つくろう、島の未来

2024年11月23日 土曜日

つくろう、島の未来

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

新しい刺激をどんどん与えて、成長し続けたい。
ワークライフバランスと地域交流のある暮らし。

伊豆諸島の三宅島(みやけじま|東京都)に移住した増田さん。島の役場で働きながら、ボランティアで地域の子どもたちにサッカーを教えています。「人のためになる仕事をすること」を軸に、理想の働き方と暮らしを模索してきました。現在の生活に行き着くまでに、どのような経験と思いがあるのでしょうか。お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

増田好美|役場の保険担当 三宅島の役場に勤める。

警察官に憧れていた学生時代

兵庫県姫路市で生まれ、小学生の時に奈良県の生駒市に移り住みました。運動が大好きな子どもでしたね。中学ではバスケを、高校ではサッカーをやりました。

将来の夢は警察官になることでした。小さい頃から、いつか刑事になって、悪い人を捕まえたい。人の助けになりたいとずっと思っていました。

絶対に警察官になると決め、大学選びも警察官になることを考慮していました。大学に入ってからも、大好きなサッカーを続けながら、毎日必死に勉強しました。

でも、就職活動の時期になって、警察官採用の実績を知っていくうちに、だんだん不安になってきました。女性は男性と比べて採用率が低く、それまで各都道府県で数名程度しか採用されていませんでした。さらに、その狭い枠の中で柔道や剣道の経験者が優先されるので、未経験の私にはかなり不利だと思ったんです。

他に一つでも内定が出ている方が、安心して警察官の試験勉強に取り組めるかもしれない。そう思って就職活動をすることにしました。

警察官以外で人の助けになる仕事を考えた時に、医療に携わる道があると思いました。はじめは、製薬会社の営業の仕事に応募しました。でも、どれも採用にまでは手が届かず、焦っていました。

そんな時に、医療関係の仕事をする両親から、医療機器の営業を勧められました。医療機器メーカーに応募して、神戸の企業で内定が出ました。

この時には、警察官の採用試験に臨む気持ちはほとんどなくなっていました。一つ決まっちゃったので、サッカーをやりきろうと思ったんです。結局、そのまま神戸の医療機器メーカーに就職することにしました。

理想とのギャップに戸惑った4年間

仕事は忙しかったです。朝9時から深夜まで神戸市内の病院を営業して回り続けるんです。それでも、お客さんの先にいる患者さんのために働いていると思うと、やりがいを感じられました。自分が使って欲しいと思っている医療機器が、病院で新たに導入されることが決まった時は、いつも本当に嬉しかったですね。

ただ、3年目を迎える頃には、仕事に違和感を覚えることも多くなってきました。メーカーとして、時にはトラブルがあった機器も勧めないといけません。患者さんのために最適な機器を使ってもらいたいのに、それが提案できないときは心苦しかったですね。

また、ある病院では、患者さんのことは全く考えずに、自分たちの都合ばかり押し付けられました。こんな人たちのために私は働くのかと、落ち込むこともありました。人のために働くという理想とのギャップに悩み、転職を考えるようになりました。

仕事がどんどん溜まって長時間勤務が続き、休日もお客さんからの電話やメールが気になって仕方がない。ワークライフバランスを取るために奮闘しましたが、改善しませんでした。

このまま同じ職種で転職をしても、結局は同じ働き方になってしまうんじゃないか。それなら、ライフスタイルを180度変えて、全く違うことをしようと考えました。

自分の生き方を大きく変えるために、海外でワーキングホリデーをするアイデアが浮かびました。ただ、ワーホリの期間中は楽しくても、日本に帰ってきてから何をしたらいいのか。その後日本で仕事に就けずに苦労する人が多いと聞いていたので、海外に行くのはやめようと思いました。

じゃあ海外にまで行かなくても、日本でワーキングホリデーのようなことはできないだろうかと考えました。都会での仕事中心の暮らしから離れて、全く違う環境で、のんびりとした暮らしを体験したい。人と人の距離が近いところで暮らしたい。そう思って、離島や地方の村での暮らしをリサーチしました。

そんな時に、伊豆諸島の三宅島での暮らし体験イベントを発見しました。他に移住体験を募集している地域はほとんどありませんでした。島の暮らしを知る数少ないチャンスだと思って、参加することにしたんです。

三宅島の暮らし体験に参加

参加者は皆30代以上で、私より年上の人たちでした。今の暮らしで抱えているモヤモヤと理想の暮らしについて話をすることができて良かったですね。海沿いの別荘に滞在し、島民や移住してきた人たちと交流しました。

海に沈む美しい夕日を見て、夜は花火をして、ここで過ごす時間を心から楽しみました。でも、もともと知りたかった島の日常生活については、あまり体験できませんでした。移住を決めることができないまま、移住体験が終わりました。

