NHK大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』メインテーマで印象に残る歌声を響かせている里アンナさん。
鹿児島県の奄美大島(あまみおおしま)で生まれ育ち、3歳から島唄を歌い始めたという。
島唄で培った歌声を携え、ミュージカルやドラマにも出演するなど、国内外で多彩な活動を続ける里アンナさんに、ふるさとの島のこと、歌や演技の奥底にある思いを聞いた。
※『季刊ritokei』23号(2018年2月発行号)に掲載された記事のロングバージョンを2回にわたりお届けします。
聞き手・石原みどり 写真・Rino Kojima
—奄美大島で子ども時代を過ごしたそうですね。
母方の祖父が大島紬(※)の織元の傍ら島唄を教えていて、私も3歳から祖父のもとで島唄を習い始めました。祖母と母は機を織り、父方の祖父母や父も大島紬に携わっていました。
※大島紬……奄美大島特産の絹織物
幼い頃はいつも家に機織りの音が響いているような環境で、大島紬は生活の一部でした。祖母の糸繰り(※1)を手伝って、機織りをする前の糸を整理したり、祖父に付いて大島紬の検査場(※2)に行くこともありました。
※1糸繰り……大島紬の製造工程で、糸を枠に巻き取る作業
※2検査場……織り上がった大島紬の染めや絣などの品質を検査する検査場
—奄美には「糸繰り節」という島唄もありますね。
「糸繰り節」に「糸は切れたら結び直すことができるけれど、人の縁は一度切れてしまったら結び直す事はできないよ」という意味の歌詞がありますが、実際によく糸が切れたのを結んでいたので、「本当にそうだな」と実感します。
—機織り以外にどんなお手伝いをしましたか。
祖母とテル(竹かご)を担いで近くの海に潮干狩りに行き、貝やウニを採ったりしました。島の女性たちは漁りが上手で、祖母は手づかみでタコを捕まえていました。
—子どもたちもお手伝いをしながら、いろんなことを自然に覚えるのでしょうね。海で泳いだり、遊ぶこともありましたか。
近所の子ども同士で集まって、よく近くの海に遊びに行きました。普段は波が穏やかな白い砂浜の綺麗な海なんですが、台風の接近に気づかずに海に入り、危うく命拾いをしたこともあります。
高校生の時、4〜5人で海に行って泳いでいたら天気が急に悪くなって、気づいたらいつの間にか波が高くなっていて、沖へ沖へと流されていました。
皆で話し合って、波に飲まれないよう潜水しながら、浜に近い岩場を目指すことにしました。懸命に泳いだんですけど、なかなかたどり着かなくて、泳いでいるうちに波に揉まれて足が岩と岩の間に挟まってしまったんです。
怖くて苦しくて、「ああっ、もう死ぬのかもしれない」って思った瞬間、強い波の力に押されて足が外れ、滑るようにして岩場に乗り上げました。海から上がった後は、岩で傷だらけになった痛みも感じないくらい、怖くて震えていました。
最後は全員がなんとか泳ぎきって、無事に浜辺までたどり着くことができました。「助かってよかったねー!」って言いながら、焚き火で焼き芋したのを覚えています(笑)。
—大変なことがあった後なのに。なんだか、たくましいですね。
仲間の1人が、なぜか芋を持ってきていて(笑)。みんなで浜辺に落ちている流木を拾って集めてきて、「ちょっとあったまろうか」って火をつけて。焼き芋して食べました(笑)。
—自然に囲まれてのびのび過ごした、まるで天国みたいな子ども時代ですね。
島にいるときはそれが当たり前でした。今振り返ると、そんな風に過ごせて良かったなと思います。
—いつも身近に自然の音や機織りの音が響いていたんでしょうね。
自然に聴いていたのでしょうが、島にいた時はそれが日常風景だったので、「この鳥の声は何だろう」とか意識することはなかった気がします。
白い砂浜と青い海、集落の小道や道路を歩いているヤドカリやカニ、全部そこにある当たり前のものでした。
—島唄を教えてくれた、お祖父さまとの思い出はありますか。
