つくろう、島の未来

2024年10月14日 月曜日

つくろう、島の未来

島をながめていると、人にみえてくる。同じ人間がいないように、同じ島はない(名前が同じことはあります)。文化や歴史は人がつくりもので、つまり島の性格も人次第。人と出逢えば、島がすこし、見えてくる。※この記事は『季刊ritokei』03号(2012年7月発行号)掲載記事になります。

■西表の島柄「集まり、つくる島」

八重山(やえやま)諸島竹富町に属する西表島(いりおもてじま)といえば、亜熱帯のジャングルに滝や温泉があり、マングローブが生い茂る島だ。梅雨明けの西表島を、竹富町観光協会の石塚さんの案内のもと巡った。

まずは島の東部で観光業やスーパーを営む玉盛(たまもり)雅治さんに出逢う。玉盛さんは西表島の入植2世。元は竹富島がルーツという。

入植?ルーツ? 西表島と聞いて「イリオモテヤマネコ」やジャングルだけが思い描かれる人からすると意外な言葉だ。(※1 ※2)

「西表島は戦前までマラリアの島といわれていて、本格的に人が暮らし始めたのは戦後なんです」と玉盛さん。「先代には、マラリアのなかで集落をつくってきた誇りがあって、移住してきた人のなかでも、集落を守ろうという意志が違いますね」。

西表島は、大きくわけて東部と西部に12の集落があるが、琉球王朝時代からあるのは3つ。ほとんどの集落が戦後、奄美、沖縄本島、宮古島、近隣の島々から入植した開拓者によりつくられた、実は若い島なのだ。(※4)

先人たちが切り拓いた西表島の自然を目指して、島にはたくさんの観光客が訪れる。西表島、由布島、竹富島など石垣島から日帰りでも行ける「島めぐり」も人気だが、自然への大量送客はマングローブの倒木など、自然を傷つける結果も招く。

「ここの環境が変わっていったら。いずれは自分の職を失うことにもなりかねない。共存できるよう私たちが率先して自然を保護しなくてはならないんです」。玉盛さんらは、全国で初めて自主保全利用協定(※5)をつくったという。「この自然を守るにはどんなルールが必要なのか考え続けています。自然にはキャパがあるので、どれだけの人間を受け入れられるか見極めなければいけないんです」。

東部から西部への移動中、いたるところで「ヤマネコ注意」の文字を見かける。看板以外にも動物たちの交通事故を避けるため、数々の工夫がされていることを、石塚さんが教えてくれる。なにしろ広大な西表島(※3)。東部から西部まで1時間半をかけて、西部地区にある祖納(そない)に向かった。

祖納は琉球王朝時代から続く集落で、伝統行事も多いそうだ。夜、西部の島人たちのゆんたく会に交じり、話を伺った。

竹富町観光協会の副会長も務める上亀(うえかめ)直之さんの生まれ育ちは石垣島。島の特産であるパイナップルの流通について話してくれた。「昔、商工会青年部の数名で東京にキャラバンに行って、上野駅近くのフルーツショップでびっくりしたんです。軽トラいっぱいにパインを積んでも15,000円にならならいのに、メロン1玉が15,000円で売られていて。このパインをどうやって売ろうか?みんなで考えて『パイン棒』をつくったんです。デパートの物産展で、8等分に割ったパインに棒をさして売ったら飛ぶように売れて。砂糖かけているのか?パインがこんなに甘いとは知らなかった!と。1個では買われにくいけど、パイン棒なら買われやすい。最後はデパート職員の女の子が、パイン棒を数本予約していたり。今も西表島のパインは世界一と思っています。

西部地区でパイン農園を経営する川満(かわみつ)弘信さんは、宮古島ルーツ。1995年から「やしがにネット」というウェブサイトをつくり西表島を紹介し続けてきた。「夢があってね。ITとエコを融合させたいんです。離島だからできることがあるし、美味しいパインをつくるために、それぞれの農家ががんばっている。それが西表のよいところです」。

中学までは竹富島に暮らしていた石垣昭子さんは、西表エコツーリズム協会でも活動する芭蕉布の染色作家。ここ2、3ヵ月の間は福島の子どもたちを受け入れていたという。「海を見た子どもたちが『青いね』と言ったことが耳に残っていて、私たちは次の子どもたちに何を残せるのだろう。そう思って、自然エネルギーを普及するための活動をしなくちゃと思ったんです。たとえば、ソーラーエネルギーで灯るランプや街灯を取り入れたりして、西表はエコの島、みたいにね。生産性の高いものづくりをして、次世代につなげられることをしていきたいんです」。

島や夢を語る、西表島人の目は輝いている。

さまざまな島から集まり、島をつくってきた西表島人の根底には開拓精神があるのか。ただ、一方にはこんな冷静さもある。

10年ほど前、小浜島と西表島の間に橋をかける案があったという。しかし、当時の町長は「反対がひとりでもいたら橋は掛けない」と言い結局、橋はかからなかった。当時、「100年もつ財産が、5年、10年でなくなってしまう」という言葉が語られたという。(※6)

未来を切り拓くことと、共存する自然のことを同時に考えながら、島人たちは新しいルールや産業をつくりだしている。ゆんたく会の終盤、「足元はあまり見えないけど、この島には世界に誇れるものがあるんです」と誰かが語った。それを、この島の人ならきっと守っていける。

(文・写真 鯨本あつこ)


<注釈>

※1
世界的にみるとマングローブの自然にはたいてい虎かワニが生息するらしいが、西表島にいる肉食獣は「イリオモテヤマネコ」のみという

※2
入植者による開拓が進む西表島で、昭和42年頃「イリオモテヤマネコ」が見つかる。そこからはじまる自然保護の動きに、島では「ヤマネコか人か」の論争を繰り広げられたという

※3
西表島は、沖縄本島の2番目に大きな島だが、お隣の石垣島には4万人が暮らす一方、西表島の人口は2,000人台と少ない

※4
かつての琉球王国には、人頭税という悪名たかき税金があり、それを根に各島から強制移住が図られた歴史がある

※5
「仲間川地区保全利用協定」は西表島東部の仲間川でカヌーや遊覧船業務など観光に携わる5業者が作った独自のルール。2005年エコツーリズム特別賞を受賞

※6
本土と島、島と島を橋でつなぐ賛否は全国にある。医療や産業面でのメリットがあると言われる一方、人口流出からドロボウの来島まで、いろんなデメリットも聞こえてくる

     

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