つくろう、島の未来

2024年11月24日 日曜日

つくろう、島の未来

鹿児島県大隅半島の南に浮かぶ屋久島(やくしま)。周囲約130kmの円い島の、山と川と海が接するわずかな平地に、ひしめき合って暮らしています。Uターンして、自らもコーヒーショップを営む島記者が、島ならではの小さな商いの話と季節のたよりを届けます。

台風とともにある暮らし

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18号、19号と週末ごとにやってくる台風に振り回された10月。
かろうじて直撃は免れたものの、道路に打ち上げられた砂、砂浜に打ち寄せられた枯葉、落下した街灯が風の強さを忍ばせます。

 

幼い頃に比べると、すっかり便利になった屋久島の島暮らし。
インターネットで注文した本は3日後には手の中にあるし、ナンプラーやココナツミルクなんてエスニック食材も島のスーパーで手に入るし、船や飛行機の便数も増え、停電や断水も以前ほど頻繁ではありません。

 

そんな日々において、台風は海に囲まれた島暮らしを実感する数少ない機会。
貨物船は台風がやってくる幾日も前から欠航、商店の棚からは、生鮮食品が消え、3日もすると空いたスベースが目立つようになります。強風圏に入る前日あたりから、船も飛行機も欠航、島ごと、ろう城生活のはじまりです。

 

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コースをギリギリまで見極めつつ、強風圏に入る前に屋外のあれこれを固定し、一部は屋内に避難させ、潮風で錆びるものにはカバーをかけ、頑丈な雨戸を立てて備えます。停電や断水の恐れもあるので、手のかからない食材を買い込み、鍋釜に水をため、懐中電灯やラジオを揃え、天気予報をこまめにチェックしながらそのときを待つのです。

 

インターネットが普及してよかったとつくづく感じるのもこんなとき。その昔、本州に近づくまで、台風情報を随時手に入れることは至難の業でした。なんとか強風圏から抜けたころ、テレビやラジオでどんどん台風情報が流れはじめるのが、毎度のことでした。

 

とはいえ、幼い私には楽しかった思い出しかありません。
暗い壁に懐中電灯をかざして、お月さまを拡げたり縮めたり、影絵を作ったり、雨戸の節穴から洩れる光はピンホールカメラのようです。屋根が飛んで、台風の目の青空がきれいだった話。家が走った(持ち上がって基礎から外れた)話。測候所の風速計が吹き飛ばされた話。大人たちも、それぞれの台風物語をおもしろおかしく聞かせてくれました。

 

「台風というのは一頭の巨大な龍なのだ」(野草社刊『原郷への道』より)と書いたのは、一湊川の上流に暮らした詩人、山尾三省でした。台風が来るたび、ゆっくり海を渡る一頭の龍とともに、三省さんのことを思い起こします。

小さなお寺の小さなおはなし会

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毎月第3土曜の朝、願船寺はこどもたちの賑やかな声に包まれます。
三省さんの夫人である春美さんと願船寺の僧侶夫人佐藤佳志子さん、ときにはお寺の僧侶の明了さんによる絵本の読み聞かせと、暗い小部屋で語りに耳を傾ける「おはなしのろうそく」。

 

口を開けて、溜息を漏らしながら絵本に集中するこどもたちの横顔が愛らしく、絵本とこどもたちの表情を交互に見比べてしまいます。厳選された絵本の数々は、大人にとってもおもしろいものばかりで、子どもを授かった醍醐味は、こんな場所に堂々と出入りできることだなぁとつくづく。月に一度のたのしいひとときです。

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島には、東の宮之浦と南の尾之間に2つの町営図書室があります。
私が普段利用している宮之浦図書室は、小さいながらも空調の効いた自習コーナーやカーペットが敷かれた絵本コーナーがあり、オムツ替えできるトイレも備わっているので、子連れ旅のブレイクにも便利。

 

両図書室では、定期的に子ども向けの絵本の読み聞かせ会が催されていますが、いかんせん北の一湊からは遠い。宮之浦まで車で20分、尾之間まで1時間といったところ。「一湊の子どもたちが歩いてこられる場所で、おはなし会ができるといいね」と先述の春美さんと話していて思いついたのが、ながらく休眠状態だった「屋久の子文庫」の再開でした。

 

環境保護団体「屋久島を守る会」の前身でもある、関東の若い出郷者グループ「屋久の子会」からその名を貰い、Uターンした我が母が一湊の地で文庫を立ち上げたのが、1979年。ともに文庫を営んでいた三省さんの前夫人でもある順子さんの逝去、母の転勤などが重なり、運営者が転々とした後、フェードアウトしていたのです。

 

再開にあたって、力を入れたのが、絵本の質。
一湊公民館に保管されていた屋久の子文庫の蔵書の中から、「こどもを楽しませる中で深い人生を語っている」150冊を厳選。子ども文庫の会が発行する季刊誌「子どもと本」を手がかりに、時に補助金などを申請しながら、少しずつ選び集めた本は600冊にのぼります。

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素朴な動機ではじめた活動でしたが、回を重ねるごとに、その価値を実感してきたと話します。
15年という歳月の中、三省さんがこの世を離れ、それぞれ幼かったこどもたちを育て上げ、穏やかというばかりはいかない日々の中で、「ひとりでも来る子がいるのであれば」と続けてきました。最初に通っていた子どもたちは、すでに成人を迎えています。「こどもの情緒を支える」喜びに触れ、そしてまた自らも絵本とこどもたちに支えられてきた日々。

 

春美さんが手に取った1冊『ルピナスさん』(ぽるぷ出版)。おじいさんは幼いルピナスさんに語ります「世の中を、もっと美しくするために、なにかしてもらいたいのだよ」。

 

自分にとっての「なにか」は、絵本を読むこと、貸し出すこと。心に種をまくように、そんな願いを込めて、こどもたちに本を手渡す日々は続くのです。

     

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