当時3歳で島唄を歌う子はめずらしかったので、敬老会に招かれたり、家に祖父の友人が集まると「歌うよ」みたいな感じで呼ばれたり。そんな時に祖父は「うちの孫は一番上手い!」みたいな感じで甘々になっていました(笑)。
だけど、練習の時は無口で良いとも悪いとも言わず。いつも祖父と横並びで歌っていたので、表情を伺うこともできないのですが、三線を弾いている音や気配で「あっ、ダメだったな」と分かる。
祖父と2人で出場した島唄大会でも、終わった後に、良いか悪いか全く言われないのが辛かった。大会でうまくいかなかった時などは、何でもいいから何か言ってほしいという気持ちになりました。
—気休めでもいいから、「頑張ったね」とか。
言わない。あまりにも何も言わないので、私の方から聞くようになりました。大会が終わって「どうだった?」と聞くと、毎回答えは同じで「良かったよ」。そんな声で、良し悪しが分かりました。
—祖父と孫、不思議な関係ですね。
祖父は同じ崎原(さきばる)集落の里 国隆(※1)さん、上村藤枝さん(※2)と3人でよく唄遊び(※2)をしていたそうです。
※1里 国隆……生後間も無く全盲となり、竪琴を携え樟脳売りとして奄美・沖縄の島々を放浪しながら路傍の唄に一生を捧げた伝説の唄者
※2上村藤枝……奄美大島北部の「かさん唄」の名人で、奄美群島の日本復帰前に各地を巡回し島唄の魅力を広めた
※3歌遊び……奄美の島唄で、歌い手がその場に応じた歌詞を即興でつくり、唄の掛け合いをする遊び
ある時ふと、家にあった上村藤枝さんの唄を吹き込んだカセットテープを聴いて、「自分と似てる!」と驚きました。その時、もしかしたら祖父は上村藤枝さんの節回しのイメージで私に教えていたのかもしれないな、と思いました。
—よく一緒に唄っていた相手だから、呼吸とか空気感みたいなものが……
あるのかもしれませんね。あるいは、祖父は上村藤枝さんの唄が好きだったのかも……(笑)。直接「こう歌って」と言われたわけではありませんが。
—言わなくても、気持ちが伝わることはありますね。
私が高校卒業後にポップス歌手を目指して上京する時も、祖父は表立って反対はしなかったけど、島に残って自分と島唄を続けてほしそうでした。無言の中に、厳しさと優しさがあったように思います。
(インタビュー後編に続く)
(お話を聞いた人)
里 アンナ(さと・あんな)
1979年鹿児島県奄美市(旧笠利町)生まれ。伝説の唄者(うたしゃ)・里 国隆に教えを受けた祖父・恵 純雄の手ほどきで3歳より島唄を始め、島唄の大会で数々の賞を受賞。2005年に山本寛斎プロデュースの「愛・地球博」に参加、日本コロムビアより「恋し恋しや」でメジャーデビュー、これまでに7枚のアルバムを制作。2013年と2015年に新演出版『レ・ミゼラブル』にファンテーヌ役でミュージカル出演。2016年にNYで初の単独島唄ライブを開催、フラメンコ舞踏団Arte y Soleraスペイン公演や、ベルギーの振付家シディ・ラルビ・シェルカウイのダンス作品「ICON」の世界ツアーに歌手として参加するなど、国内外で活躍する。シルク・ドゥ・ソレイユ公認ボーカリスト。2018年 のNHK大河ドラマ『西郷どん』メインテーマに歌と三味線で参加、唄が上手と評判の島の女性・里千代金役でドラマ出演。
イベント情報/
里 アンナ×佐々木俊之コンサート
2018年5月21日(月)
18:30開場 19:00開演
出演:里 アンナ(島唄・三線)、佐々木俊之(ドラム)
ゲスト:富貴晴美(大河ドラマ「西郷どん」音楽担当/作曲家・編曲家・ピアニスト)
会場:豊洲シビックホール
チケット:4,000円(税込)全席指定
問い合わせ:ミンファプラン03-5378-5690
東京在住、2014年より『ritokei』編集・記事執筆。離島の酒とおいしいもの巡りがライフワーク。鹿児島県酒造組合 奄美支部が認定する「奄美黒糖焼酎語り部」第7号。著書に奄美群島の黒糖焼酎の本『あまみの甘み 奄美の香り』(共著・鯨本あつこ、西日本出版社)。ここ数年、徳之島で出会った巨石の線刻画と沖縄・奄美にかつてあった刺青「ハジチ」の文化が気になっている。