つくろう、島の未来

2024年04月28日 日曜日

つくろう、島の未来

北海道北西部の羽幌港から日本海を西へ約27キロメートル、90分ほどで天売島に到着する。約290人が生活する周囲約12キロメートルの島は「海鳥の楽園」として知られ、春先から夏にかけては「オロロン鳥」と呼ばれるウミガラスをはじめ、ケイマフリ、ウミスズメなど100万羽近い海鳥が繁殖に集まる。

※この記事は『ritokei』30号(2019年11月発行号)掲載記事です。

産業が隆盛を極めるなか、森が消滅

いまでこそ森に覆われている天売島だが、この森には江戸時代から明治時代にかけてハゲ山となり、再生された過去がある。

当時、日本海沿岸ではニシン漁が隆盛を極め、ニシンのしめ粕などを製造する燃料や、暖房用として森の乱伐が行われていた。そこに山火事も起こり森が消滅してしまった。

森の木々はただ燃料になるだけでなく、水を蓄える役割を持っている。森を失い、水を蓄えられなくなった島は深刻な水不足に陥り、1954年からは公共治山事業による森林再生もスタート。しかし、北国の島では思う様に木々は育たず、1973年頃に起こった離島観光ブームで、多くの観光客が島を訪れるようになると、度々断水となり自衛隊のヘリコプターで生活用水を運ぶこともあった。

その後、1980年代より天売島の土地にあった植林法が見つかり、ヤナギやアカエゾマツなどが植林され、島民も参加。水源の役目を果たす森が再生された。

天売島1

森の再生から新たに生まれた間伐問題

しかし、大規模な植林から30〜40年が経った今、天売島は「間伐」という新たな課題に直面している。

1980年代の天売島では、水源の森をいち早く取り戻すために土地を改良し、樹木のなかでも成長が早い針葉樹林が多く植えられていた。

針葉樹林には根が浅く弱いといいデメリットがある。さらに、育った木々が過密状態となったことで、森の中に日が差し込まず、樹木の間が枯れはじめていたのだ。

そこで天売島の森では、間伐を行うとともに、より強い森を未来に残せるよう、広葉樹を植える計画が立てられている。

ここで積極的な活動を展開しているのが、2014年設立の一般社団法人天売島おらが島活性化会議だ。同会議代表の齊藤暢さんは、島で祖父の代から続く運送業者を経営。そのかたわらで、島の持続可能性を模索しながら、これまでなかったシーカヤックのアクティビティを始めるなど多彩な活動に取り組んできた。

同会議を発足した当時、斎藤さんは森にそれほど関心がなく、「行政が整備してくれる」と捉えていたという。

しかし、島を訪れた専門家による小学生を対象とした講義を聞いた時、森と海のつながりを知り、意識が変化した。

森は生活用水を作るだけでなく、栄養を含んだ水を海に送り込んで海草を育てる。その海草を食べたウニの味が良くなり、魚が集まり、それを狙う海鳥が集まる。「こうした循環の話を初めて聞いて、あまりにも人任せでやってきたことに気づきました」と齊藤さんは反省する。その後、齊藤さんは枝払いの手伝いなどを通じて、樹木の間に光が入り、森が変化していく様子を目の当たりにし、間伐の大切さを知った。

「森と水の循環で生きていること」が島の付加価値に

2017年11月には羽幌町と留萌振興局、同会議の3者協定「未来につなぐ木育の島づくり」を締結。島の子どもたちに間伐作業をしてもらったり、キノコのホダ木づくりをしてシイタケを植えたりしたほか、記念植樹なども実施している。ホダ木づくりには、山菜が好きな高齢者にも参加してもらい、一緒に森で楽しんだ。

天売島2

2018年に大規模な間伐が行われた際には、大量に出た間伐材の利活用も課題となった。そこで同会議が開設したキャンプ場に、間伐材を使ったシャワールームを設置。島民向けのサウナ室も設置し、サウナ用の薪やストーブに間伐材を使用した。

島民向けのアンケートで、休憩用ベンチを求める声が挙がったころから、島内の数カ所にベンチを置いた。

齊藤さんたちの活動が広まるにつれ、直接声を掛けてくる島民も増え、ミズダコ漁に使う延縄を乾かす台や、漁船を陸に上げるための滑り板として活用するケースもあった。

これらの製材は島内で対応できたが、より精密な製材が必要になると本土へ送る必要があるため、製材にかかるコストも懸案材料という。

「森と水の循環のなかで生きているということが、島の付加価値につながっていくのではないか」と話す齊藤さんは、そのことを「島の人が気づいてない。もっと森を知ってほしい」と話す。

天売島の森と島の未来を考える日々のなか、齊藤さんたちを喜ばせる出来事があった。

2018年に島の中学生に炭作りや薪割り、サウナ体験をしてもらった後日、中学生らが「天売の森の活用法」を参観日にプレゼンしてくれたのだ。

齊藤さんの親世代は水不足で苦労し、森の再生のために植林に取り組んできた。その歴史はこれまで、未来を担う者へと伝えられてこられなかったが、1973年生まれの齊藤さんは、天売島の森をとりまく再生の歴史を周知する活動を始めた第一世代となった。

来年の夏の夜には、間伐材の丸太で「スウェーデントーチ」と呼ばれるキャンドルを作り、天売島と隣島・焼尻島で同時に火を灯すイベントも構想される。

こうした活動を行うことで、島の現在を担う齊藤さん世代から、島の森の大切さが同心円状に伝わり、島の未来へとつながっていくはずだ。(取材・竹内松裕)

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特集|島にみる再生復活という希望

台風、噴火、地震、津波、人口減少、人口流出、産業衰退に学校の統廃合etc……。自然の猛威や社会変化により、昨日まであったものが無くなることもあれば、じわじわと姿を消すこともあります。自然災害の多い日本列島では毎年のように台風や豪雨、地震などの被害が起き、地域を支える人口減少にも歯止めはかかりません。 島から無くなろうとしているもの、あるいは無くなってしまったものの中には、人々の生活やつながり、心を支えていたものも含まれます。失ったものが大事であるほど、心に大きな穴があき、寂しさや悲しさ、無力さがその穴を広げてしまいます。 とはいえ、絶望もあれば、希望もある。有人離島専門フリーペーパー『季刊リトケイ』30号と連動する「島にみる再生復活という希望」特集で、島々で実際に起きている希望に目を向けてみませんか?

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