つくろう、島の未来

2024年03月29日 金曜日

つくろう、島の未来

人に人柄があるように、土地には土地柄がある。そして島にも島柄がある。同じ人間がいないように、同じ島もない(名前が同じことはありますが)。個性豊かな日本の島々。その島柄をのぞいてみる。※この記事は

『季刊ritokei』07号

(2013年11月発行号)掲載記事になります。

■屋久島の島柄「循環と共生の島」

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屋久島(やくしま|鹿児島県屋久島町)に訪れるまで屋久島といえば「世界遺産」だった。人は見聞きした情報からイメージを固めていく生き物だから、雑誌やらテレビやらで見る屋久島の隣に常々、世界遺産が併記されていれば「屋久島=世界遺産」になるのは無理がない。ただあまりにイメージが強いのか。それを除いた屋久島をイメージしようとすると、途端ぼんやりしてしまう。
だから2013年の秋、屋久島を訪れた。

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鹿児島空港から30分。飛行機から降り立つと島は霞がかっていた。屋久島は「一月(ひとつき)に35日雨が降る」といわれる島。むろん1ヵ月は30日だから「とにかくいつもどこかで雨が降っている」ということらしい。

出迎えてくれた田宮光さんは1年前まで東京でデザイナーとして働いていた。東日本大震災後から暮らす場所を再考するなかでふと島に出会い移住。現在はネクスト屋久島応援隊として屋久島の総合情報サイトの立ち上げに携わっている。前日に納車したばかりという電気自動車で島1周に向かった。

有人離島の中では4番目(※)に大きい屋久島。最大の特徴は中心にそびえ立つ「山」であり、標高1,936mの宮之浦岳(みやのうらだけ)は屋久島どころか九州一高い。だから左回りに島を一周すると、左手が山で右手が海という景色が続く。

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「屋久島は6年前に合併するまで、北と南で2町に分かれていた」と田宮さん。屋久島町に属する口永良部島(くちのえらぶじま)も含めて島には26の集落あり、口永良部島以外は川が集落の境界である。

屋久島環境文化村センターに立ち寄り「森と水のシンフォニー」と題された紹介映像を見る。1,400万年前の地殻変動で生まれた島には「屋久杉」と呼ばれる樹齢千年以上の樹木があり、その代表格が「縄文杉」である。日本の南西にありながら冬には雪がつもる高い山がある。黒潮にのった海水が太陽と風と波によって水蒸気となり、山峯をのぼり、山頂の冷えた大気とまじわると、雨粒になって島に降り注ぐ。海、水蒸気、雨、川、滝、海、そしてまた水蒸気……。千年以上の生命と今まさに生まれた生命。屋久島ではひとつの離島でこの生命の循環が延々繰り返されている。

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島の大部分は花崗岩(かこうがん)という岩でできているという。大きな岩がごろごろ転がる浜辺で、「屋久島は磯臭くないんです」と田宮さんが言う。そう言われると確かに磯の香りは少ないのも、島の構造が関係しているのだろうか……。

途中、島内に4カ所あるという無料充電スポットで電気自動車を充電する。屋久島の電力は99.9%が島の自然を利用した水力発電というから、言ってみればこの車も水の循環が動かしているのだ。

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東側の林道では鹿や猿を見かけた。鬱蒼と生い茂る木々が美しく車窓から楽しめる景色にうっとりしていると、突然シャワーのような雨が降りはじめ、やがてゲリラ豪雨ほどの強さになった。でもすぐ先に見える海は晴れている。屋久島を絶え間なく潤す美しい雨だった。

屋久島に循環する水はやわらかい軟水になるらしい。島には酒造が2つあり、本坊(ほんぼう)酒造の「屋久の島」「大自然林」「水の森」は久保 律さんという女性杜氏(とうじ)が造っている。この酒もまた、島の循環のなか生まれているものだ。

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田宮さんが集落の方を集めてくれた。もう1つの島酒「三岳」を片手に島人や移住者など10人ほどが囲むテーブルで島について聞いてみると、中間集落で区長をされている川崎さんは「山だけではなく、里(さと)も知ってほしい」と話した。

縄文石器が出土するほどの島だ。太古より受け継がれてきた伝統文化や産業がある里にも歴史がある。島人にとって世界遺産ともなる山々は特別な存在だが、日々は里にある。移住に子育て、川エビ穫りの話。楽しげな島人たちの声に、島のイメージはすっかり里に降りてきた。最近は里を知ってもらえるよう「里めぐり」が行われているらしい。惹き込まれるような口調で島を語る川崎さんも語り部のひとりだった。

翌日、屋久島町役場で「里めぐり」を立ち上げに関わった内田大信さんに会った。「本土に進学したころ、屋久島といっても知られてなかった」という内田さんは現在の戸籍制度でも5代前まで先祖が屋久島人とさかのぼれる」という生粋の屋久島人。世界遺産によって島の知名度はあがったが、旅行者たちは山に集中。里を盛り上げるため、内田さんは里めぐりを行う屋久島里めぐり推進協議会を立ち上げたそうだ。

島の図書館では『生命の島』という雑誌を見つけた。昭和61年から23年間、屋久島で発行され続けた雑誌には、屋久島の在り方を問う深い内容が詰めこまれていた。

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かつて屋久島では原生林伐採に伴う「自然」と「開発」の対立構造ができ、「循環」と「共生」をテーマに議論が繰り広げられたという。移住から1年になる田宮さんは屋久島に暮らすことを「自然のなかで人がたまたま生きている」と話す。絶えず循環する屋久島の自然は暮らす人にとっても圧倒的だから、人は自然を尊敬し、共生を図る。山と里、循環と共生。それらすべてが屋久島だった。

(文・写真 鯨本あつこ)


<注釈>
※ 離島振興法対象離島307島の中で4番目

離島経済新聞 目次

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