つくろう、島の未来

2019年10月17日 木曜日

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

対馬のヒノキで作る、オーダーメイド家具。
飾らず、気取らず、それでも計画的に生きる。

阿比留 恭二|家具職人 家具製作所kiiroにて、対馬のヒノキを使ったオーダーメイド家具の製作・販売を手がけている。

地元対馬(つしま)のヒノキを使ったオーダーメイド家具を作る阿比留さん。ものづくりを軸に、建築から家具づくりの道へ方向転換し、ゆくゆくは料理もしたいとか。多芸多才な阿比留さんの計画的なこれまでの生き方について、お話を伺いました。

ものづくりの道への第一歩

長崎県の対馬で生まれました。小さいときは、よく魚釣りをしていました。釣った魚を自分で捌いて、家族に食べてもらえるまでが楽しいんです。祖父が漁師だったので船にも乗せてもらいましたが、僕は船酔いが激しかったので、漁師を継ごうとは思えませんでしたね。

小中学校では、運動ばかりしていました。子どもが少ないので、強制参加で駆り出されてたんです。放課後も土日も、ずっとスポーツをしていました。でも本当はしたくなくて、「早く負けて魚釣り行きたいな」って思いながらやってたんですけどね。

釣りの他には、いろいろ拾って弓矢を作ったりとか、なにかを作るのも好きでしたね。図工ぐらいしか好きな教科がなくて、その頃から、将来はものづくりの道に進みたいと思っていました。

高校生になっても、ものづくりがしたいという思いは変わりません。どうせやるならお金持ちになりたかったので、単純に「建築家なら金持ちになれるんじゃないかな」って思って、建築を学ぶことを決めました。

高校を卒業して、福岡にある建築の専門学校に進みました。でも途中から、暮らしとって大事なのは、建物というハコではなくて、生活空間の中身なんじゃないかなって思うようになってきたんです。それで、家具づくりに方向転換しました。

家よりも家具のほうが需要があると思ったのも大きいですね。長男なので、いつかは対馬に帰るつもりだったんですけど、対馬は人口が減っているので、家が建たなくなってきています。島内でしか仕事ができない建築よりも、島外に出せる家具の方がいいかなって。

また、僕は変なところで細かい性格なので、自分のペースで仕事をしたいんですけど、建築だと、色々な人と協力しないと難しいんですね。ひとりで設計してひとりで作れる家具の方が合っているかなと思いました。

専門学校を卒業してからは、対馬に帰り、製材所でアルバイトをしました。将来対馬で働くための繋がりを作ったり、家具を作るための材料や機械の知識をつけたかったんです。製材所では、材料を仕分けして運んだり、トラックで配達に行ったりしました。

期間は1年と決めていました。1年働き、社会保険の制度を活用して職業訓練校に通おうと思っていたんです。その後、計画通り家具の職業訓練校に通いました。基本的なかんなの刃の研ぎ方から、構造や設計も勉強しました。後半の半年間は、実習として、学校に注文された家具の制作もしました。

修行の中で得たアイディア

職業訓練校が終わってから、修行のつもりで福岡の家具会社に就職しました。2年で対馬に帰ろうと決めていたので、それまでに必要な機械の資金を貯めるつもりでした。

立ち上げ時期の会社だったこともあって、作った家具の写真を撮ってホームページに載せたりもしていました。作り方だけではなく、売り方も学べたのはよかったですね。

修行中は、機械も多いし、むずかしい作業もあったので、きついことの方が多かったです。職業訓練校のときは、「俺うまいほうやな、向いてるのかな」と思ってたんですけど、会社にはすごい人がたくさんいたので、悩んだりもしました。

でも仕事が終わると、「若い人たちはいろんなもの作っていいよ」って工房を開放してくれたので、照明とか学習机とか、独立したときに注文がきそうなものを積極的に作っていました。自分の好きなものを作るのは、やっぱり楽しかったですね。

働き始めて少しした時、ほとんどの素材が輸入された木材ということに気づきました。「なんでだろう」って、不思議でした。日本の木材が使われず、間伐されないことで山が荒れている状態なんだから、それを使ったらいいんじゃないかと。

ちょうど、将来対馬に戻って独立することを踏まえて、自分のアピールポイントを考えていた時だったので、間伐材を使ったら、ちょっと注目されるかもしれないと考えました。間伐材は使えるところが少なかったり、仕分けが大変だったりするので、間伐材で家具を作っているなんて聞いたこともありませんでしたから。

いいものを作っても、知ってもらわないと売れませんからね。僕に興味を持ってもらえるとすれば、若い、間伐材、島の3点。「どんどん若い人が出て行くのに、なんであえて島に帰って来るんだろう」と注目してもらえたらいいな、みたいな計算がありました。

独立するにあたり、東京や福岡みたいな都会へ行こうかなとも考えました。ただ、いろんなインテリアショップがひしめき合うなかでどうやって目立っていけるかを考えたときに、自分のセンスや技術じゃ無理だろうなって思っちゃったんです。逆に対馬に戻れば、ほかの商品と差別化できます。計画的な性格なので、独立前からいろいろと考えてましたね。

