最近では「食育」「ワークショップ」という言葉にもなじみがでてきたが、金丸弘美さんは今から20年程前に、徳之島(とくのしま|鹿児島県)で島の当たり前を伝えるツアーを企画し、島の当たり前にこそ魅力があることを伝えてきた。全国1,000以上の地域を訪れ、食環境ジャーナリスト、食総合プロデューサーとして活躍する金丸さんに、話を伺った。
※この記事は『季刊ritokei』19号(2016年11月発行号)掲載記事になります。
聞き手・鯨本あつこ
–「食」のお仕事をされていますが、徳之島で暮らしていらっしゃったとのこと。きっかけには何があったのでしょう?
1980年代に長男が生まれて、保育園に送り迎えをしていたときに保育園の先生から「お宅の息子さんは肌がきれいですね」と言われたんです。
肌がきれいって、子どもはみんなそうじゃないかと思っていたら「いまはアトピーとかアレルギーで悩んでいる子がすごく多い」と言う。そのことを女房に言ったら、実は、女房自身も重度のアトピー経験者で、髪は真っ白で車椅子生活になり、医者には「二十歳まで生きられないだろう」とまで言われた程だったと、初めて知らされました。
女房は食生活を劇的に変えることで回復していたけど、下の子が生まれると、その子が市販のお菓子でアレルギーを起こすことがわかり、友だちの家でこっそりお菓子を食べて帰ってくると、身体中がパンパンに腫れていました。
同じ頃、女房が大きな病気をしたり、長男が学校でいじめにあったりしていて、毎日みんなが泣いているような状態で……。その時に女房から「環境を変えたい」「できれば両親の出身地の徳之島に行きたい」と言われて徳之島に行ったのがはじまりでした。
–徳之島では何を?
僕は東京で仕事があったから、女房と子どもだけが先に島に行って、母と子だけが島でウロウロしてるもんだから、最初は怪しまれていましたが、伊仙町に女房の親戚がいたので、阿権集落に家を貸してもらうことができました。
それから間もなく女房が役場の臨時職員になり、町の政策を目にするようになったんですが、そこに書かれていた内容は、僕たち都会から来た人間が島に惹かれていることとはかけ離れている気がしたので、町長に手紙を書き「島ならではの宝物の再発見」を提案したんです。
–それが「食」なんですね。
例えば「農家の手料理」とかは、東京の人は喜ぶけど、島の人にそう言っても分かってもらえない。それじゃあツアーを組むしかないと思って、農家の方と協議をし、100歳のおばあちゃんに会えて、手料理を食べられるツアーをつくったんです。
当時、僕は『東京スローフード宣言』という本を出していて、その本を見たテレビ局の人に「何か番組ができないか」と尋ねられたので「絶対見たことのない番組ができます!」と伝え、「それはどこだ?」と言われるので「徳之島です!」と言って、BS番組で取り上げてもらったんです。島に来たテレビの人が「本当に見たことないものばかりだった!」と言うから「でしょ?」って言って(笑)。
–ちなみにツアーのお値段は……?
2泊3日で18万5,000円。逆算していったらそのくらいになったんです。
例えば、農家さんに手料理をいくらでできるか聞くと「1,000円欲しい」という。だったら、料理をサネン(月桃)の葉っぱに盛ってもらう演出を入れるようにする。そうすると東京から来た人は、「これなに?」って聞くだろうから、それに答えられるおばあちゃんを4人配置してもらいました。
ほかにも、海から桶で塩を汲んで、薪で塩を炊いていたおばあちゃんがいたので、なんで塩をつくっているのか尋ねると「アトピーの孫のために天然の塩をつくっている」と言うから、「それいいね!ツアーにいれちゃおう!」と言ってみんなに「はあ?」という顔をされたりして。
島では追い込み漁もしていたから、その方法で獲った魚を、おばあちゃんの塩で食べてもらったり、島でつくっていた無農薬の野菜は、堆肥から見てもらうプロセスを経て食べてもらったりしました。
–そうなると物語が感じられますね。
途中で100歳のおばあちゃん家を訪ねるんだけど、民家の戸をガラッと開けたらおばあちゃんが「よくきたねえ」って迎えてくれて、家にあがるとテーブルにちっちゃい器があって、おばあちゃんが焼酎をついでくれる。島では、家族が集まった時には一番長老のおばあちゃんがお酒をついでお祝いするんだけど、東京から来たお客さんにとっては、そんな情景初めてですよね。
何度も現場に足を運んで、自分が見たものを見たままに伝えられるようつくり込んだから18万5,000円になって、最初はみんな半信半疑だけど、蓋を開けてみたら20人が集まった。しかも、ほとんどが20〜30代の女の子。島の料理という「普通のこと」が喜ばれると分かったんです。
それまで、取材で日本各地をまわり、行った先で「ああすればいいのに、こうすればいいのに」と思うことがあってもそのままでしたが、実現まで至ったのが徳之島でした。昨年、伊仙町にツアーアドバイザーとして呼んでもらい、久しぶりに行くと当時のツアーメンバーがみんな集まってくれ、手料理をつくってくれて感動しました。
–うれしいですね。徳之島ではほかにどんなことを?
