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離島経済新聞

 

インタビュー

【国境離島に生きる】 好きなことを仕事にする。|山下美湖さん

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

好きなことを仕事にする。
自分らしい幸せを叶え続けるために。

鹿児島県の種子島で、シーカヤックガイドとして働く山下さん。「会社に勤めて働くのは当たり前」と思っていた社会人1年目にラフティングに出会い、自分の好きなことで生計を立てるガイドという職業を知って衝撃を受けます。「好き」で生計を立てるようになるまでにはどのような想いや背景があったのか、お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

山下美湖(やました・みこ)。鹿児島県の種子島で、アウトドア体験サービスを提供する「オーシャンガイズ」を経営。オフシーズンはスナップエンドウの栽培も行う兼業農家。

やりたいことはなんでもチャレンジ

山口県の周南市に、3人兄弟の末っ子として生まれました。末っ子らしく自由奔放な子どもで、体を動かすのが大好きでした。特に、スキーは物心ついた頃からやっています。毎年スキーのために遠くまで旅行していたので、冬の楽しい思い出が記憶に残っています。

中学時代には、誰もやってないようなことをやってみたいと思ってアイスホッケーも始めました。友達と遊びに行ったスケートリンクで、アイスホッケーをやってる人を見たのがきっかけです。同じ所でフィギュアスケートをしている人もいたのですが、私はホッケーのかっこよさに惹かれました。

ホッケーはクラブチームに入って練習しました。学校の部活よりも純粋に好きな人が集まっている雰囲気があって好きでした。オリンピック競技に女子アイスホッケーが入るんじゃないかと言われていた時期だったので、自分たちも出られるんじゃないかと言われたりして。ワクワクして楽しかったですね。

中学を卒業してからは、土木系の高専に進みました。友達に誘われて行った学校説明会で、橋や道路を作るのって壮大で面白いなと思ったんです。

高専では、1年間休学してカナダに留学しました。中学時代にスピーチコンテストに出るほど英語に興味があって、もっと喋れるようになりたいと思い、親に頼み込んだんです。

海外に行く不安よりもワクワクの方が大きかったんですけど、実際に行ってみると、自分の気持ちを伝えるのが本当に難しいと気づきましたね。カナダから初めて日本の家族に電話したときは、無意識に涙が出てきました。でも、その電話ですっきりして、次第に生活にも慣れました。やっぱり、伝えたい気持ちがあれば伝わるってことが、だんだん分かってきました。

留学中は色んな体験をしようと決めて、どんどん外に出ました。アメリカの奥地まで旅行したり、友達の実家に行くついでに1ヵ月かけてメキシコを周ったり。本当にやりたい放題させてもらい、興味のあることには全てチャレンジしました。

社会人1年目の衝撃

5年の高専生活を終える時、就職も考えましたが、最終的には高専の専攻科に進学する道を選びました。大学院のように2年間専門的な勉強をするための科です。遊び倒したまま社会に出るのではなくて、専攻科でもっと色々な経験を積んで自信をつけたかったんです。専攻科への受験勉強を通して、勉強の面白さに目覚めたのも進学へのモチベーションになりました。

2年間専攻科で知識を深めたあと、地元のゼネコンに就職しました。技術系職員として入社したので、現場監督として建設現場に入る仕事です。職場では先輩や同僚にも恵まれて楽しかったのですが、自分の会社の中での役割がどこにあるのかいまいち見えてこないという感覚もありました。

任された仕事をこなすように過ごしていた社会人1年目のときに、友達と熊本の球磨川にラフティングに行きました。ラフティングは初めてだったんですけど、1回やっただけで完全にハマりました。川の流れが速いところを勢いよく下るときに、アドレナリンがわーっと出てくる快感が最高でした。

楽しいスポーツだと思ったと同時に、ラフティングガイドという職業に惹かれました。自分が好きなことを他の人と一緒に楽しむことが仕事になるということを初めて知って驚きましたし、自分もそうなりたいと思ったんです。

それと、自分のスキルでお客さんを楽しませることができるのも魅力的でしたね。ラフティングって、流れの速いところでスリルを味わうのも楽しいんですけど、ガイドがいるから流れが穏やかな場所でも楽しいんです。わざとボートをひっくりかえしてお客さんを盛り上げたり、自分の技で人を楽しませるのが好きなタイプの面白い人がガイドには多くて。あんな風に人を楽しませたいと思いましたね。

でも、社会人1年目だったので、すぐに退職に踏み切ることはできませんでした。それまで、親に多額の学費を出してもらっていましたし、今まで勉強してきたことを無駄にしたくない気持ちもありましたし、1年目ですぐに辞めるのは逃げるみたいで悔しいなと思ったんです。自分の気持ちを整理するためにも、働きながらゼネコンの仕事を一生やっていきたいと思えるかどうかをちゃんと見極めようと思いました。

会社勤めを続ける一方で、ラフティングとの接点を持ち続けるために、アウトドア体験のサポートをするボランティアも始めました。平日は会社で働いて、土日はそこを手伝いながら自分も練習をさせてもらう生活サイクルで、ほとんど家にはいなかったです。忙しくも充実した毎日を過ごしていました。

どうやってお客さんを楽しませるか

そんな生活を2年近く続けて、社会人3年目に退職する決意を固めました。土木の現場は男社会なので、女性が現場監督として入るには相当の根性と実力がないとやっていけなかったんです。自分の熱意次第でもっとできることがあると思いつつ、ガイドになるための挑戦をすることがとても魅力的に思えたんです。

