つくろう、島の未来

2019年12月09日 月曜日

2019年11月現在、日本には6,852の島があり、そのうちの416島に人が住んでいる。今から6年前の2013年に、鹿児島県のある島が無人島になった。桜島の近く、錦江湾に浮かぶ新島(しんじま)だ。日本の地方では人口減少が社会問題となり、限界集落と呼ばれる集落がどんどん増えている。各地で対策は講じられているが、結果的に無人化する地域もある。

島から人がいなくなるとはどういうことなのだろう。一度なくなってしまった集落を再生することは無理なのだろうか。島に住民票を置く人が不在となると、その島は公的に無人島となる。新島は無人島となったが、変わり果てた故郷を憂う人々が活動を開始。今回は、新島で生まれ、新島を再生しようと活動するNPO法人ふるさと再生プロジェクトの会の副会長を務める東ひろ子さんに話を聞いた。

(文・写真 田中良洋)

周囲2kmの小さな島

新島(鹿児島県)

新島は、1779年に起きた桜島の安永噴火の際、マグマにより海底が隆起してできた。桜島の北東1.5キロメートル に位置し、周囲は2.3キロメートル。面積0.13平方キロメートルという小さな島に、1950年には250人もの人が住んでいた。

ひろ子さんは、昭和31年に新島で生まれた。5人姉妹の四女だった。当時、新島には桜島にある桜峰小学校の新島分校があり、児童も30人くらいいたという。

中学校は桜島にある西桜島中学校に通った。学校に通うために毎朝スクールボートと呼ばれる船にゆられ15分、港から村営バスに乗り換え通学していた。

たまに先生の話が長くなり下校時刻が遅れてしまうと、スクールボートに間に合わず、取り残されてしまうことがあった。そんなときは、知り合いの漁師に頼み、島まで連れ帰ってもらっていた。

海が時化てしまうとボートが出せないので、前日に鹿児島に渡り、姉の下宿先から学校へ通うこともあった。それでも学校が好きだったひろ子さんは、何があっても毎日通い続け、皆勤賞をもらったことを今も誇らしく思っているという。

高校生になると新島を離れ、鹿児島にある高校に通った。それでも毎週のように新島に帰り、学校に間に合うギリギリまで新島に残っていた。

生まれ育った場所だし、親もいる。気持ちが落ち着いたし、何より新島が好きだった。

かつての故郷で感じた恐怖

大人になったひろ子さんは、鹿児島市内の繁華街・天文館でスナックを営んでいた。連日、多くの人で賑わう憩いの店となり、市役所関係者もよく訪れていた。

ある日、市役所の職員から耳を疑う言葉を聞いた。

「新島が無人島になったよ」

信じられなかった。最後に新島へ行ったのは3年ほど前。まだ島民はいると思っていたが、2013年8月に全住民が移住したことで無人島になったというのだ。

2014年1月と2月、ひろ子さんは姉妹と一緒に、行政連絡船に乗って無人島になった新島を訪れた。

高校時代は落ち着くからと毎週帰っていた故郷の姿はそこにはなかった。木が生い茂り、ジャングルのようだった。カラスが鳴き、恐怖すら感じた。昔は人を見かけても知り合いなので安心したが、今は知らない人が現れたらどうしようと不安になった。

帰りの船が来るまで時間があったので、ひろ子さんたち時間つぶしに掃除をする。ここから、新島再生の道が始まった。

再生にかけた6年間の歩み

「新島の神社をきれいにしたい」

これは今は亡き父が言っていたことだった。父の言葉を思い出し、まずは港から見て島の反対側にある神社がある場所までの道をきれいにした。

新島3(鹿児島県)

行政連絡船が水・金・日の週3日、桜島〜新島間をつないでいたので、毎週日曜日には新島に行くようにした。無人島と言っても、桜島から船で10分もあれば渡れる島なので、誰か潜んでいてもおかしくはない。はじめのころは市役所のOBに用心棒として付いてきてもらうこともあった。

その後は、最低でも月に2回は新島に行くようにし、掃除を続けた。ひろ子さんのスナックでお客さんに新島の話をすると「行ってみたい」と興味を持ってくれる人が増え、少しずつボランティアの人が集まった。

ひろ子さんからお願いすることがなくても、ボランティアの人は自主的に掃除をしてくれ、そのうち木や草で通れなかった道がきれいになり、側溝には水も流れるようになった。流木でベンチやブランコを作ってくれたりする人もいた。

そして2015年、仲間の協力があって神社を再建することができた。月読命(ツキヨミノミコト)を御祭神とする五社神社。交通安全や家内安全、学業、縁結び、子宝、安産の神様を祀っている。

「すごいパワースポットなんですよ」

ひろ子さんがそういうのは理由がある。新島に通い始めて6年の間に、新島へボランティアに訪れた人々の中から8組が結婚し、9人の子宝に恵まれたのだ。

何より、ひろ子さん自身も新島再生に向けた活動のなかで現在の夫と出会い、五社神社で挙式をあげていた。夫、道也さんはNPO法人を一緒に立ち上げ、会長として新島再生に尽力している。

そして2019年、ひろ子さんの妹夫婦が北九州から新島に移り住み、新島は現在、再び有人島に戻った。

新島は大人も子どもも遊べる秘密基地のようだ。誰もいない、何もないからこそ広がる可能性に思わず心が弾んだ。ひろ子さんの話から、新島が無人島になっていたことへの悲壮感や、再生に向けた使命感はあまり感じなかった。それよりも仲間たちと一緒に新島で遊べるワクワク感が伝わってきた。