神戸に帰ってからも、ずっと迷っていました。そこで、今度は島の生活にもっと踏み込んでみようと思い、もう一度三宅島に行きました。地域のフットサルのサークルに参加して、住民の方と島の暮らしについて色々相談しました。「島では人の距離感が近い分、嫌なことも出てくるから、よく考えた方がいい」。そういう具体的な話をしながら、さらに仲良くなっていきました。

また、滞在中に島での仕事も探しました。ある会社では、住む家も今なら準備できると聞きました。仕事も家も候補が見つかって、移住の話がいっそうリアルになったのと同時に、迷いも大きくなりました。これで私の人生は大きく変わってしまう。本当に行ってしまっていいのかな。決められずにいました。

三宅島への移住を考えていることを職場に伝え、上司3人とそれぞれ相談しました。上司と話す中で移住を考え直そうと思ったり、島の人たちから応援のメッセージを見て、移住したいという思いが強くなったり。数ヶ月の間に心が大きく揺れ動きましたね。

それでも、今後の人生で移住に挑戦するか、それとも今の生き方を続けるか、ここで決断しようと思いました。最終的に意志を固めたのは、初めて三宅島に来て3ヶ月ほどした時のことでした。移住者の先輩に話を聞いて、悩みは消えました。

私は今26歳だから、失敗して帰ってきても人生いくらでもやり直せる。一度きりの人生なんだから、やっぱり移住に挑戦しようと決意しました。

小さな島のコミュニティを知っていく

27歳でついに三宅島に移住しました。私が生まれ育った地元では、地域交流に参加する機会はほとんどありませんでした。だからこそ、島に来たら地域の子どもたちや住人とたくさん交流していきたいと思いました。また、これまでは仕事ばかりでプライベートもあまりなかったので、ここではスポーツや趣味を思いっきり楽しむつもりでした。

はじめは島の商店で働いていたのですが、休日出勤も多く、多忙のため地域イベントに参加することができませんでした。スケジュールを管理できるところで仕事をしたいと思い、3ヶ月後に商店を辞めて、役場に就職しました。

私は保険係として、年金や雇用保険、介護保険の認定調査を行いました。島のお年寄りの家を訪問して回るので、交流もたくさんできました。

知り合いのおばあちゃんたちにばったり会うと、「これ持っていきなさいよ」と自家栽培の野菜を持たせてくれることもありました。ありがたいことに季節の食料には困らなかったですね。逆にもらいすぎて消費が追いつかないときもありました。

地域コミュニティにもだんだんと馴染めてきました。ただ、地域の人との距離の近さは良い面ばかりではなく、時には違和感を覚えることもありました。仕事では役場の人間として振舞っても、プライベートでは個人として過ごしています。そんな時に、プライベートの時間でも、役場の人として何か言われたときは困ってしまうこともありました。コミュニティが狭い分、知らなくていいことも知ってしまいます。

たまに寂しくなって、地元の友人に会いたいと思うこともありました。それでも、仕事もプライベートも神戸にいた頃より充実していた分、島での暮らしは居心地が良かったですね。

島で暮らし始めて一番苦労したのは、虫との戦いですね。家の木材が一部腐っていて、ある日そこからポトポトと何か小さなものが落ちてきたんです。それがシロアリだと判明して、慌てて駆除しました。クモやカエルにはなんとか慣れましたが、シロアリだけはダメでしたね。

次の目標を決めるための1年にする

今は、役場で保険の認定調査の仕事をしています。また、プライベートでは地域の子どもたちにボランティアでサッカーを教えています。5時に仕事が終わると、着替えてグランドに向かって、部活みたいにサッカーに打ち込みます。充実感があって、理想のワークライフバランスが取れていると思います。

日々子どもたちの頑張る姿や、成長していく姿を見られることがとても嬉しいですね。子どもたちも、私が車で通ると手を振ってくれたり、学校のイベントに顔を出すと話しかけてくれます。地域コミュニティの中で、様々な活動を通じて、人と触れ合えることは貴重だと思います。イベントや活動に参加すると、次はこれもやりなよって誘われて、さらにつながっていくんです。

この先も三宅島で暮らし続けるかどうか、30歳になるまでに決めようと考えています。移住のきっかけとなった、ワークライフバランスと地域交流のある理想の暮らしは実現できました。最初の目標が達成されて、今は楽しいですが、この状態のまま島にいていいのか迷いもあります。

30歳までの1年間で、いろいろ動いてみて、次の目標を決めたいと思います。やっぱり常に何かを追いかけていたいんですよね。

次の目標が島に関わることなのか、そうじゃないのか、今の段階ではまだ分かりません。でも、島の生活で実現させたワークライフバランスや、役場の仕事を通して身につけた暮らしに必要となる知識は活かしたいですね。経験を活かした活動をするために、もっと勉強していきたいです。

また、今までスポーツを通じて交流してきた以外の人たちにもアプローチして、多様な交流の中で次の活動のヒントを見つけようと思います。自分に新しい刺激をどんどん与えて、これからも成長し続けたいですね。

     

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

関連する記事

ritokei特集