つくろう、島の未来

2024年12月03日 火曜日

つくろう、島の未来

住民の少ない集落(シマ)や小さな島の暮らしが健やかに続くには、地域の支えとなるつながりが重要。であれば、縁故者をはじめ行政や各サポート団体に、近年注目される関係人口(※)といった人々と、島との関係はどのようにあると良いのでしょうか?「信頼人口」をキーワードに島内外の人とつながる山口県下関市の六連島をリトケイ編集長が訪れ、ヒントを探しました。(取材・鯨本あつこ)
※移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない地域と多様に関わる人々を指す言葉(総務省ホームページより)

※ページ下の「特集記事 目次」より関連記事をご覧いただけます。ぜひ併せてお読みください。

※この記事は『季刊ritokei』38号(2022年5月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。

>>前回:おもしろい共同売店のあるシマはおもしろい【特集|つよく やさしく たのしい 地域共同体に学ぶ 島のシマ】はこちら

関門海峡に浮かぶ人口約80人の小さな島へ

「おはようございまーす!」。5月某日、JR下関駅そばの渡船場に着くと、数人の笑顔が迎えてくれた。下関市は人口約25万人の中核市。橋の架からない有人島として、人口約80人の六連島(むつれじま|山口県)と約90人の蓋井島(ふたおいじま|山口県)を有する。

これから向かう六連島は、関門海峡をくぐり抜けた先に浮かぶ島。出迎えてくれた六連島自治会会長の武島正文さんと、下関市で離島振興を担当するお三方、そして六連島ファンのひとり岡崎信和さんと一緒に島へ渡る。

六連島の島影。民家は港近くの集落に集まっている

この海域は北九州から下関にかけて連なる工業地帯にあり、島までわずか20分の船旅では、工場が立ち並ぶ風景を眺め、勇壮に働く船とすれ違う時間が楽しめる。六連島の主産業は農業で、キクやかきガーベラなどの花卉栽培が盛ん。

そういえば、船に乗り込むときに皆が渡船場に置かれていた空のバケツを手にしていたが、聞けばそれも島で栽培された花を本土側の市場へ出荷するための道具だという。

六連島で栽培されるガーベラはこの白いバケツで本土へ出荷される

短い船旅を経て六連島に到着。スクーターで急勾配の坂道をのぼる住民に挨拶しながら、高台にある避難所兼集会所に向かう。石柱にはうっすら「保育所」の文字。かつては保育園だったらしい。ここで地域おこし協力隊の宮城宏明さんも加わり、囲み取材ならぬ囲まれ取材の状態で6人に話を伺う。

まずはこのなかで唯一の島育ち、武島さんが「島の最盛期は昭和55年頃で当時は約200人が暮らしていた」と振り返る。当時はこの場所にあった保育園に30人ほどの幼児が通い、小学校の分校も存在していた。しかし人口減少の波に消えて以来、学校も病院も、飲食店も商店もない島となった。

人口減と高齢化の波に集まった協力隊とファン

2020年の国勢調査をもとに計算すると、全国約400島の有人島のうち人口100人未満の島は約32%。観光が盛んな島を除けば、そのほとんどは「暮らしの場」であり、六連島と同様に生活インフラが乏しい島も少なくない。

とはいえ、「住民が心豊かに暮らしていけること」に重きをおけば、六連島も豊か。おいしい野菜が育つ肥沃な土壌や、住民同士の温かな支え合いがある島の日常が、島の風景にあたりまえのように溶け込んでいる。

島に移住してやがて1年になる宮城さんも、週2日は島のお母さんのおすそわけにあずかっているそう。「いつもビシビシ言われていますが、言葉の裏側に愛があるんです」という宮城さんの言葉に、皆が「愛だよね〜」とうなずいた。

宮城さんの出身は沖縄県。下関市の大学に進学し、離島振興にも興味を抱いていたという。そして2019年に六連島で行われたビーチクリーンに参加したことをきっかけに島との縁を深め、2021年に地域おこし協力隊に応募。晴れて「住んでみたかったんです」という六連島の住民となった。

