東京で生まれ育ったしまおまほさんは、作家、漫画家、イラストレーターとして活躍する。そのルーツは奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)・加計呂麻島(かけろまじま|鹿児島県)にあり、島ゆかりの作家・島尾敏雄と島尾ミホを祖父母に持つ。
年に3回訪れている奄美への旅は、過去と現在をつなぐ次元を超えた移動のようだと語るしまおさんに、東京と島を行き交うなかで感じていることを聞いた。
聞き手・石原みどり 写真・牧野珠美
※この記事は『季刊ritokei』36号(2021年11月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。
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奄美大島・加計呂麻島にご家族で通っていらっしゃるそうですね。
- しまおさん
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祖母の命日、島のお祭り、「島尾忌」(※)に合わせて、3月、8月、11月と家族で訪島しています。私と両親、それぞれ予定があるので、いつも両親とは別行動で島に向かって、現地集合という感じです。
早ければ2泊3日で帰ってくることもあり、あまり長く滞在できていないのが残念。予定が許せば、1カ月くらい島に居たいのですが。
※ 戦中、加計呂麻島に駐屯、戦後1955年〜1975年の間家族ともに奄美大島で暮らし、鹿児島県立図書館奄美分館の初代館長も務めた島尾敏雄氏の遺徳を偲び、毎年命日の11月13日に奄美大島で「島尾忌」が行われている。親族や関係者らが参列し、黙祷や花が捧げられる。妻・島尾ミホの命日3月25日には、追悼ミサなどが行われている
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子どもの頃から島を身近に感じていたのでしょうか。
- しまおさん
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子どもの頃はなかなか島へ行く機会はなかったのですが、正月は奄美大島出身で武蔵野市に住む祖母の親戚宅に、島の人々で集まってお祝いをしていました。庭に生い茂る植木をくぐって家に入ると、もうそこは島の方言が飛び交う異世界。そこでは父も島口(※)で話していました。
時間ものんびりしていて「18時に来てください」って言われて行くとまだ誰も来ていない。料理を手伝うところから始めて、21時頃からようやく宴会がスタート。普段見なれない島料理が出てきて、不思議な双子のおばあちゃんとか、顔が異常に濃いおじさんとか、不思議な人たちに会って、遅くなるから帰りはいつもタクシーで。車窓を眺めて、まどろみながら宴の余韻を味わう、夢みたいなお正月でした。
その家のおばさんがつくる鶏飯(けいはん)がおいしくて、母が習って家でもつくっていましたが、その頃の私にとっては奄美の鶏飯ではなく、「武蔵境の太さん家の鶏飯」でした。
※ 奄美大島の方言のこと
- ritokei
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身近だったけれど、まだ島を意識してはいなかったんですね。
- しまおさん
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父から島での子ども時代の話は聞いていました。仲良しだった子の家族構成や住んでいる通りの名、人の名前まで固有名詞で何度も聞いて、覚えちゃいました。朝早く学校に行って校長室でウンチした話とか、1時間に1回くらいガタガタ震える不思議な家の話とかケンムン(妖怪)の話を、どこか遠くにある南の島のおとぎ話のように聞いていました。
奄美大島に初めて訪れる機会がやってきたのは、小学2年生の夏休み。初めて一人で飛行機に乗り、鹿児島で暮らしていた祖父母の家に遊びに行ったときのことでした。
祖父に勧められ、叔母のマヤと2人で、鹿児島から船に揺られて島へ。祖父は私に島を見せたかったのでしょうね。その3カ月後に祖父が亡くなったので、一緒に過ごした最後の夏になりました。
- ritokei
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初めての奄美大島は、どんな印象でしたか。
- しまおさん
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名瀬に住んでいる親戚の和子さんの家を訪ねました。ちょうどお盆の時期で、お墓参りに連れて行ってもらったのですが、墓地にごろごろした岩が転がっていて、墓石の形や雰囲気が私の知っている都会の墓地とは全然違っていてびっくりしました。私は一体どこに連れてこられたんだろう?って。
帰りは、八百屋ですごく大きいスイカを買って帰りました。電気のついてない薄暗い店先で私、マヤに間違われたんです。当時私は小学2年生でマヤは30歳なのに、八百屋のおばさんの中では時が止まっているかのようでした。
私はマヤが大好きだったので、間違われて嬉しかったけど、マヤも嬉しかったんじゃないかな。その頃の名瀬の町は、昭和レトロな雰囲気があって、印象に残っています。
- ritokei
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時が止まったような町で、時が止まったような体験をして。それが島の原体験だったんですね。
- しまおさん
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島から帰った後も、和子さんから、折に触れてさとうきびや果物の小包が届きました。父がさとうきびを包丁でガンガン切って短くしたのを、味がなくなるまでしがむ(強く噛みしめる)のが、親子3人の楽しみでした。
島の惣菜や調味料も入っていたりして、東京とは全然違う野生みのある食文化が感じられたし、小包を通して、ずっと島とつながりがあるような感じがして、届くのが楽しみでした。
その後は、しばらく間が空いていました。高校2年生のとき、父に「1人で奄美に行ってみないか」と言われて島を再訪することになるのですが、まもなく『女子高生ゴリ子』(※)でデビューして、雑誌の撮影で島に行くことになったりして、島との関係が少しずつ復活していきました。両親もだんだん一緒に島に行くようになり、今に至っています。
※ しまおさんが現役高校生時代に発表した漫画『女子高生ゴリ子』(扶桑社/1997)
- ritokei
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お子さんが生まれて一緒に島に行くようになって、島との関わりに変化はありましたか。
- しまおさん
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島尾忌などの行事に加えて、海で遊ぶようになりました。子どもが飽きないように鶏飯屋さんとか、ジェラート屋さんに行ったり、龍郷町役場前にある龍の滑り台がある公園に行ったりと、行動範囲が広がりましたね。
うちは誰も免許を持っていないので、移動はほぼ毎回タクシーなんです。そろそろ免許を取らないといけないなぁと思っているのですが、座学とか勉強するの、いやだ〜(笑)。
- ritokei
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奄美大島や加計呂麻島以外にも島を訪ねることはありますか?
