「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。
東京をはなれ、運命を信じて佐渡島へ。
外から来た「旅んもん」だからできること。
幼い頃から思い描いていた東京での人生に別れを告げて、地域おこし協力隊として佐渡島に渡った木野本さん。どうして地域おこし協力隊に興味をもったのか、どうして縁もゆかりもない佐渡島を選んだのか。協力隊終了後の移住生活についても、お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

木野本信子。2013年、地域おこし協力隊として佐渡島に移住。現在、株式会社佐渡日和代表。
憧れ続けた、東京での音楽の仕事
新潟県の小千谷市で生まれました。小さい頃から音楽が好きで、音楽関係の仕事に就きたいとずっと思っていました。最初はアイドルが好きで、やがてニューミュージックやロックが好きになって。新しいバンドを発掘して「こんなバンドがいるんだよ!」とみんなに教えることが好きでした。
高校を卒業したら東京に行くんだって決めていたので、中高時代はどうやって音楽業界に入るかばかりを考えていました。音楽やサブカルチャーの雑誌が好きで、編集の仕事がしたいとも思ってました。
高校卒業後に上京。大学時代はライブに行ったり、レコード会社でバイトしたりと、音楽に浸る生活をしていました。知り合いのミュージシャンのマネジメントのようなことをするようになり、ミニコミ誌を作ったり、レコード会社とのやりとりもさせてもらいました。
そういう経験を通じて、アーティストのプロモーションにやりがいを感じ始めて。卒業後はアルバイトをしていた音楽関係の広告会社にそのまま入社しました。
大好きな音楽が、大嫌いになった
会社では主に雑誌や新聞などのプロモーション担当して、紹介記事を取ってきたり、取材をブッキングしたりしていました。雑誌広告と記事がうまくコラボレーションできた時など楽しいこともありましたけど、基本は記事の掲載をとるために一日中歩き回るような地味な仕事でした。
働いているうちに、ビジネスとして音楽に関わることに疲れていくのが分かりました。年間100組以上のアーティストを担当していたので、好きな音楽を聴いていても、あの新曲も聞いておかなきゃとか、どうやったら取材記事が取れるだろうとか、仕事のことがすぐに頭に浮かぶようになって。
最終的に、音楽を聴くことが苦痛になりました。家でもテレビで音楽が流れてきたらすぐ消すようになって、毎日のように行っていたライブにも仕事以外では行かなくなりました。
音楽業界を離れようと決意したのは8年目。自分に他に何ができるかなと考えた時、私にはPRしかないと思いました。ただ音楽ではなく、商品やイベントをPRする業界へ転職することにしたんです。
化粧品や消費財のPRを中心に様々な仕事をやりました。仕事は好きでしたし、同僚にも恵まれましたが、本当に忙しかった。終電に間に合うように走って帰る毎日でした。そんな生活を続けるうちに、いつまでこの仕事を続けられるんだろうと悩むようになりました。
PR業界は女性も多いし働きやすいとはいえ、やっぱり若い業界なんです。新しい感性が大事になってくるし、体力勝負ですしね。年齢を重ねていくと20歳の子と同じことってやっぱりできなくなっていく。40歳が近づくにつれて、私はどうしたいのかなって本格的に考えるようになりました。
トキと出会い、悩んだ末移住を決断
PR会社に入って10年経つ頃、地方PRが注目され始めました。だけど、東京発信の地方PRって、イメージ先行でその地域の実態があやふやになって、田舎出身の私としてはなんとなく違和感がありました。もっと地域と密着するようなことができたらと思っていました。
その頃、野生化でのトキのひな誕生のニュースが全国で話題になったんです。私、新潟出身ですけど、実はトキのことはよく知りませんでした。だから世間の盛り上がりように驚きました。「そんなにバリューがあるものなのか?」って。
そんな中、環境省が子育ての様子ををネット中継していることを知りました。色んな人が映像を見ながら画面上でチャットしていたんですが、そこには佐渡の人も参加してくれてて「トキはこんな鳥だよ」とか、「佐渡ではこんな取り組みしてるんだよ」とか色々教えてくれてたんです。
それをきっかけに、トキだけじゃなくて佐渡にも興味を持って。じゃあ実際に行ってみようと思って、遊びに行ってみたんです。
