今だから復活させられた。奄美大島の女性棒踊り「チュクテングァ」
人口が減少していく昨今、文化を継承していくことは容易くない。ましてや、一度途絶えてしまった伝統を復活させるのは相当な根気がいる。
奄美大島の南東・瀬戸内町の蘇刈集落にも途絶えてしまった伝統文化があった。女性の棒踊り「チュクテングァ」だ。かつては毎年の豊年祭で踊られていたが、30年前を最後に踊らなくなっていた。
2019年、蘇刈の豊年祭は100周年を迎える。この記念すべき年に再び蘇刈のチュクテングァが披露されることとなった。復元に向けて尽力した一人、才木美貴さんに話を聞いた。
※この記事は『ritokei』30号(2019年11月発行号)掲載記事です。
きっかけは「見てみたい」と思う好奇心
才木さんは大阪出身。4年前に蘇刈集落に移住し、地域おこし協力隊として島の文化や伝統の発信を担当していた。集落の行事にも積極的に参加する中で、集落の人からチュクテングァの話を聞いたのがきっかけだった。
「みんな口を揃えて言うんです。『蘇刈の女性の棒踊りはすごかった。格好良かった』って。だったら見てみたいと思って」
「見てみたい」。そんな小さな好奇心がまさかこんな大きなことになるなんて思わなかったと才木さんは振り返る。
当時の資料は数年前に奄美大島を襲った水害で水に浸かってしまったようで、見つからなかった。この踊りにどんな意味があったのか、なぜ始まったのか、なぜ途絶えてしまったのか。
糸口を知るのは、当時を知る人の記憶だけだった。しかし、チュクテングァの経験者はすでに90歳を超える人ばかり。記憶が曖昧な人もいたが、一人ずつ当時のことを聞いて回った。
パズルのピースをひとつずつはめるように
当時の様子を聞き取り、練習して披露する。踊りと歌が合わないことが何度もあった。「なんとなくこうじゃない?」と適当に合わすこともできたが、なるべく妥協はせず、当時の経験者たちが納得してくれるまでやり直した。
練習に付き合ってくれる集落の先輩たちはスパルタだった。しかし、「違う!」と言われても才木さんたちはめげなかった。披露するたびに先輩方の表情から鮮明になる記憶を感じ、文句を言いながらも楽しそうに見えたからだ。
ただ、歌だけはなかなか前に進まなかった。歌詞は分かったが、歌のメロディーが分からない。先輩たちに歌ってもらい、真似て歌ってみても「違う!」と言われるだけで、何が違うのかが一向に分からなかった。
そんなとき、才木さんの元に朗報が届く。偶然にも当時の歌を録音したカセットテープが見つかったのだ。かなり古いカセットテープだったので、再生してみると擦り切れかけて音も悪く、耳を澄ましてやっと聞こえるほどのカセットテープだった。しかし、このカセットテープが発見されたことで決定的に違うところが見つかった。思っていたよりもキーがずっと高かったのだ。
カセットテープのキーに合わせて先輩たちの前で歌ってみると、やっと合格をもらった。復元に向けて大きく進んだ瞬間だった。
「天まで届け」と無我夢中だった
その後、集落の総会で披露し、正式に豊年祭で披露する許可をもらった。本番は9月15日。メンバーを集めて本格的に練習を開始した。
本番2週間前の9月2日、練習に励む才木さんたちの元に衝撃の知らせが届いた。
聞き取りや指導に貢献してくれた一人が亡くなったのだ。その人がいなかったら復元はなかったと言えるほど尽力してくれた人だった。「豊年祭で披露する姿を見せたかった」。才木さんは、悲しみにくれると同時に、このタイミングでなければ復元はできなかったかもしれないと感じた。
当日は雨予報だったが、天が味方してくれた。
「もうとにかくやりきる、声を張り上げる、先日天に召された指導者や、そのまたかつての踊り子達に届け、天まで届け、無我夢中でやりました。
他の音はもう全然聞こえなかったのですが、手拍子、唄、太鼓が周りから鳴り響いていたそうです」(奄美蘇刈sokaruチュクテングァ復活Facebookページより引用)
終わって撮影されていた動画を見てはじめてやり切った気持ちになった。周りの人の手拍子や拍手、「良かったよ」と声をかけてくださる人々の多さから、やっと自分たちがやってきたことの大きさを実感した。
復元にかかった時間は2年。長い時間だったが、ここで終わりではない。継続をしていくことがこれからの目標だ。
少子高齢化が進む集落では、踊る人を集めることも容易ではない。蘇刈集落では他にも女性が参加する伝統の踊りがあるので、どう豊年祭のプログラムに組み込むかなど課題はたくさんあるが、11月には瀬戸内町の文化祭でチュクテングァが披露されるなど、その功績は広まっている。(取材・田中良洋)