つくろう、島の未来

2024年11月21日 木曜日

つくろう、島の未来

ステージ上で、ダイナミックに舞い、観客を魅了するダンサーのATSUSHIさんは、老若男女問わず心を開いてしまうやさしい眼を持っています。Dragon Ashのダンサーや、ソロダンサーとして国内外でも活躍しながら、生命のすばらしさを伝えていく活動「POWER of LIFE」や、東日本大震災をきっかけに通いはじめた宮城県塩竈市の音楽フェス「GAMA ROCK」を主催するATSUSHIさんに、お話を伺いました。タブロイド紙『季刊リトケイ』14号に掲載されたインタビューをお届けします。(聞き手・鯨本あつこ/写真・渡邉和弘)

Dragon Ash ATSUSHIさん「東北の島で。ある少年との約束」

−Dragon Ashのダンサーのほかたくさんの活動をされていますが、そのきっかけを教えてください。

Dragon Ashでは2001年からサポートメンバーとして踊っていて、03年に正式加入したんだけど、05年くらいから、何のために踊っているんだろう?という思いが生まれてきて。

その時、自分のなかに「生命(いのち)」についての問題があったことと、まわりにすばらしいミュージシャンやアスリートの友だちがいて、みんなの力を合わせれば何か起きると思ったこと。それと、動物たちの殺処分の問題で、年間数十万頭の動物たちが殺処分されている問題があるんだけど、行政で殺処分される動物を保護して、民間のアニマルシェルターに自分たちが運ぶことがあって。人間のエゴで命を生んで、人間のエゴで命を殺しているという問題が自分の前に現れた時に、その3点がばあっと線になって、POWER of LIFE(※1)という活動になりました。

生命(いのち)のすばらしさを伝えて、みんなに考えてもらうきっかけになったらいいなと思って、09年に写真展を開催したのが始まりです。

※1 生命力の素晴らしさ大切さを伝えていくプロジェクトとして、2008年よりスタート

−震災以降は、GAMA ROCK(※2)も始められていますね。

3.11が起きた時、少しでも多くの命を救いたいと思って、何をやるかも決めずに、塩竈出身の写真家の平間 至さんと東北の沿岸に行きました。

3月22日から25日まで、現地で話を聞くうちに、やっぱりライブをやった方がいいということになって、4月17日に塩竈の避難所でライブや炊き出しを始め、そのうち継続していける場をつくりたいということになり、GAMA ROCKを始めました。

※2 塩竈の魅力を伝え、街が元気になることを願い2012年より続くフェス

GAMA ROCK FES 2014の会場風景(写真・Kaori Murai)

−浦戸諸島(※3)にも行かれているとか。

それまでは、東北に島があることを知らなくて。避難している人とか行政の人に聞くと、塩竈は浦戸諸島が守ってくれたおかげで波の勢いがおさまったんだと言われていて。現地の人たちが「島が、島が」と言っていました。

それから、島にも行くようになって、島の人に島の良さを教えてもらいました。島のおじちゃんと飲みながらとかね。

※3 塩竈港から約30分に位置する島々。有人島は桂島(かつらしま)、野々島(ののしま)、寒風沢島(さぶさわじま)、朴島(ほうじま)の4島

−島の印象はどうでしたか。

島の人は自然に対する向き合い方がすばらしくて、亡くなられた方もいらっしゃるんだけど、みんな津波が来るとわかって、すぐに高台にある小学校へ避難をしていた。その学校がある場所はもともと古墳があったみたいで、昔から安全な場所なんだよね。自然との共存の仕方を島の人はよく知っていて、とても勉強になったし、そういう話を聞いて、島の大切さを知りました。

GAMA ROCK FES 2014で踊るATSUSHIさん(写真・Kaori Murai)

−特に印象的な出会いは?

3月23日に塩竈市内を歩いていたら、9歳(当時)の少年とお母さんが歩いてきて。少年は1冊の写真集を持っていました。その写真集は彼が生まれたときの写真を平間さんが撮ったもので、家も写真も流されてしまったけど、10年前に撮った写真集は残っていた。

彼は島津和人(以下、カズト)っていう寒風沢島に住んでいる唯一の小学生だったから、彼が背負ったものは大きくて。だからその時に、男同士の約束をして。これから10年仲良くしていくなかで、島のことを教えてほしい。おまえが島を守っていけば?というような話をしました。今では普通に仲良い友だちなんだけど、その出会いは大きかったかな。

−それから4年が経ちますね。

でっかくなっちゃってね(笑)。当時は小3で、最初に寒風沢島に行ったときも、彼が島を案内してくれて。「前はここが家だったんだ」みたいなことを、笑って案内してくれたことを今でも覚えている。

普段行くときも会っているけど、毎年3.11の追悼式典のあとに町の公民館でやっているライブ(※4)では、カズトに司会をしてもらったりして。最初は、すっげえなよなよしてたんだけど、強いもんだね。自分が背負っている何かを感じているのか。昨年くらいからすげえ成長を感じている。