佐渡に着いた時、直感で「この島いいな」と感じました。空気が合うっていうか、自分にすごくフィットするなって。
トキにはなかなか会えませんでした。出ると言われたスポットを回ってもなかなか現れなくて、諦めて帰ろうとした時、遠くの方に白い鳥が飛んでいるのが見えました。トキだったんです。しかも、そのトキが私の上空をぐーっと旋回していったんです。夕暮れ時で、本当に綺麗でした。これは運命かもしれないと思いましたね。
東京に戻った後、佐渡に住む方法がないか調べてみましたが、しばらくは無理かなと諦めかけてたとき、地域おこし協力隊のことを耳にしました。
地域おこし協力隊の仕事を調べてみると、私のPRのスキルが活かせるんじゃないかと感じました。ただ、実際に応募するかどうかはかなり悩みましたね。人生ほぼ変わりますから。上京して25年、友達とか人間関係とかすべての基盤が東京にあったので。
でも、行かなかったら絶対に後悔すると思ったんです。これから何かあったときに行かなかったことを言い訳にし続けるような気がして。年齢的にも、チャレンジするならこれが最後だろうという思いもありました。
最終的には、これだけ運命を感じているし、もう一回人生リセットして頑張ってみようと決意して、協力隊に申し込みました。
佐渡での3年間で、もらったもの
協力隊として佐渡に入って、海府地区の9集落を担当することになりました。ただ赴任した当初は、毎日何をしていいのか分かりませんでした。佐渡のリズムにも慣れが必要でした。東京の早いスピードの中で働いていたので、佐渡独特のゆったりしたリズムとのギャップに体がついていかなくて。
次第に「私がいる必要ってあるのかな」と悩みました。東京が恋しくなりもうやめようか。今だったらまだ戻れるって考えたりもしました。
そんな時、大野亀で一面に咲くカンゾウの花に出会ったんです。オレンジ色のカーテンみたいですごく綺麗だった。それにすごく感動しちゃって、景色に勇気をもらって、この景色が見られるなら、もうちょっと頑張ってみようかっていう気持ちが湧いてきたんです。
地域を回りいろんな人と話をするなかで、お互いの交流が意外と少ないことに気付いたんです。集落の距離が離れているのもあって、隣の集落でどんなことがあったか知らない人が多かった。
そこで、まずは海府地区の出来事やこれからの予定をつづったかわら版を作ることにしました。自分が見たり聞いたりしたことを記事にして。みなさんあまりインターネットは使っていないので、なじみのある「回覧板」を利用しました。そして集落の祭りや会合とかなるべく色んな所に顔を出して色々と提案をしたり。一番の活動は地域の宝であるカンゾウと寒ブリを中心にした地域おこしです。特に年2回のお祭りは集落の人たちと一緒に盛り上げました。それと海府地区のことを島内外の人にもっと知ってもらうために、PR経験を生かして新聞やテレビに取材してもらいました。それでも、あんまり何もできてない思いがありましたね。
それに比べて、もらったものはすごく多かったです。家に帰ると玄関前に野菜が積んであったりとか、早朝におばあちゃんが魚持ってきてくれてたりとか。もちろん物だけじゃなくて人を思う気持ちも。日常的に心配して声をかけてくれるとか、思い合ってくれる。人の優しさとか、素朴な生き方にとても癒されて、心の洗濯ができました。
「旅んもん」として佐渡で生きる
昨年3年間の任期が終了し、そのまま佐渡に残りました。東京に戻る選択肢もあったんですが、お世話になった佐渡の人たちにお返しがしたかったので。何か佐渡の役に立てる仕事をしたいなと。
そんな時に「佐渡日和」というウェブサイトを運営している会社の方と知り合いました。佐渡日和を通して佐渡の情報を発信していったらどうかと。その方や周囲の皆さんの協力を得て、起業しました。会社名もウェブサイトからお借りして株式会社佐渡日和にして。
「佐渡日和」では、観光など旬な情報を発信しています。例えば佐渡の祭りやイベントの日程とか、カンゾウの開花情報とか、穴場的な絶景ポイントなども。佐渡に興味を持ったり、旅をしたいと思っている人たちへ、佐渡旅行の参考になり、かつ新たな魅力を感じてもらうような記事を目指しています。
記事を書くときに気をつけているのは、島民での視点と「旅んもん」とのバランスを大事にすること。「旅んもん」とは、佐渡の言葉で、外から佐渡に移住してきた人のことです。 移住者としての感覚と住民としての責任を意識して取り組んでいます。