左から市役所の永富敬吾さんと林祐史さん、撮影時に通りがかった花卉栽培農家の植村さん、地域おこし協力隊の宮城宏明さん、自治会長の武島正文さん、六連島ファンの岡崎信和さん、市役所の松本勇弥さん

“協力隊”が配置される地域には相応の課題が存在する。宮城さんが六連島の何に協力しているのかといえば、「月119時間、地域のことをする」をミッションに、草刈りや漁、農産物出荷の手伝いなど、島の人に必要とされる仕事に勤しんでいる。

協力隊がやってきた背景には、例えば武島さんが「前はキャベツ農家をやっていたんだけど、年寄りになると出荷するだけでも重たい。だから花(花卉)をつくるようになりました」と話すような、人口減少や高齢化の現実がある。そのサポートとして若い宮城さんの力が役立てられているわけだ。

加えて、人口わずかな島は、居住人口や交流人口の減少が航路の維持に直結する。「普段、訪れる客は釣り客程度」という六連島にとって、この問題は想像以上に重たい。そうした現実に、「なんとか現状維持ができれば……」と願う武島さんの想いが通じたのか、ここ数年のうちに増えてきた“ファン”の存在により、六連島をとりまく潮目に変化が現れていることに注目したい。

有志らが「参加者」を募るファンサイトが誕生

さかのぼること2020年6月1日、インターネット上で六連島ファンサイト『MUTSURE.JP』が立ち上がった。サイトに並ぶのは「6月6日は『六連の日!』MUTSURE.JPはじまるよ!」「島グルメ『六連バーガー』をつくりたい!」「ビーチクリーンに挑戦してみた!」といった記事の数々。

雰囲気こそ軽いものの、「離島のマナー」というページでは「兎にも角にも敬意をもって」「まずはしっかり交流」「六連島のことを知ろう」「島は島の人々の生活の場」「関わらせて頂いている気持ちを忘れずに」「アイデアのゴリ押し厳禁」「野心は本土に置いていく」「弁当と飲み物は必須」といった基本を勧める硬派な一面も。

その日を境に「参加する離島、六連島。」をキャッチコピーに、島で行われる各種活動への参加を案内するサイトが動き始めたのだ。

「参加する離島、六連島。」のポスター。モデルは六連グッズという帽子やTシャツを着用

『MUTSURE.JP』によると、それは「あくまで有志によるサイト」。そこでその”有志”のひとり、岡崎さんに経緯を尋ねる。岡崎さんが六連島に出会ったきっかけは、2019年に下関市の離島振興事業で六連島のパンフレット制作を担当したこと。

島を訪れ、住民と対話するなかで人々の人情にふれ、島でつくられている「玉ねぎのおいしさ」に気づいた岡崎さんは、市内にある馴染みのカフェで島話に花を咲かせながら、興味を抱いた有志を島へ誘い出した。

岡崎さんは島のパンフレットに「週末の冒険者たちへ」と記し、わずか20分で渡れる島で得られる体験を紹介。制作過程で島を訪れた有志らと行なった活動や、そこで湧き出したアイデアから『MUTSURE.JP』が誕生した。

>>次回:「「信頼人口」の六連島で探す心豊かなシマづくりのヒント(後編)【特集|つよく やさしく たのしい 地域共同体に学ぶ 島のシマ】」に続く


【関連サイト】
MUTSURE.JP

特集記事 目次

特集|つよく やさしく たのしい 地域共同体に学ぶ 島のシマ

今回の特集は「島のシマ」。 シマ・集落・村落・字・区など、多様な呼び名がある地域共同体(特集内ではシマ・集落・コミュニティなどとも表現します)には、地域の歴史やそこで生きる人々の個性が織り込まれた独自の文化や暮らしが存在しています。

ここでは、暮らしや文化、社会福祉、子育て、教育、防災、産業振興など幅広いテーマで、つよく・やさしく・たのしいシマをつくる人々の動きや、心豊かなシマを保つためのヒントなどをご紹介。

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