つくろう、島の未来

2024年11月23日 土曜日

つくろう、島の未来

島とは何か? この問いに向き合う人へお届けする日本島嶼学会参与・長嶋俊介先生(佐渡島在住)による寄稿コラム。第2回目のテーマは、島々をとりまく歴史を振り返りながら、「島らしさ」という島の個性について考えます。

第2回 島個性の自覚と発信|逆ハンディ時代の「島らしさ」とは?

「島らしさ」は、愛好家を島へ誘い寄せる、外に開いた可能性である。

15世紀から18世紀にかけての帆船時代、島はフロンティア精神にあふれる者が集う中継地であった。しかし近代は「離島」=「後進性」という概念が広がり、長年、時代錯誤的な縛りと、偏った見方をされてきた。正しくは格差であり、一部は個性でもあった。

そして今、「真島嶼(逆ハンディ)時代」ともいうべき局面を迎えている。

「滞在したい」「住みたい」「癒しの場」として、また、国家領域保全の先端地として、特別視され始めている。島自体は昔から変わらず、島らしさの本質も変わらず、そこにあるのに。

ここで改めて本当の島らしさについて考えてみたい。

島らしさを指す「隔絶」「環海」「狭小」は、実は、離島振興法をつくるために「離島」を規定する用語であった。本土との違い(狭小)。山間部との違い(環海)。法執行の目的としての格差是正(隔絶)なのである。

昭和28年に施行された離島振興法の第1条に記された「本土より隔絶せる離島の特殊事情よりくる後進性を除去」を実現するため、指定離島が定められた。島の条件不利性を「後進」と、強調することにより、高率補助・予算枠確保・計画的執行を実現し、それは当時の島社会を支える恩恵となった。

史実は写真でもたどることができる。佐渡博物館で今年5月まで開催されていた「宮本常一 写真で読む佐渡」第4回の展示写真から、過去と現在を比較すると、往事の不便が歴然として見えてくる。

左)佐渡博物館で開催された「宮本常一写真で読む佐渡4 道」展示 右)同展示特集『生活文化研究フォーラム 2020No.1』(立教大学門田研究室)。106頁にわたり宮本の佐渡年譜・関与が詳細である。展示でも引用されているが「一周道路の一部になる道がまだ忘れられている・・・僻地に見られる人口減少も・・・国の端々に住む人に対する思いやりの足りなさ」(『私の日本地図』)と指摘。島の中にさらなる僻遠地への思いやりを宮本は訴え続け、国は全離島一周道路事業に着手し助成していく

施行から40年後、島が社会に対して果たす「貢献」が離島振興法の規定に加わり、50年後にようやく島の「後進性」が外された。

法の変遷と評価は別にして、島に住む人間にとって「離島」=「後進性」の烙印は屈辱であった。その間、島に対する社会の評価軸も変わり、生活基盤の水準、人が住み続けている価値(1980年代デンマークは自然保護の国策として島を無人島にしないように支援した)として、離島振興法での国の予算がつけられるようになった。

さて本論である。「島らしさ」を自覚する意義に触れたい。

「島(一般的な島を意味する)」と「嶼(小島、海中に小山が集まってできた群島を意味する)」からなる「島嶼(とうしょ)」には、大きな島も、極小さな岩島も、近くて船便も多く便利な島(離島振興法指定除外の島)も、自然豊かな無人島も含む。

日本島嶼学会の立ち上げでは、「離島」より広義の「島嶼」にこだわった。本土と橋のつながる架橋島も、人工島も、本土も、小豆島のように2013(平成25)年に離島振興法の対象となった島も、異国も、グリーンランドも、島大陸も排除したくなかった。無論、島嶼のなかで離島はその中核の位置付けで良い。

今や「離島」=「ド田舎」という暮らしの場への偏見やイメージは変化し、メールひとつで宅配が届く。しかも島で「ド田舎」(都市の真逆としてイメージされる場)であるからこそ、本物の暮らしや自然や安らぎの場が求められるとの期待もある。佐渡島内でも端っこ・山奥・一見不便な場所は、移住者の意図的選択地になりやすい。