「どうせ転職するなら早くしたい」という気持ちと、「もう少し頑張って経験を積んだ方が良いんじゃないか」という迷いを天秤にかけながら働いていましたが、担当していた現場が終わったときに、ちょうど良いタイミングだと思って退職しました。

給料水準が高いゼネコンから、シーズンで客入りが左右されるガイドへの転職でしたが、不安はありませんでした。学生時代から色んな仕事をしていましたし、自分ひとりを養うくらいの自信はあったので。退職してすぐにトレーニングを受けて、翌月には熊本でラフティングガイドとして働き始めました。

ラフティングの仕事は楽しかったですね。思い描いていた通りの仕事でした。意識したのは、自分が初めてラフティングをしたときの衝撃を、自分のお客さんにも感じてもらうにはどうすればいいかということです。体もそんなに大きい方じゃないので、男性ガイドに比べるとパワーではどうしても負けてしまいます。そこをどうカバーするか、どう工夫するかを試行錯誤していましたね。

夏は熊本でラフティングガイドをして、シーズンオフの冬は県外のスキー場で働く生活を送りました。

ワクワクに引っ張られた種子島への移住

ラフティングガイドを始めて3年ほど経ったとき、同僚でもある彼氏が勤めていた種子島支店が閉店する話が出ました。すると、閉めるくらいなら自分が引き継ぎたいと彼が手を挙げました。

彼は元々独立願望があって、自分自身の手で子どもたちにアウトドア体験を提供したいと考えていました。私も、自分一人で独立するのは無理だけど二人一緒なら続けていける気がしたので、二人で種子島に移住して、アウトドア体験サービスを提供する会社を立ち上げました。

離島暮らしは初めてでしたが、不安は全くなかったです。住む家も決まっていませんでしたが、なんだか楽しそうだとワクワクしながら、ワゴン車に二人分の荷物を積んで島に渡ってきました。

会社の経営は、最初から上手くいくとは思っていませんでした。そもそも種子島支店が閉鎖することになったのも、客足が遠のいたのが原因なので。それでも、自分たちならではのやり方ができるんじゃないかというやる気とエネルギーはありました。まずはウェブサイトを作ったり、島中の民宿へ営業に周ったりしながら、ツアーのスタイルを手探りで模索しました。

移住して1年ほど経った頃、市役所からテレビ取材の紹介がありました。お金が無い女性を特集する番組で、うちでよければということで了承し、「離島の女貧乏」という3時間の特番で取り上げていただくことになりました。

その番組がすごく丁寧に島の魅力を紹介してくれたんです。種子島の海の綺麗な色や、幻想的な洞窟の風景、島のライフスタイルとかを上手に撮ってくれて。放送後に問い合わせが一気に増えました。全国ネットのテレビの力を思い知りましたね。

それがきっかけで他の番組にも取材していただいて、一気に集客ができるようになって、ツアーの流れや回し方を確立できたので、経営も安定するようになりました。

自然の中で生きる幸せ

現在は、「オーシャンガイズ」というお店を経営し、夏場はシーカヤックやシュノーケル、キャンプなどの自然体験ツアーを提供しています。自分たちにとっては当たり前に見える島の景色も、都会のお客さんには感動してもらえるのが嬉しいですね。

また、冬のシーズンの稼ぎを安定させるために、農業もやっています。繁忙期に来るお客様全体を相手にできるほど大きい会社ではないので、オフシーズンの収入をどうやって安定させるかが長年の課題でした。子どもも二人授かったので、成長するにしたがって必要なお金も増えるし、将来のために貯金もしてあげたいという気持ちもありました。

冬場に食いつないでいくために色々と試行錯誤を重ねました。パートにも行ったのですが、外で雇ってもらうと本業との両立ができなくなります。冬場もお客さんがゼロというわけでは無いので、予約をいただくことがあるんですけど、外で働いていると自由に休めないので、せっかく冬に来てくれたお客さんをお断りせざるを得なくなってしまうんです。

自営でできる冬場の安定した仕事を模索し続けて、たどり着いたのがスナップエンドウの栽培でした。島には農家の方も多いので、アドバイスをもらいながら頑張っています。スナップエンドウの植え付けから収穫がちょうど海のオフシーズンの時期におさまっているので、これなら本業と両立していけそうだという希望が見え始めているところです。

こうやって試行錯誤しながら、種子島で暮らし続けたいです。もちろん、色んな所を見てみたい興味はありますが、自分が暮らしていくのは種子島が一番合っていると感じます。島に対する不満が無いんです。自分が好きなことを仕事としてやれていますし、食べ物には困りません。お金を無駄遣いする場所も無いし、物欲もなくなります。

でも、子どもには、一度は島を出て欲しいと思ってます。種子島で生活していくためには自分で収入を得なければならないので、自分がどこでどんな仕事をして生きていくか、島の外の生活を経験した上で決めてほしい。私自身、好きな仕事をしながら生きているのが幸せなので、子どもたちも、一生幸せに続けられる仕事を見つけてほしいなと思っています。

これからも種子島で、大好きな自然の中で仕事をしながら生活を続けていきたいです。青空が広がって、高台に行ったら綺麗な海が見えて、その手前には緑が広がって。そういう風景の中にいられたら幸せです。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

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