家具職人として地元対馬で独立

修行を終えて対馬に帰ってからは、市が管理する作業所を借りて、対馬のヒノキをメインに使った、オーダーメイド家具の販売をはじめました。使っている素材の8割が、地元対馬のものです。

最初の半年は注文がこなかったので、店に展示する商品とか、コンクール用の作品を作って応募したりしてました。あとは、小物を作って、島内の祭りに持って行って、売ったりもしていましたね。貯金を全部機械につぎ込んだので、本当にゼロからのスタートでした。

1年目の収入は、そんなに期待してはいませんでした。2年目から採算をとって、3年目に黒字になればいいな、くらいの考えでした。それでも、やっぱりお金がもらえないっていうのは不安でしたしね。自分自身に「想定内だから大丈夫」って言い聞かせながらやっていた感じです。

島っていうこともあって、新しいことをはじめると、どうしても僻みとかやっかみがあるんです。それで嫌な思いをしたこともありましたけど、応援してくれる人の方がはるかに多いので、「まぁ言わせとこう」って思って、やり過ごしていました。

転機になったのは、間伐材コンクールで賞をもらったことですね。そこからいろいろと取材が増えはじめて、それ以降、全国から注文が途切れずくるようになりました。独立して半年後の出来事だったので、思ったより早くうまくいきました。

いずれは料理の道へも進みたい

独立して10年経ち、現在も対馬でオーダーメイド家具屋の「kiiro」を経営しています。もともと島外の人を対象にしていたので、島内の人にはまったく売れないだろうと想定していましたが、最近は島内の方、特に島外から転勤してきた方からのご注文を多くいただきます。島外の人は、まずは雑誌やテレビをきっかけで知り、そこからインターネットで検索して注文してくださる方がほとんどだと思います。

工房の中は寒いし、木材を切る機械は怖いし、オーダーメイドなのでお客さんとのやりとりに結構時間もかかるので、大変なことが多かったりもするんですよね、正直。でも、完成してお客さんの手元に届いたときの達成感とか、かたちになっていく喜びは、日々感じます。

家具の場合は次の世代に受け継がれることもあるので、自分が死んでもその家具が残るっていうのは、やっぱりうれしいです。今は、お客さんから依頼された家具を作っていますが、いずれは、自分が考えたもの、好きなものを作って、それも売っていきたいですね。島を出るつもりはありませんが、福岡にもう1店舗あったりしたらかっこいいかなぁ、とも思っています。

ゆくゆくは、家具制作だけでなく、料理もしたいとも思っています。島で飲食店をやるとなると、人口的にむずかしいとは思うんですけど、料理をするテーブルとか空間も自分で作れたらかっこいいかなぁって。

正直、僕は木工だけがしたいわけじゃないんです。料理の方が好きで、料理の方が向いてると思います。小さい頃から魚釣りをして自分で捌いて、親に出したりしていましたから。だから最近は、料理も仕事にしていきたいと思っています。テーブルとか、器とかも自分で作って、そこにさらに料理を出す、みたいな。

家具とちがって、料理はお客さんの顔が直接見れるじゃないですか。家具作りではなかなか経験できないので、喜んでもらうのをじかに感じられるっていうのは、大きいですね。

対馬には、オシャレな空間が少ないので、オシャレな建物を作ってみたいなっていうのもあります。なので、ギャラリーにキッチンも入れて、カフェなんかにできたらいいかなと思っています。せっかく建てるなら、そこで料理教室したりとかしていけたらおもしろいな、と。

暮らしを楽しむことが島を豊かにする

対馬の間伐材を使って家具を作っていると、外部のメディアからは「島のために」みたいなコメントを期待されることが多いんです。でも自分のなかでは、「島を盛り上げたい!」ってがっつくのも、なんか自分らしくないと思うんですよね。

僕みたいにものづくりをしている人なら、インターネットを通じて商品を島外にも出せますから、住む場所にこだわる必要はないんです。難しいことを考えず、自然に島の暮らしを楽しむことで、島がいい感じになっていくんじゃないかなと思います。

島の好きなところは、昼休みの時間にちょっと魚釣りに行ったりとか、リラックスできるところがすぐにあることですね。このへんだと青海(おうみ)っていう地区があるんですけど、珍しく防波堤がないんです。地名も好きなんですけど、人工物がないところが気に入っています。もしお金があったら、家具を作らないで、ずっと魚釣りをしていると思います。

僕にとって、魚釣りがすぐにできるっていうのは普通だと思ってたんですけど、一回島を出て、「自然があることが当たり前じゃないんだなぁ」っていうことに、改めて気づかされました。自然が一杯に見えるけど、僕が子どもだったときと比べて、山が手入れされなくて動物たちにも悪影響が出ていたり、海の海草がずいぶん減っていたりするんです。当たり前すぎて、島にいたら気づけないことですよね。間伐材を使うアイディアみたいに、地元の素材を使って物を作って売れるっていう考えも、逆に近すぎると見えないのかもしれません。

対馬は、自然も食材もたくさんあるので、ものづくりをする人には向いているのかなと思います。僕自身刺激をもらえますし、人が集まればできることも増えるので、ものづくりをする人が増えてくれたら嬉しいなと思います。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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