つくろう、島の未来

2020年10月28日 水曜日

沖縄県八重山諸島に位置する竹富島(たけとみじま|竹富町)で、2019年1月にかつて竹富島で栽培されていたクモーマミ(小浜大豆)を復興させるプロジェクトが開始された。観光リゾート企業が中心となり、島民と共に島特有の食文化復興を目指している。

※この記事は『ritokei』30号(2019年11月発行号)掲載記事です。

(取材・水野暁子)

竹富島

小浜島在来の大豆「クモーマミ」の復興プロジェクト

プロジェクトを牽引するのは滞在型リゾート施設を提供する星野リゾートの「星のや竹富島」。担当者の小山隼人さんは、2017年より島の長老・前本隆一さんから粟の種や芋の苗を譲り受け、施設のある敷地内で栽培を始めていた。小山さんは栽培指導者でもある前本さんとの会話のなか、ある日、竹富島ではかつて大豆も栽培されていたことを知った。「今でも栽培されているのか?」と期待する小山さんに、前本さんは2リットルのペットボトルにびっしりと詰まった大豆を見せ、悲しそうに「みんな死んでしまって、まいても芽は出てこない」と話した。

クモーマミの栽培が途絶えていた背景には、安価な外国産大豆の流入の他に、観光業が島民の主な収入源となり、農業を生業とする島民が減少したことが理由にあるのではないかと、小山さんは考えた。その後、小山さんが竹富小中学校の授業に参加した際に、島の年配者が子どもたちに「島の大豆で作った豆腐は本当に美味しかった、食べさせてあげたい」と話す姿を見て、「島の大豆を復興させたい」と強く思うようになった。

竹富島でかつて栽培されていた大豆は、小浜島の在来大豆のクモーマミだった。そこで、小山さんは種を保管していた八重山農林高校に4キログラムの種を分けてもらい、2キロを島の人に分け、残る2キロを竹富保育所の園児たちと一緒に施設内に設けた畑に蒔いた。2月に蒔いた種は、順調に成長。3月には昔ながらの豆腐作りを島民の新田初子さんから習い、5月には竹富小学生と収穫を行った。6月には新田初子さんから習い受けた豆腐作りを竹富小学生と共に実施し、同施設が島民に対して毎年開催している感謝イベントのランチにて手作り豆腐を島民向けに振る舞った。

竹富島

竹富小児童との豆腐づくりの様子

今年は、種まきの時期が遅かった事もあり、クモーマミの収穫量が少なかった。当面の課題は、「適切な時期を見極めて種をまき、収穫量を増やせるように育てること」と「一回で終わらせないこと」だと小山さんは語る。今後は、竹富島の島民と共に収穫できる量を増やし、1年に1回クモーマミの収穫時期に合わせて、島全体で味噌づくりや醤油づくりなどを行いたいと展望する。

同施設には、2019年6月に島の命草(ぬちぐさ)(※)を継承する「命草畑」も作られ、クモーマミ復興に引き続き、命草の栽培もスタートさせた。6月末には新田初子さんを講師に迎え、竹富小中学生の子どもたちと集落内を歩きながら命草について学んだ。その後、施設内の畑で命草の植え付けを行い、9月には大山道子さんを講師に迎え、命草を用いた島料理教室を開催。11月に命草を収穫し、シェフが命草ランチを子どもたちや島民に振る舞う予定という。

※命草……八重山地方で伝統的に茶や食材として利用されてきた野草の総称

クモーマミがかつてのように竹富島の暮らしに当たり前に存在すれば、他の作物や命草も徐々に復興させていけるのではないか。プロジェクトのメンバーは期待を寄せ、畑という島の食文化を未来につなぐ種を蒔いている。

特集記事 目次

特集|島にみる再生復活という希望
台風、噴火、地震、津波、人口減少、人口流出、産業衰退に学校の統廃合etc……。自然の猛威や社会変化により、昨日まであったものが無くなることもあれば、じわじわと姿を消すこともあります。自然災害の多い日本列島では毎年のように台風や豪雨、地震などの被害が起き、地域を支える人口減少にも歯止めはかかりません。 島から無くなろうとしているもの、あるいは無くなってしまったものの中には、人々の生活やつながり、心を支えていたものも含まれます。失ったものが大事であるほど、心に大きな穴があき、寂しさや悲しさ、無力さがその穴を広げてしまいます。 とはいえ、絶望もあれば、希望もある。有人離島専門フリーペーパー『季刊リトケイ』30号と連動する「島にみる再生復活という希望」特集で、島々で実際に起きている希望に目を向けてみませんか?

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