コロナ禍は、多くの人に都会暮らしの不自由を知らしめた。今や利便性だけが、誇らしさを証明する時代でもなくなってきた。都会とは異なるワークスタイルやライフスタイルを求める移住者にとっては、「島らしさ」や「島の個性」は可能性である。

島らしさには二側面がある。

第1基準は、奄美・沖縄で言う「シマ」。

本来「シマ」は水系を同一にする最小の地域生活単位である。支え合いと手作り感のある暮らしの場。地域主義者の玉野井芳郎は、1970年代に沖縄で展開された「シマおこし運動」の本質を「地域のアイデンティティ」においた。

1980年代に立ち上がった「過疎を逆手にとる会(※)」は、中山間地と離島を結んで「オンリーワン」「面白いまちおこし自慢会」を続け、過疎に可能性を懸けた。そう考えると今は気張らなく自然体に「適疎(15年程前の長嶋造語)」を求めれば良い。

※過疎地域を元気にする取組やNPOなど市民協働による地域づくりを実践的に取組み、アドバイザーとして全国の地域を巡る、国土交通省地方振興アドバイザーの安藤周治氏によるまちづくりの研究グループ

限界集落論は定量的な問題にすぎない。シマ社会的な機能が維持できる規模で、次世代が元気で、地域がそれを支えられるなら存分である。それが持続可能であるなら都会とは逆の贅沢も謳歌できる。

島らしさの第2基準が自然である。

自然も放置すれば良さは続かない。「美しい村などはじめからあったわけではない。そこに住む人が美しく住もうとつとめて、はじめて美しい村になる」と一般に言われることの真意は大切である。この場合、美しさの基準は無限大だが、十分条件的には自明である。

美しい生き方も、美しい里も、美しい心も、美しい島も、自覚して育まれこそ、維持される。「島らしさ」の充実は、島嶼国・日本の宝であり、誇りであり、本質(=成り立ち)であり、究極のゴールでもある。

一人ひとりの島人(シマンチュ)が、「島らしさ」を、それぞれの島で。一人ひとりの島愛好家(アイランダー)が、「それぞれの島らしさ」に、敬意と愛情を持って接する。タビノモン(通過旅行者や島外の為政者・関係者・国民)も「それら」を温かく見守る。

それらが育む「美しい島」と「個性豊かな島らしさ(アイデンティティ)」に期待したい。

左)カンゾウの季節は岩百合(随所に名所があるが写真は佐渡島・藻浦崎)の季節でもある。カンゾウと共に咲く場所も多い 中)大野亀方向のカンゾウ原野(牛の放牧で生じた景観ともされるが、付近の住民が管理し育ててもきた。鯛の豊漁を招くとされる) 右)二ツ亀(東側)方向のカンゾウ原野。ここには50万株100万本ものトビシマカンゾウが群生する。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得

ちなみにカンゾウは薬草でもあり、大西洋の中部に浮かぶ孤島・セントヘレナではナポレオンの薬草として栽培されていた。ニッコウキスゲ(山岳咲き)と学名は同一だが、風厳しき海に向かい咲く。

国内では飛島と佐渡にのみ咲くとされるが、粟島でも栽培されており、島では「アワシマカンゾウ」と表記していた。そのプライドが逞しくも心響く。飛島では料理にも使われる。

     

離島経済新聞 目次

寄稿|長嶋俊介・日本島嶼学会参与

長嶋俊介(ながしま・しゅんすけ) 鹿児島大学名誉教授。佐渡生まれ育ち。島をライフワークに公務員・大学人(生活環境学⇒島の研究センター)・NPO支援(前瀬戸内オリーブ基金理事長)。カリブ海調査中の事故(覆面強盗で銃創)で腰痛となり、リハビリでトライアスリートに。5感を大切に国内全離島・全島嶼国を歩き、南極や北極点でも海に潜った。日本島嶼学会を立ち上げ、退職後は島ライフ再開。島学54年。佐渡市環境審議会会長・佐渡市社会教育委員長。著書・編著に『日本の島事典』『日本ネシア論』『世界の島大研究』『日本一長い村トカラ』『九州広域列島論』『水半球の小さな大地』『島-日本編』など

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