※4 POWER of LIFEでは毎年3月11日に現地で追悼式典後に「3.11POWER of LIFE」という集いを行っている

3.11POWER of LIFEで司会を担当した浦戸諸島・寒風沢島の島津和人くん(写真・Yukihide Nakano)

−約束の力はすごいですね。

生きがいとまでいったらおこがましいけど、生きていくひとつの目標になってくれたらうれしいね。

震災で亡くなった方への思いもずっと持って踊り続けていくんだけど、その中のカズトとの出会いとかには何かしらの意味があって。その出会いを大切にして、これからのために何かをしていくことが、やるべきことなんじゃないかなと。

−それがパワーの源ですね。

自然のためにというとおこがましいけど、何かの思いを背負って旗を振ったり、踊ったりはしているけど、本当みんなのおかげで。一人のパワーだけでは無理ですね。

−それぞれのイベントはどんな場になっていますか?

島の人たちも来てくれているみたいですが、心が安らいだり、みんなが笑顔になる場所になれたらと思ってる。生きるとか、命に対して向き合うような瞬間がつくれたらいいなと。楽しい瞬間に、「生きるってすばらしいな」とかね。生きることがすばらしいってことは、真逆なこともあるけど。

−真逆とは震災のようなこと。

そうそう。そういうのって蓋を閉じがちじゃん。でも、たまにはちゃんと自分なりに向き合うのが大事で。だからちょっと向き合ってみて、自分なりの一歩を踏み出してみる。そういう場になれたらいいな。

−震災から10年後は、どんな風になっていたらよいですか?

東北の話であれば、東北の沿岸400kmがつながっていてほしいと思う。またあんなことがあっても助け合えると思うから。島と内地でも、仲良くなっていたら助けに行けるじゃん。助けたくても、つながってなかったらどう助けていいかわからないし。塩竈にはMONGOL800のキヨサクも来てくれたんだけど、沖縄の島と東北の島がつながってくれていてもうれしいし。

でも、いきなり人同士がつながりましょうっていうのは難しいから、歌とか踊りが、人がつながるコミュニケーションツールになっていたらいいな。それでひとつのことが共有できたら、なんかいいじゃん。

−昨年は島で野球をされたとか?

GAMA ROCKの次の日に、野々島に行ったら、島の子どもたちが、野球しようよって。そんなつもり全然なかったんだけど、島に着いたらテンションぶちあがって「野球やろー!」となり、大人たちは断れず(笑)。子どもたちは島に人数がいないから普段は野球ができないし、2時間くらい野球して「じゃあねー!」って。

その子どもたちが可愛くて。島から帰るときって切なくなるじゃん。船が見えなくなっていくやつ。そうするのかなと思ったら、何を思ったのか船に乗ってきちゃって。島に帰すのに逆に俺らが見送ることになっちゃって(笑)。最初に島に行ったときは、超泣いたのを覚えている。島が見えなくなるまで船から手を振るやつ。

−すてきな交流ですね。

カズトには言ってないけど、たとえばGAMA ROCKの前夜祭とか後夜祭とか、そういうのを寒風沢島で仕切ってやるとか、そういう力をつけてくれたらうれしいなと思う。偉そうには言えないけど、そのための道をつくるのが俺たち役割で、踊っていくのもそのひとつですね。

−最後にメッセージを。

GAMA ROCKはちっちゃい公園でやっているフェスで、親子3代で楽しめるお祭りなんです。そのほっこりした空間に足を運んで、前の日とか次の日とかには塩竈の島にも足を運んでくれたらうれしい。景色とかすごい綺麗なところだから、島を汚さずに島とふれあってくれたらうれしいです。


 (お話を聞いた人)
ATSUSHI(あつし)
ダンサー。ジャンルや枠にとらわれない踊りと体をいかしたダイナミックな踊りを信条に、Dragon Ashのダンサーとしてはもちろん、ソロダンサーとして国内外で幅広く活躍。「POWER of LIFE」発起人。一般社団法人POWER of LIFE代表理事。
http://www.atsushi-takahashi.com

2015年9月20日(日)、宮城県塩竃市みなと公園で、音楽とアートと食を楽しめる『GAMA ROCK FES 2015』を開催。出演アーティストやチケット情報はオフィシャルサイトをご覧ください。>> http://gamarock.net/2015/

     

離島経済新聞 目次

『季刊ritokei(リトケイ)』インタビュー

離島経済新聞社が発行している 全国418島の有人離島情報専門のタブロイド紙『季刊ritokei(リトケイ)』 本紙の中から選りすぐりのコンテンツをお届けします。 島から受けるさまざまな創作活動のインスピレーションや大切な人との思い出など、 島に縁のある著名人に、島への想いを伺います。

『季刊ritokei』はどこで読めるの? >> 詳しくはこちら

関連する記事

ritokei特集