最終的には、佐渡にお金が入ってくる仕組みをつくりたいです。そして、観光客や移住者を増やしたい。東京など島外に出た出身者で、佐渡に戻りたいと考えている人って結構いると思います。でも仕事がないからって諦めているような気がします。
でも意外なところに仕事のチャンスはありますよ。例えば仕事を何か一つに絞るんじゃなくて、いろいろなことに取り組みながら、それぞれから収入を得ていくことで、暮らしていくことは十分出来るし、実際移住してきた人も、色々な仕事をしながら生活している人が多いですね。そんな暮らし方が一つのヒントになったら嬉しいですね。
今は会社を軌道に乗せることで精一杯。その先の事はまだあまり考えていません。佐渡に来る時も友人から散々心配されました。でも行かないと絶対後悔すると思ってここに来た。なのでしばらくは、佐渡で頑張って、それから先はその後ついてくるだろうなって。これまでも自分の直感を信じて生きてきたので、これからも悔いのないよう佐渡での生活を楽しみたいです。
離島経済新聞 目次
【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー
いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。
- 【国境離島に生きる】トビウオに恵まれた屋久島で見つけた暮らし。|屋久島 田中啓介さん
- 【国境離島に生きる】「ただいま」と言って入れる居酒屋を。|奥尻島 佐藤恵子さん
- 【国境離島に生きる】島で食べたものが一番美味しい。|利尻島 尾形宗威さん
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- 【国境離島に生きる】いろんな人がくつろげる場所を、ここでつくる。|隠岐の島 中 晴美さん
- 【国境離島に生きる】くすぶる人たちへ、新しい一歩を。|隠岐の島 岩井明人さん
- 【国境離島に生きる】島の伝統文化を守るための牛飼い。|隠岐の島 野津賢三郎さん
- 【国境離島に生きる】大っ嫌いだった地元で見つけた自分の居場所。|青ヶ島 山田アリサさん
- 【国境離島に生きる】まずは「知ってもらう」一歩から。|宝島 竹内 功さん
- 【国境離島に生きる】職人として、究極のカレーを目指して。|八丈島 堀内礼一さん
- 【国境離島に生きる】島にないものは、自分で手に入れる|八丈島 松本きょうこさん
- 【国境離島に生きる】世界中の人に開かれた宿を、小値賀島で。|小値賀島 岩永太陽さん
- 【国境離島に生きる】「島に戻りたい」と思える活気ある島にしたい!|小値賀島 小島早絵さん
- 【国境離島に生きる】必要なのは時代を生き抜く力。|小値賀島 橋本武士さん
- 【国境離島に生きる】島の牛飼いを絶やさないためのシステムを作る。|宇久島 西尾光隆さん
- 【国境離島に生きる】夢があるから生きていける。|宇久島 藤由 剛己さん
- 【国境離島に生きる】私が目指す「人と情報と縁をつなぐ」場所。|佐渡島 熊野礼美さん
- 【国境離島に生きる】夢を与えることぐらいなら、俺にもできる。|壱岐島 大久保 卓哉さん
- 【国境離島に生きる】手術や挫折という荒波を乗り越えて。|種子島 須田大輔さん
- 【国境離島に生きる】旅の延長線上を生きる。|種子島 米澤江理子さん
- 【国境離島に生きる】故郷に捧げる、元警察官のセカンドライフ。|種子島 深田和幸さん
- 【国境離島に生きる】飾らず、気取らず、それでも計画的に生きる。|対馬 阿比留恭二さん
- 【国境離島に生きる】15年越しで叶えた海の側でパン屋を開く夢。|種子島 五月女一敏さん
- 【国境離島に生きる】豊かな素材が揃う島で若者の力を活かす。|対馬 岸良広大さん
- 【国境離島に生きる】漁と加工、どちらもやるから見えること。|奥尻島 松前幸廣さん
- 【国境離島に生きる】旅する私がたどり着いた島、礼文島。|鹿川明美さん
- 【国境離島に生きる】命をかけて飯を食う漁師の生き様。|本島将光さん
- 【国境離島に生きる】商店街からエネルギーを生み出す。|高橋哲也さん
- 【国境離島に生きる】競馬しか知らない日々を変えたもの。|菊地保雄さん
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- 【国境離島に生きる】放牧するには天国のような場所、知夫里。|堂下勝也さん
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- 【国境離島に生きる】島にある“大切な風景”を失くさないために。上甑島|山下賢太さん