1994年頃、僕にとって大きな話がふたつありました。ひとつは島の人に分かってもらえたこと(笑)。町長にあれこれ言うもんだから、最初の頃はお金目当てのコンサルタントと思われていたみたいですが、自主的なツアーや取材番組をつくったあたりでジャーナリストだと分かってもらえました。そしてもうひとつは、「長寿」のシンポジウムをやることになったことです。
「長寿」については沖縄本島の大宜味村で調査が行われていたので、まずは大宜味村に行って資料をいただきました。大宜味村では1,000人に調査をしていたので、徳之島でも1,000人の調査を保健センターが中心に行い、息子が通っていた高校の生徒も参加しました。その流れで、ある企業の記念事業で「100歳」についての調査を行うことになったので、「100人、100歳、100様の知恵」というテーマで、北海道から沖縄まで100歳の方の話を聞いてまわり、その時に人生観が変わる出来事がありました。
–「人生観が変わる出来事」というと。
当時、長寿といわれていた沖縄や奄美のお年寄りは、物々交換をしながら地域のものをマメに食べていて、日頃から30品目以上食べていました。その上、おばあちゃんたちには「孫のため」という目標があって、100歳になっても求められるちっちゃい仕事があって、「ばあちゃんのじゃなきゃ」と喜ばれることが生きがいだったんです。
いくらお金をもらっても、長生きできるとは限らない。「そうか、生きがいが大切なんだな」と気づき、さらにあるおばあちゃんに100歳の秘訣を聞いたら、「嫌なことを言われたくない。嫌なことも言いたくない。嫌な人に会いたくない」と。確かに人の悪口を言うと自分にそのまま返ってくるわけだし、そこで人生観が変わって、それからは「愛せるものを仕事にしよう」と決めました。
–それが現在の仕事になっているんですね。ほかの島に行かれたことは?
島といえば、ギリシャの島にもめちゃくちゃ影響を受けました。ギリシャの島も長寿で有名ですが(※)、ある島の歓迎会に行くと、村のなかに並べられたテーブルにテーブルクロス、オリーブの花束、白いお皿に料理がのっている。とても素敵なんだけど、よく見たら、キュウリ、トマト、オクラにフェタチーズや鶏料理など、決して高級品でなく、普段食べられているもの。椅子も家々から持ち寄ったもので全部違っていました。
お金がかかってないことばかりだから「それなら日本の島でもできる!」と思って、2008年に的山大島(あづちおおしま|長崎県平戸市)の食育ワークショップに生かしたんです。
※ ギリシャの島も長寿で有名
ドキュメンタリー映画『ハッピーリトルアイランド −長寿で豊かなギリシャの島で−』(配給:ユナイテッドピープル)では、「死ぬことを忘れた人々が住む島」としてイカロス島の暮らしが描かれている。
–的山大島ではどんなことを?
的山大島は半農半漁の島で、山には棚田があり、お米がつくられていたので、その場所で歴史を紹介してもらい、江戸時代から残る街並みを散策した後に、民家を訪問して天然鯛と棚田米のお茶漬けを食べるワークショップを開きました。
なんでお茶漬けかというと、島の民家を訪ねたとき、おばあちゃんが家のなかで鯛茶漬けを食べていたんです。それも天然鯛。贅沢!それを料理として披露した方が素敵だと思い、広場で大鍋を炊いて、鯛茶漬けが出るコースに3,000円の値段をつけたら、長崎市内から来た人が「初めて来た!」って言って喜んでくれました。平戸には3年間通ったんですが、若い人が育ってくれたので、3年目からは地元の担当者がやるようになりました。
やっぱり、あるものをうまく生かした方がいいんです。グローバルになるほど均一化されてどれも同じになるけど、自分の琴線に触れるものが何かを考えると、身近にある、ささやかな幸福だったりするわけです。
–その原点にあるのは徳之島なんですね。
信じて形にしてくれたのが徳之島でした。みんなが自分たちの足元こそがおもしろいと証明してくれたので、僕は「島にあるものが素敵なんだ」と本に書きました。
(お話しを聞いた人)
金丸弘美(かなまる・ひろみ)
1952年佐賀県唐津市生まれ。食環境ジャーナリスト、食総合プロデューサー。地域に根付いた食文化を再発見し「各地の元気をネットワークをすること」を実践の場から発信。ラジオ番組のパーソナリティも務める。「食からの地域再生」「食育と味覚ワークショップ」「地域デザイン」をテーマに全国の地域活動のコーディネート、アドバイス事業、取材および執筆。2008年からの総務省地域力創造アドバイザー事業、農林水産省ブランド化支援事業プロデューサーを、2009年から内閣官房地域活性化応援隊地域活性化伝道師として活動。著書は『里山産業論「食の戦略」が六次産業を超える 』(角川新書)など多数。
著書紹介
- 『田舎力 ヒト・夢・カネが集まる5つの法則』(NHK出版/700円+税)
成功する田舎には、ビジョンとドラマがある。「ないないづくし」にあえぐ地方の中から、都会もうらやむ活力と雇用を創出する田舎が出てきた。地域おこしの成否は、いったいどこで決まるのか。全国の農山漁村をまわってきた著者が、「発見力」「ものづくり力」「ブランドデザイン力」「食文化力」「環境力」の5つの力に焦点を当てて検証する。ふるさとに生きがいと誇りを取り戻す一冊。