたいって思ったんです。

旬を食べる感動

農業を学ぶのは、すごく面白かったですね。農業経営や税制、ロジ周りのことを座学で学んだり、畑で野菜を作ったり。それまでは農業に関わることは少なかったので、新しく知ることが多かったですし、農業に関わる素敵な方にたくさん出会いました。

あとは、自然の力に感動しました。訓練校は、農業大学の敷地内にあって、そこでは生徒がいろんなものを作って販売していました。採れたての野菜は、味がぜんぜん違うんですよね。食べた瞬間分かります。

夏だったので、トマトとなすとピーマンが本当に美味しくて。あとは果物。普段の生活で果物ってあまり買えなかったので、果物の美味しさとありがたさを感じました。

それまで、旬の食べ物ってあんまり知らなかったんですよね。スーパーに行けば何でも売ってるので、気づきもしませんでした。でも、旬のものを食べると、エネルギーをもらえるし、なにより美味しい。そういうことに気づけたんです。

9ヶ月の職業訓練を終えて、本格的に農業を始める場所を探しました。佐渡島以外でも、農業が盛んな愛知や兵庫も候補地として上がりました。農業をやりながら農泊体験の提供もしたいと思っていたので、観光地として成り立つかもこだわりました。

最終的には、佐渡島に決めました。佐渡島には山も海もありますし、下見に来た時に見た国仲平野が壮大で、佐渡島の農業ってすごいと感じたんです。そのまま市役所の農林水産課に足を運んで、農業会社を紹介してもらいました。

訓練校を卒業した翌月には、佐渡島に単身で移住しました。私は農業をやるという目的がありましたし、父の実家ということで多少の縁があるので、多少大変なことがあっても我慢できますが、夫にとってはどうか分かりません。それで、ひとまず私一人で行くことにしました。

佐渡に移住して

移住して農業をはじめましたが、想像しなかったことばかり起きて、大変でしたね。そもそも、私は職業訓練校では野菜の勉強をしたんですが、働き始めたのは米農家。使われる言葉も違うので、何をしたらいいか全然分からないんです。

働いた会社の方も、移住者を受け入れたのが始めてで、お互い勝手も掴めませんでした。相当我慢してくれたんでしょうが、それでも厳しいことを言われました。

ご近所付き合いも戸惑いましたね。ずっとアパートで暮らしで、ご近所付き合いをしたことがなかったんです。常に監視されているような感覚もあって、どうしたらいいか分かりませんでした。

農業会社で働き始めて2年経つ頃、別の集落に移ることにしました。月の収穫に応じて給料に差があり、思っていた水準を下回って、生活が苦しくなってしまったんです。それで、父の実家がある集落に引っ越して、父が借りている家に住みました。農地はたくさん余っていましたし、親戚の方もいたので、そこで農業を始められるかなと考えていました。

ところが、周りの人には反対されました。女性一人で農業は難しいだろうって言われるんです。高齢の方たちが多いので、今の農業のやり方など、話が若干噛み合わないこともありました。また、農地や機械を貸してくださると言っていた方が亡くなってしまったこともあり、その場所で農業を始めるのは難しくなりました。

夫が名古屋から佐渡島に来て一緒に住み始めたこともあり、その集落からは出ることにしました。思ったようにうまくいかないことばかりでしたが、名古屋や神戸に戻ろうとは思いませんでしたね。私は農業をやりたくてこの場所を選んでいるので、諦めたくなかったんです。

どうにか農業を始められないかと思っていたところ、佐渡島最北端の鷲崎という場所の農家を紹介してもらいました。地域おこし協力隊の方が地元の人と掛け合ってくれて、田んぼや機械を貸してくれる人が見つかったんです。それで、2017年3月より、本格的に農業を開始することになりました。

旬を食べる感動

現在は、お米と大豆を作っています。在来種の大豆を使い、味噌作りなどをしたいと考えています。また、夏は枝豆とチューリップの球根を作りたいと思っています。お花ではなく、球根として販売したいと思っています。

農業をやりながら、農泊体験も提供したいと考えています。食育というか、私が農業に関わって初めて感じたように、多くの人に食べ物の旬を感じてほしいんです。また、島外の人に、佐渡島の野菜がどう作られているか見てもらって、佐渡島を好きになってもらいたいですね。とにかく、島に足を運ぶきっかけを作りたいんです。

また、新規就農者のお手伝いをしたいという気持ちもあります。移住して新規就農をするのって、やっぱり大変です。「農業をちょっとやってみたいな」くらいの気持ちで来ると、想像を絶するようなこともあります。農泊を通じて、新しく農業をやりたい人、困っている人の手助けができたらと考えています。

あとは、一時的な人不足が起きる農家さんの手助けもしたいです。大体の農家さんは、常時雇用はできないものの、収穫時期などは人手がほしいと考えています。その時、農泊できた人に手伝ってもらって、いろんな農業のやり方を知ってもらう。そうすれば、いきなり就農した時に起きるミスマッチも減るんじゃないかなと思います。佐渡で農業を始める準備として、農泊を使ってほしいんです。

農家としてまだまだこれからスタートという段階ですが、自分が作った体に良い食べ物を、たくさんの人に食べてもらいたいですね。まずは集落の人や、家族友人に食べてもらいたいです。それで、農泊に来てくれる人が増えて、自分の体や食べ物に対して目が向く人に増えてほしいです。

佐渡島は、私にとってはとても落ち着く場所です。DNAに何か刻まれているのかもしれません。自然に囲まれて、一人で海を見たりぼんやりとするのが好きです。田んぼで作業をしながら海が見えるのも最高です。自然が好きな人にはおすすめですし、大好きなこの景観は維持していきたいですね。

農業の面白さは、一つのことに集中できることだと思います。自然が相手なので、より嬉しいのかもしれません。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

関連する記事

ritokei特集