- しまおさん
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伊豆諸島(いずしょとう|東京都)の八丈島(はちじょうじま|東京都)や、沖縄の島に観光で行ったことはありますが、奄美には特別な思いがあります。家族の歴史もあるし、もっとそれ以前の、大きな時の流れに触れるような感覚もあります。
奄美空港で「喜界島(きかいじま|鹿児島県)」や「徳之島(とくのしま|鹿児島県)」など離島行きの表示を見ると、うずうずします。締め切りとか忘れて、行ってみたいなぁ。まだまだ知らない独特の文化や、物語が奄美の島々にあるんじゃないかな。
- ritokei
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知れば知るほど奥深さを感じること、ありますよね。奄美に通っているなかで、何か感じることはありますか?
- しまおさん
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島には独特の空気が流れていると感じます。海に囲まれ、そこで暮らす人たちが築き上げてきた空気なのだと思います。
それから、島に行くと身体が「覚えている」感じがして、自分の中に島の血が流れていること、土地との強い結びつきを感じます。島の血が流れる人間としての周囲からの扱いからだけではなく、島にも血が流れていて、自分の一部とつながっているような体感。ほかの地域でも、島で育った人たちは、もしかしたらそういうものを感じているかもしれない、と思ったりします。
- ritokei
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「日本の古層が琉球弧や東北に残っている」と敏雄さんの『ヤポネシア考』(※)にありました。琉球弧の島々の方言に古語が残っていますし、出身者以外でも懐かしく感じる方がいるかもしれませんね。
※ 日本列島をミクロネシア、ポリネシアなどのように「ヤポネシア」と捉えた島尾敏雄氏と作家や評論家などの対話やシンポジウムを記録した島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』(葦書房/1977)
- しまおさん
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感性が合う人は何かを感じるのでしょうね。人間も動物だから、勘みたいなものが根っこに残っていて、島に吸い寄せられる瞬間があるのかもしれない。
ところで、免許を取ったら奄美ナンバーの車に乗りたいと思っているんですよ。東京で乗っていたら笑えますよね。
- ritokei
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ぜひ!これを機に免許をとって島を満喫してください。それをぜひ作品に!
- しまおさん
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島から車に乗って帰ってきたらおもしろそう!やる気が出てきました。羽田行きの飛行機は夢がないと思っていたけど、3月、祖母のミホ忌を済ませて東京に帰ってくると、留守にしていた間に桜が満開になっていて、きれいだな、帰ってきたなって思います。どっちも故郷だから。
島で知らなかったことや自分のルーツに出会って、東京で暮らす43歳の自分に戻ってくると、ただの旅行じゃなくて、縦横斜め、何次元も移動をしてきたような、不思議な感覚が残ります。
島は場所の特性や人のつながりが深いから、行くたびに色々な発見があったり、言葉にできないものを確かめて、家族の関係が深まっています。前に進んでいるのか後ろに戻っているのか、よく分からない感じ。
奄美の家に行くと、祭壇に昔の祖母と祖父、マヤの若い頃の写真が並んでいて、私の生まれる前の彼らに迎えられる感覚です。いつもそこでふっと彼らの気配を感じて、「島に来たな」ってスイッチが入る。ゼロより前に戻って、そこから始まる感じ。奄美では、彼らはずっと若いまま。気配もあるし、会うことができる気がするんですよね。
しまお・まほ
1978年、東京都御茶ノ水生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。作家、エッセイスト、漫画家、イラストレーター。日本を島々の連なりとして論じた『ヤポネシア考』や映画化もされた『死の棘』などの著作を持つ祖父・島尾敏雄と『祭り裏』などを著した祖母・島尾ミホの出会いはミホの小説集『海辺の生と死』から名をとり、満島ひかり主演で2017年に映画化されている。両親は、写真家の島尾伸三と潮田登久子。近著に小説『スーベニア』(文藝春秋/2020)、エッセイ『家族って』(河出書房新社/2021)、『しまおまほのおしえてコドモNOW!』(小学館/2021)。
東京在住、2014年より『ritokei』編集・記事執筆。離島の酒とおいしいもの巡りがライフワーク。鹿児島県酒造組合 奄美支部が認定する「奄美黒糖焼酎語り部」第7号。著書に奄美群島の黒糖焼酎の本『あまみの甘み 奄美の香り』(共著・鯨本あつこ、西日本出版社)。ここ数年、徳之島で出会った巨石の線刻画と沖縄・奄美にかつてあった刺青「ハジチ」の文化が気になっている。