つくろう、島の未来

2024年12月26日 木曜日

つくろう、島の未来

プロ野球投手を現役引退後、野球解説者やスポーツ評論家として活動するとともに、全国の島々で少年野球教室を開催するなど、各地で少年野球の指導に取り組む、村田兆治さん。2007年から各地の島を舞台に開催する国土交通杯 全国離島交流中学生野球大会(通称「離島甲子園」)の提唱者でもある。
この夏第11回を迎える「離島甲子園」や、島々の子どもたちへ向ける思いを聞いた。

『季刊ritokei』24号(2018年5月発行号)掲載記事です
※文末に読者プレゼント募集があります

聞き手・石原みどり 写真・石津祐介

—2007年夏に始まった「離島甲子園」が、10年を迎えますね。

「離島甲子園」は、野球を通じた離島間の交流や人材育成、地域振興を目的に開催している中学生球児の野球大会です。2008年に東京の伊豆大島(いずおおしま)で初開催し、それから毎年、全国の島を巡回しながら大会を開いています。

昨年は、第10回の記念大会を沖縄県の石垣島(いしがきじま)で開催しました。第11回大会となる今年は、鹿児島県の種子島(たねがしま)で開催します。

—島々での野球教室や「離島甲子園」を始めたきっかけは。

プロ野球を引退した翌年の1991年、新潟県の粟島(あわしま)で少年野球に取り組む子どもたちの親御さんから、「島の子どもたちに本物の豪速球を見せてあげてほしい」という手紙が届いたんです。

そこで粟島を訪ねると、島の人口は500人(当時)、野球部員はわずか15人で紅白戦もできない人数。島でスポーツをする子どもたちの厳しい現実を目の当たりにしました。

ハンデのある環境にいると、「どうせ本土には勝てない」などと卑屈な言い訳をしたくなることもあるでしょう。でも、本気でやっていれば必ずいいことがあるんです。

私自身も現役時代に肘の怪我で大きな挫折を味わいましたが、諦めずに治療とリハビリを頑張ったことで選手として復活し、40歳まで活躍することができた。人生はチャレンジの連続です。

逆境に負けずに立ち向かうための、夢や、希望、勇気、挑戦する心を伝えたい。そんな思いを込めて、子どもたちを1人ひとりバッターボックスに立たせ、本気の豪速球を投げ込みました。

後日、粟島から野球教室のお礼と、「将来は病気で苦しむ人を助ける医者になりたいと思います」「父の後を継いで漁師になります」など、子どもたちが将来の夢を綴った手紙が届きました。一球一球に込めた本気が伝わったのだ、と感じました。その時の経験がきっかけとなり、手弁当で全国の島を訪ね、少年野球教室をするようになりました。

—「剛腕・村田兆治、島を行く」のプロジェクトですね。

1992年長崎県の生月島(いきつきじま)を皮切りに、「剛腕・村田兆治、島を行く」と銘打ち、北は北海道の利尻島(りしりとう)や礼文島(れぶんとう)、南は鹿児島県の奄美群島(あまみぐんとう)から沖縄県の与那国島(よなぐにじま)まで、全国50カ所の島で計100回の野球教室を開催し、子どもたちに正しい練習の仕方や筋肉の使い方、心の持ち方など、プロ野球で培った技術を教えてきました。

1993年に北海道南西沖地震と津波の被害にあった奥尻島(おくしりとう)では、繰り返し「負けるな!」と叫びながら子どもたちに球を投げ続けました。

—そうした活動が、「離島甲子園」開催につながるのですね。

島々での活動の傍ら、全国の島から野球少年が集まり交流する「離島甲子園」の構想を思い描き、取材などの場では折に触れて思いを口にしていました。実現のきっかけとなったのは、2005年から2007年まで開催された「国土交通大臣杯離島交流中学生野球大会」です。

2004年に「平成の大合併」で一島一市となった新潟県佐渡(さど)市、長崎県壱岐(いき)市、長崎県対馬(つしま)市に呼びかけ、3市の合併記念事業として交流戦を企画。3島3市の中学生野球チームを集め、2005年夏に佐渡島で野球大会を開催しました。

同じ年に、「剛腕・村田兆治、島を行く」の活動に賛同した元阪神・藤田平、元阪急・福本豊、元広島・北別府学、元巨人・橋本清、元ヤクルト・池山隆寛、元ダイエー・カズ山本ら13名のプロ野球OBと、対馬市の市民球団「対馬まさかりドリームス」を結成。年に数回全国の島を訪ね、野球教室や親善試合をするボランティア活動もスタートさせました。

2006年の壱岐大会は、台風で予定されていた大会が中止となってしまいましたが、壱岐の関係者の尽力があって、東京都大島町、鹿児島県屋久島(やくしま)町も加わり、秋に5チームで第2回大会を開催。翌2007年の対馬大会では、東京都八丈(はちじょう)町と島根県隠岐の島(おきのしま)町も加わり、参加チームを増やしながら島同士の交流を3年間続けました。

そして2008年夏、国土交通省の支援も得て、全国の離島地域の自治体に参加を呼びかけ、伊豆大島で第1回の「離島甲子園」が実現しました。これまで交流のあった島々に加え、北海道から奥尻町と東京都三宅村(みやけむら)が加わり、総勢10チームでの開催となりました。
(インタビュー後編に続く)


お話を聞いた人/
村田兆治(むらた・ちょうじ)

元プロ野球投手。1949年広島県豊田郡本郷町(現・三原市)生まれ。1967年ドラフト1位で東京オリオンズ(現・ロッテ)に入団、プロ入り4年目の1971年に「まさかり投法」を編み出し、1976年に最優秀防御率投手、奪三振王を獲得するなど注目を集めた。1982年に右肘の故障のため渡米手術。約3年間のリハビリを経て復帰し、17勝5敗でカムバック賞を受賞。1987年には無死球完封試合達成、史上13人目となった2000奪三振など記録を重ね、1990年現役引退。2005年野球殿堂入り。全国離島交流中学生野球大会(通称「離島甲子園」)提唱者。2017年東久邇宮国際文化褒賞受賞。

読者プレゼント/
村田兆治さん「サインボール」または「サイン色紙」

応募締め切り:2018年7月末日
郵便番号、ご住所、お名前、電話番号を明記の上、タイトルを「読者プレゼント希望」として[mail★ritokei.com]までご応募ください。
(★を@に変えてお送りください)
※当選発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます。
※個人情報は賞品発送にのみ使用し、それ以外の用途に使用いたしません。

イベント情報/
離島甲子園 第11回大会

2018年8月7日(火)〜11日(土)
開催地:鹿児島県種子島
会場:西之表市営グラウンド・中種子町中央運動公園野球場・南種子中学校野球場・南種子町健康公園野球場・種子島宇宙センター内野球場

【関連サイト】
離島甲子園

     

離島経済新聞 目次

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