400 島あれば 400 通りの個性がある島と文化。島で暮らす文化人が、リトケイ読者に紹介したい島文化とは?昨年、国の登録有形文化財に指定されたコーガ石建物が記憶に新しい伊豆諸島・新島より、梅田久美さんの寄稿です。
※この記事は『季刊ritokei』45号(2024年4月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。
コーガ石造りのまち並み
新島は都心から南へ約150 キロメートル、伊豆諸島の北から3 番目に位置します。複数の火山からなる火山島で、伊豆諸島の多くは黒っぽい玄武岩質ですが新島と近隣の式根島・神津島は大部分が白っぽい流紋岩でできています。
島の南側に位置する向山が最後に噴火したのは西暦 886 年の平安時代前期。水深 30メートル程の浅瀬から海底噴火が始まり、激しい噴火によって房総半島でも火山灰が降り牛や馬が死んだという記録が残っています。
大量の噴出物で周辺の海が埋まり、現在の集落がある平地が生まれたこの時、向山で溶岩ドームが形成され、新島特産のコーガ石が誕生しました。
コーガ石の正式名称は黒雲母流紋岩。多孔質で比重 0.8 ∼1.8と軽いものは水に浮き、「浮かぶ石」からカブ石とも呼ばれます。
世界で新島とイタリアのリパリ島で採掘されると言われてきましたが、現地で確認した地質学者によるとリパリ島の石は成分は似ていても質が違うとのこと。コーガ石は世界でも新島とその周辺でしか採れない珍しい石なのです。
コーガ石はのこぎりで切れるほど加工しやすく、耐火性・耐酸性・保温性に優れ、江戸時代から島内で利用されてきました。大正時代には島外でも使われるようになり、昭和にかけて新島の一大産業として発展していきます。
明治時代に何度か大火を経験し、新島の集落もそれまで主流だった木造茅葺の家からコーガ石造りに移行していきました。
その頃、島の石工は挙って腕を競い、木造建築の意匠を石で表現したり、西洋建築の手法を取り入れることもありました。かまぼこ型のヴォールト式屋根が架けられた前田家住宅外便所は 2004 年に新島で初めての登録有形文化財に指定されています。
建築の主流だったコーガ石ですが、屋根に使える軽い石が採れなくなったこと、また建築基準法の制定により、総コーガ石の建物は建築不可となりました。
しかし、島内家屋の約7 割に今でもコーガ石が使われている新島。日本でこれほど石造建築の文化が残る場所は貴重だということで、島外の建築家たちが「新島抗火石建造物調査会」を立ち上げ、20 年以上に渡りコーガ石の建造物の調査と保存活動を続けています。
調査会のご尽力により2023 年には新たに新島のコーガ石の建物5 棟が国の登録有形文化財に指定されました。残念ながら近年取り壊されてしまう建物も多く、これをきっかけに島民があまりにも身近なコーガ石の価値を再認識し、1 棟でも多くの貴重な建物が保存されることを切に願っています。
梅田久美(うめだ・くみ)さん
伊豆諸島・新島(東京都新島村)出身で新島在住。本業の電気設備工事業の傍ら、古いコーガ石造りの家を改修してゲストハウス「Hostel NABLA」を運営している。空き家トータルアドバイザー。古民家鑑定士。