今回の『季刊ritokei』 特集タイトルに掲げた地域共同体の「シマ」とは何か?かつて家族的な集団で暮らしていた人類の祖先は、進化の過程で「他者を含めた共同体(シマ)」をつくり、現代に至ります。ここでゴリラ研究の第一人者であり、屋久島(やくしま|鹿児島県)とのゆかりも深い人類学者の山極壽一さんにお話を伺いました。
「シマ」の響きには「なわばり」や「テリトリー」という意味も重なるだけに、内向きに閉じたイメージもありますが、「シマはそこだけで閉じているわけではありません」と山極さん。島々の可能性にまで広がるお話は、ウェブ版『ritokei』では前編・後編に分けてお伝えします。(制作・ritokei編集部)
※ページ下の「特集記事 目次」より関連記事をご覧いただけます。ぜひ併せてお読みください。
※この記事は『季刊ritokei』38号(2022年5月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。
>>前回:人類学者の山極壽一さんに聞いたゴリラと屋久島に学ぶシマと島の可能性(前編)【特集|つよく やさしく たのしい 地域共同体に学ぶ 島のシマ】はこちら
人と人のつながりには「時間」と「身体性」が不可欠
僕は屋久島で暮らした詩人の山尾三省さんの「自分が好きなものを見つける自分の好きなものができた時それがカミ(神)だ」(※)という言葉が気に入っています。ここで言う「神」には自分の真(まこと)が映し出される。それをはっきりと認識したときに幸せになれるという意味です。
※ 『アニミズムという希望』山尾三省著、山極寿一解説(野草社)より
僕の場合、アフリカでゴリラと付き合ったり、屋久島でガジュマルやアコウの木をすりぬけながら猿を追いかけているときの楽しさや興奮に神を感じます。そして、神が存在する場所を大切にしようと考える。
その神は、住んでいる集落や人であるかもしれません。好きになるということは、自分が勝手に好きになっているわけではなくて、向こうからの働きかけもあるわけで、好きになったということは、自分がその環境の中にすっぽりはまり込んだという証拠でもあります。ですから「好きだ」と感じる場所を生活の場にすることは、幸福を得る最善の道でしょう。
好きな場所に住むといっても、複数あっても良いんです。どこかひとつだけに決める必要はありません。僕は今、京都に住んでいるけれど、アフリカも第二の故郷です。屋久島に行けば昔からの知り合いに会いますが、数年間まるで音沙汰がなくても飲みながら色々な話をするうちに、僕の不在が嘘のようにまた元の関係に戻れたりします。
人と人のつながりには、言葉だけではなく身体性が重要です。アフリカでもまさにそうですが、言葉や習慣が違っても、食事をしながら彼らの日常生活にはまりこむとつながりは回復します。
日本人を賢く思うのは「郷に入れば郷に従え」という言葉があり、その人たちの生活を乱さないような「文化の衣をまとって入っていくことが大事」という感覚を持っていることです。そこで一番大事な仕掛けが、飲み食いを共にすることです。お茶を飲んだり、お酒を飲んだり、食事をしたりするのは、お互いが平和であることを確認をする、あるいは親密であることを確認することの儀式なのです。
昔の日本には縁側があり、僕が初めて屋久島に行ったときも、ある家で「ちょっとお茶でも飲んで行かないか」と言われ、縁側でお茶をいただきながらしばらく話をしているうちに、打ち解けていたのです。アフリカにも旅人が村を通るたびに、壁のない家に招き入れ、お茶やお酒をご馳走する習慣があります。そこで「どこから来たのか?」「何をしに来たのか?」「新しいニュースはあったか?」と話をするのですが、そういう時間を使うからこそ、人と人が互いに警戒することなく、打ち解けられるのです。
この時間によって集落に住む人は、新しいニュースを得ることもできる。今は車で通り過ぎてしまうので、こうした時間がどんどん失われていて、人と人の出会いが円滑につくりづらくなっているのも問題ですね。
最近は、人や地域とのつながりにオンラインを使うことも増えていますが、つながりには対面での交流がどうしても必要です。オンラインだけで情報交換や議論をしていると、色々なことがすいすい決まってしまうことがあります。そうすると「誰がどういうプロセスで決めたのか」といったことが分からなくなり不満が鬱積する。
情報のやりとりはオンラインでも良いですが、やはりどこかでは対面で交わり、一緒にお祭りの用意をしたり、飲み食いしながら「こういうことを決めたのだ」という確信を持ちたいものです。僕は信頼というものは「時間の関数」だと思っています。信頼関係を築くには時間をかけないといけないんです。
僕はこれからは地方の時代がくると思っていて、とりわけ島の時代がくると思っています。そう思う理由は、交通システムと通信情報システムの発達にあります。近年は陸上輸送が中心でしたが、今や陸上はどこも満杯状態。空いているのは海と空なので、重たいものは海路で、軽いものはドローンで運ぶなら道はいりません。陸上輸送は道路という線でつながっていますが、空や海は3次元や面でつながっており、島であれば360度どこからでもアクセスできるわけです。
瀬戸内海航路が流行っていた江戸時代は、どこでも荷が降ろせ、小さな船ならどこにでも着岸できたので、これからは海と空の3次元の配送システムを強みにできるのです。通信情報システムが発達し、テレワークが可能になりワーケーションも流行り始めました。テレワークできるなら複数居住制で、好きなときに好きな場所で暮らすことができる。短期間でも長期間でも良いし、子どもを育ててもいい。そういう生き方がより流行っていくと思います。
そこで、島や小さな共同体には強みがあります。都会暮らしでは、隣人すら分からず、歩いていても誰にも気づいてもらえないという「ワンオブゼム」になりがちですが、小さな島の共同体で暮らしていると「ワンオブワン」で、個性を持ち、自分を知る人たちに囲まれて暮らすことができます。顔見知りの中で暮らすと、病気や怪我をしたときや調子が悪くなったときにみんなが心配してくれ、助けてくれる。つまり、都会暮らしの人も複数拠点により、社会関係資本を得ることができるのです。
過疎に悩む地域も多くありますが、僕は過疎を強みだと思っています。要は「余っている」ということです。畑も土地も森も余っているわけです。そこでは好きなことができるし、誰かに好きなことをさせてあげられる可能性もたくさんあります。人が満杯で資源もなくなった人工的な環境には、もうつくれるものがありません。隣に住んでいる人の騒音でイライラするくらいですからしんどいでしょう。
一方、過疎であれば何をやってもいいわけです。大声で叫んでもいいですし、お祭りをやってもいい。自由が与えられるというのは強みだと思います。弱みを強みにするというやり方は、人類が昔からやってきた方法です。弱みを裏返せば強みになるのです。
【お話を伺った人】
山極壽一(やまぎわ・じゅいち)さん
1952年東京生まれ。ゴリラを主たる研究対象に人類の起源を探る霊長類学者・人類学者。2014年10月より京都大学総長、2017年10月より日本学術会議会長などを歴任後、現在は総合地球環境学研究所所長。趣味は野外で採集した食材で料理をつくり、お酒を飲むこと
>>人口100人の小さな共同体 口永良部島で商店をはじめた夫婦に聞く島のシマ【特集|つよく やさしく たのしい 地域共同体に学ぶ 島のシマ】に続く