「今でも新島に行くときはワクワクするんです。私がこんなに楽しいんだから、みんな楽しくないわけがない。どうです?新島来てみませんか?」

そう誘われた私は、つい鹿児島行きのチケットを検索してしまった。

秘密基地「新島」に到着

新島4(鹿児島県)

桜島がきれいに見える、雲ひとつない晴天だった。11月4日、ひろ子さんの言葉にのった私は鹿児島に渡り、クルージングツアーの集合場所に立っていた。

このツアーは荒天により2度延期されていたという。やっとの思いで開催されたこの日は、定員の80人の船に70人以上の人が集まっていた。

桜島を右手に眺め、1時間ほどかけて新島に向かう。波が穏やかで、船の上で感じる風が気持ちよかった。新島に着いたときには日が昇り、着ていたパーカーを脱ぎたくなるほど暖かかった。

まずは新島を歩いて回った。人が通る道はきれいに掃除されていて、荒廃した様子はまったくなかった。だが、途中で案内された小学校のグラウンドにはその面影はなく、自分の背よりも高い草が生い茂っていた。

小学校のすぐ横に五社神社を見つけた。神社の中も入ることができ、建てたときの写真が飾られていた。私もお賽銭を投げ入れ、鐘を鳴らして手を合わせた。

道を進むにつれて参加している子どもたちの目つきが変わってきた。畑で芋掘りをし、木に取り付けられたブランコを見つけては我先にと走り寄っていく。ひろ子さんが昔よく採って食べていたというグミの実を採って食べてみたり、きれいなビーチに足をつけて遊んだり。普段できない自然の中での遊びを満喫していた。

新島5(鹿児島県)

島の半分を散策して港に戻ってくると、先ほど子供たちが掘った芋が茹でられていた。真水で茹でたのではなく、海水を使って茹でたそうで、程よい塩加減が芋の甘みを引き立てていた。

お昼ご飯を食べた後は、思い思いに過ごした。子どもたちはみんな魚釣りを楽しんでいる。釣り竿は市販品ではなく、竹を切って糸と針をつけただけのようなもの。キビナゴやエビを餌にして海に落とす。

本当にこんな釣り竿で釣れるのかと思ったが、水がきれいなので堤防からでも魚が食いついているのが分かった。竿がピクリと動いたら引き上げるだけ。リールもないので、竿を勢いよく引き上げるのが肝心だ。

「釣れた!」

次々と子どもたちの声が上がる。全長10センチから20センチくらいのカサゴがどんどん釣れた。昔話に出てくるような釣り竿だが、釣れると分かると大人も子どもも本気になる。各々、ポイントを変えながらより大きな獲物を狙っていた。

2時を過ぎ、そろそろ新島を離れる時間がやってきた。滞在時間は約3時間半。参加者から「もっと遊びたかったね」という声が聞こえてくる。

この滞在時間は「少し短い」と思うかもしれない。しかし、このくらいがちょうど良かった。なぜなら、私も「また来たい」と思い、同じ気持ちを抱いた人がリピーターとなっているからだ。

島に残り、後片付けをするボランティアの人たちに見送られながら新島を後にした。

小さな島の無限の可能性

「新島は一日にしてならず」

ひろ子さんたちは6年かけて新島を今の状態にした。しかし、少しでも間を開けると元のジャングルに戻ってしまうことをひろ子さんたちは知っている。

最近ではテレビや新聞で取り上げられることも多くなり、興味を持ってくれる人が増えてきた。新島に足を運んでくれる人が増え、「楽しかった」と言って帰ってくれることが何より嬉しいとひろ子さんは話す。

新島2(鹿児島県)

新島に来てくれる人たちのため、ひろ子さんは、ガイドの勉強をして自然の中でできる遊びを学び、NPO法人の立ち上げでは会長である夫が慣れないパソコンで書類作りも行なってくれた。

行政連絡船は今も週に3回、桜島と新島もつないでいる。クルージングツアーも年に2回は企画する予定という。ぜひ一度、新島を訪れてみてはいかがだろうか。

有人島に戻ったとはいえ、新島は1軒のお店もない島だ。街にあるようなものは何もなくても、島ではあるものを活かし、どんなことができるか、ひろ子さんたちの妄想は膨らんでいる。

特集記事 目次

特集|島にみる再生復活という希望
台風、噴火、地震、津波、人口減少、人口流出、産業衰退に学校の統廃合etc……。自然の猛威や社会変化により、昨日まであったものが無くなることもあれば、じわじわと姿を消すこともあります。自然災害の多い日本列島では毎年のように台風や豪雨、地震などの被害が起き、地域を支える人口減少にも歯止めはかかりません。 島から無くなろうとしているもの、あるいは無くなってしまったものの中には、人々の生活やつながり、心を支えていたものも含まれます。失ったものが大事であるほど、心に大きな穴があき、寂しさや悲しさ、無力さがその穴を広げてしまいます。 とはいえ、絶望もあれば、希望もある。有人離島専門フリーペーパー『季刊リトケイ』30号と連動する「島にみる再生復活という希望」特集で、島々で実際に起きている希望に目を向けてみませんか?

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